インタビュー・構成 ぼそっと池井多
・・・第1回からのつづき
日本で精神科医になろうと志したわけ
ぼそっと池井多 フランさんは、このまま行けば、日本で最初のイタリア人の精神科医になるわけですが、そのような人になろうと思ったのはいつですか。
フラン 長く漠然と思っていましたが、具体化したのは大学3年生のときですね。
「精神科医になろう、それも日本で精神科医になったらどうか」
と考え始めたのです。
18歳までシチリアに暮らしているころから、私はすでに、
「将来日本に住みたい」
という気持ちが漠然とありました。
周囲から孤立してひきこもりぎみになっていた時に、日本のアニメ文化は私の救いでした。その物語が生きる力を与えてくれていたのです。絶望を感じた時も、好きなキャラクターを思い出して、心の中で温かさを感じて生きていることができました。
現実の日常生活のなかでいろいろ落ち込むことがあっても、日本のアニメ作品を見るたびに、自分が支えられて「生きられる」と思えたので、将来はこういう感性をもったこういう文化に囲まれて生活したいものだ、と思っていました。
大学でローマに移って、ずいぶん生きやすくなったけど、それでもまだ何かが足りない感じがしていました。
私は、一つの大きな目標を定めて、その目標をいっしょけんめい追いかけると、幸せを感じられます。だから、
「日本で精神科医になる」
という大きな目標を立てました。
自分しかできないことが実現できたら、幸せです。誰だって自分しかできないことを見つけるべきだと思いますから。
必ずみんなが掛け替えのないところを持って、そういったところを大事にして、同調圧力から守れば、そういったところこそが自己実現に繋がるじゃないかなって思います。
たとえ裕福な生活を送らなくても、失敗する可能性があっても、その失敗が自分しかできないことにつながるのだったら、幸せです。
そういう状況にあるときは、ぜんぜん疲れを感じなくて、どんどんモチベーションが高まります。反対に、いくらお金になっても、それが誰にでもできることで、自分らしくなく、自分に素直でもなければ、
自分にとってまったくやりがいがないから、モチベーションの高まりを感じらず、幸せではありません。
イタリアで精神科医になったほうが生活は安定するかもしれないけど、高校生のときに私に生きる力をくれた、あのアニメ作品をつくるような感性をもった文化風土に溶け込んで精神科医になりたい、と思いました。
その時はまだ、日本のことは具体的に何も知りませんでした。まず言語の壁を乗り越えなければならないと思ったので、日本語を勉強し始めました。毎日夜遅くまで医学の勉強と日本語の勉強を死に物狂いでやりました。でも、大きな目標に向かっているという幸せを感じていたので、ぜんぜん疲れを感じませんでした。
異文化だからこそ見える「日本」
ぼそっと池井多 「この計画を実現したら、歴史に残るような日本で最初のイタリア人精神科医になる」
ということは意識しましたか。
フラン 結果的にそうなるかもしれない、とは考えましたが、日本で最初のイタリア人精神科医になることが、私にとって重要だったのではありません。
とにかく、自分にとって幸せな環境、努力して生きていくモチベーションが、もっとも保たれる環境のなかに身を置くことが重要でした。
でも、そのうちに、自分の計画には別の意味があるようにも思えてきました。
私が日本で精神科医になったら、私がまだ理解できていない日本人の精神の領域に触れられることでしょう。
その一方では、私が育ってきた環境が、日本人にとっては異文化だからこそ、私の日本人には見えない日本の部分が、日本で精神科医になった私には見えるのではないだろうか、と思い始めたのです。
精神医学が対象とする精神は、人間の内に在って、その人間が住んでいる文化によって、いろいろ異なります。そういう精神と文化の絡み合いに、私は大変興味があるのです。
文化の特徴で精神の病気が発生する、というところに興味がある。
だから、ひきこもりにも注目したのです。
一つの文化の中に一生住み続けたら、一つの見方しかできないから、
いろいろな盲点ができてしまうのではないか、と思います。
でも、いくつかの異文化の中に住むことによって、いろいろな目を心に持つことができる。一つの精神現象もいろいろな角度から見られて、そういう盲点は少なくなるはずだと考えるのです。
ひきこもりか、社会的ひきこもりか
ぼそっと池井多 ローマのカトリカ大学にいる間に、
ひきこもりについてはだいぶ研究が進みましたか。
フラン 医学部に在籍している6年間は、医学全般を学ばなければならないので、なかなか専門に割く時間は取りにくいものです。
もし、それでも専攻分野に力をそそぎたいのなら、自分で積極的に勉強しなければなりません。
私は、大学の4年生、5年生のときに、インターネット依存を専攻としているフェデリコ・トニオーニ(Federico Tonioni)教授という精神科の指導教官の講義を受けていました。
その教官の指導の下、イタリア国内のひきこもり当事者とも接したことがあります。
でも、
「この人はひきこもりなのか、それとも社会的ひきこもりなのか」
とわからなくなることがあって、
「いったいひきこもりって何だろう」
と考えるようになりました。
それでぼくの卒業論文は、
「ひきこもりとうつと不安の関係性について」
というテーマで書きました。
ぼそっと池井多 「ひきこもりか、社会的ひきこもりか」
という分類は難しい問題ですね。
私にはうつという病気があって、ひきこもりという状態になりましたから、そこだけに着目すると
「社会的ひきこもりではない」
ということになります。
なぜならば、社会的ひきこもりの条件に、
「精神疾患を第一の理由としないもの」
という項目がありますからね。
しかし、いまの日本では、人が精神科の医療機関を受診すれば、必ずなんらかの診断名はつくものです。したがって、精神疾患であるか否かは、精神疾患を持っているか否かではなく、精神科を受診するか否かで決まってしまう。
社会的ひきこもりと言われていた人は、精神科医療機関の受付の箱に
診察券を入れた瞬間から社会的ひきこもりではないことになってしまう。
一方では、当事者仲間を見ていると、本人は精神疾患だと言わなくても、傍からみれば明らかに精神疾患に見える人は山ほどいます。
考えられる診断名は、うつ、発達障害、自己愛性パーソナリティ障害などですね。
しかし本人が精神医療にかからないので、
「精神疾患ではない、ゆえに社会的ひきこもりである」
とされます。
その逆で、ほんらい精神医療で解決すべき問題でないのに、精神医療につながる人も多いですが。
ともかく、「ひきこもり」か「社会的ひきこもり」かという分類は、このように実体のないものであり、
「精神疾患を第一の理由とはしないもの」
という条件項目は機能していないように思います。
フラン そのあたりもいろいろ複雑で、精神疾患が第一の理由で、
つまり精神疾患があってからひきこもりになるパターンばかりではありません。ひきこもりになったために、それが原因で精神疾患になる場合もあるわけです。
私が学んでいる精神医学では、前者は二次的ひきこもりと呼ばれ、後者は一次的ひきこもりと言います。
でも私の考えなんですけど、人間というのは、他者との接触を必然的に必要とする生き物であるので、もともと全く精神症状がなかったとしても、社会的に隔離され、長い時間が経てば、精神症状が出てきてしまうのは、ある意味で当たり前なことです。
この意味では、ひきこもりに限らず理由がなんでもあれ、社会的隔離が長くなってしまうと、人間の心が保てないということがあるかもしれません。
日本上陸
ぼそっと池井多 ローマのカトリカ大学を卒業して、すぐ日本に来られたのですか。
フラン ローマのカトリカ大学を卒業したのは2014年の夏でした。
イタリアで医師になるつもりはなくなっていましたが、いちおう2015年の2月に行なわれる、イタリアでの医師国家試験も受けて合格していました。
受けた理由は、イタリアの医師免許を持てば、ヨーロッパの国ならばどこでも医者として働けるので、将来的に役に立つかもしれないと思ったからです。
同じ2015年2月に、在イタリア日本大使館がやっているイタリア人の若い研究者向けの国費奨学金の試験がありました。
文部科学省の奨学金でMEXT scholarshipといいます。
それを受けたところ、日本の大学の博士課程に入る資格がもらえました。それで4月に日本に来て、筑波大学で院生になったのです。
ぼそっと池井多 それが日本に来た最初だったのですか。それ以前に、たとえば観光などで日本へ下見に来たことはありませんでしたか。
フラン いいえ、私の場合は、それまで日本に来たことは、一度もありませんでした。だから、イタリアではみんなが心配して言ったものです。
「こいつ、日本のことを理想化していて、実際に行ってみたらとんでもないところで、ぜんぜん合わなくて、ボロボロになって帰ってくるのではないか」
とかね。(笑)
でも、私はとくに日本を理想化していたわけではない、ということは、あとになってわかりました。日本の良いところも悪いところもともに受け入れた。つまり「清濁合わせて飲んだ」と言えるだろう(笑)。
実際、私は日本に来てから今まで、日本に関して失望したことがないのです。
ぼそっと池井多 それは日本人としてお聞きして、なんだかありがたく思います。
日本での進学先として筑波大学を選ばれたのは、どうしてですか。
フラン イタリアの医学部でひきこもりに関して勉強したときに、テキストに斎藤環先生の名前が書いてありました。
彼はひきこもりに関して一番有名な専門家と見なされているから。
だから、私は、最初このような人はすでに歴史上の有名な精神科医で、伝説的な存在であって、もう生きていないと思っていた(笑)。
ところが、調べてみると、なんとまだバリバリに生きていて、筑波大学で教鞭を取っておられるというじゃないですか。
それを知った時に、斎藤環先生の門下に入りたいとメールを出して、受け入れてもらったのです。
ぼそっと池井多 斎藤環さんの門下には、フランさんの他にもたくさんの外国人留学生がいらっしゃるのですか。
フラン はい、おります。中国人の方が多いですが、去年からアルゼンチン人の臨床心理士が加わりました。
ぼそっと池井多 私はインターネットを通じて、アルゼンチンのひきこもり当事者の方のインタビューをさせていただいたことがある(*1)のですが、そうやってアルゼンチンの臨床心理士がひきこもりをテーマとして日本に留学しに来ているということは、治療者のあいだでは
アルゼンチンにもひきこもりがいるということは、もうかなり知られているということですね。
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*1.「南米アルゼンチンのひきこもり マルコ・アントニオ 第1回「ぼくみたいなひきこもりはまだ何千人もいるだろう」
フラン よくはわかりませんが、たぶん知られているのでしょう。
ぼそっと池井多 あと、中国からたくさん留学生の方が来ているということは、やはり中国にもひきこもりがたくさんいるということですね。
フラン ええ。ひきこもりだったり、不登校、いじめなど、いろいろな問題が中国では起こっているようです。
中国からの留学生の方々も、文化によってどのような違いが生じているか、なども調べているようです。
ぼそっと池井多 ああ、それで、なんですね。
斎藤環さんと同じテレビ番組(*2)に出させていただいたときに、彼が
「ひきこもりはカトリックと儒教の文化圏に多いのでは」
といったことをおっしゃって、私が
「イスラム圏にもいる」(*3)
という話をさせていただきました。
彼のゼミがカトリックと儒教圏からの留学生をお持ちであるから、
そうお考えになったのかな。
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*2. 2018年9月27日BS11放送「インサイドOUT」
*3.以下の記事を参照のこと。
「バングラデシュのひきこもりイッポとの対話」
http://www.hikipos.info/entry/bangla_r1_jap
フラン ひきこもり現象は、文化や国境を乗り越える国際的な面を持ちながらも、どうしても日本の文化から生じている、としか思えない部分もあります。
私は、こう考えています。
日本の文化と関係がないところ、すなわち「社会的な隔離」という
ひきこもりの本質的な部分を見ると、それは「ひきこもり」と呼ばなくても良いのでは、という気がします。それは、ただの社会的な隔離(social withdrawal)と言えばよいのでは、と。
それは、日本の文化の特殊性と関係なく、どの国にも存在が認められるだろうと思います。
私から見ると、社会的な隔離というのは、人間の自然な逃走本能であって、恐怖や違和感を感じた時に、誰にも起こりうる行動だと思います。なので、普遍的なものだと思います。
でも、やはり文化の特徴がその本能に拍車をかけて、その状態におちいりやすい環境を作る。そこから日本の社会的ひきこもりが生まれるのでしょう。
ぼそっと池井多 なるほど。私は学者でも治療者でもなく、一介のひきこもり当事者にすぎませんが、まさに同じ問題に興味をもって、GHOを通じて世界中のひきこもりの方々にお話をうかがっているわけです。そうしたテーマで研究されている方とも、いずれお話してみたいものですね。
・・・「第3回」へつづく
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