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ひきこもりと親、社会、そして物語。日本とイタリアでどう違う? イタリア人初の日本精神科医フランさんインタビュー 第3回

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写真提供:フラン

インタビュー・構成 ぼそっと池井多

 

 

  ・・・第2回からのつづき

 「恥」の概念のちがい

ぼそっと池井多 フランさんは、日本のひきこもりにもイタリアのひきこもりにも接していらっしゃるわけですが、ひきこもりは文化によってどのような点がちがう、と感じていますか。

フラン 日本のひきこもりは、

「他者へ助けをあまり求めない」

という特徴があるように思います。
それは日本とイタリアのコミュニケーションの取り方のちがいに起因しているものだと、私は考えています。

日本の文化では、「恥」「迷惑」という概念が強いですから、他者に助けを頼むことがすごく難しい。イタリアでは、個人主義というベースはありますが、他者へ助けを求めるハードルは日本より少し低いと感じています。

ぼそっと池井多 「恥」というと、シチリア人も「名誉」を重んじる裏返しとして「恥」という概念の占める比重が大きいように思います。しかし、やはりちがいますね、日本の恥とシチリアの恥は。

フラン ちがうと思います。
やはり日本人の場合は、他者に「迷惑」をかけることが「恥」という考え方でしょう。

シチリア人は、たとえ他人に「迷惑」をかけても、自分の「名誉」が守られれば、自分を救うために他者を巻き込めても、そのことはそれほど「恥」ではないのです。社会の秩序を乱すことに関して、シチリア人は日本人ほど恐れを持ちません。

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シチリアの路地 Photo by Pixabay

社会、子ども、親という三角形

ぼそっと池井多 なるほどイタリア、シチリアでは、秩序というものが日本ほど重んじられないから、他者にも助けを求めやすいわけですね。

私自身がそうであるように、ひきこもりの原因というと、母子関係というものが大きな比重を占めると思います。母子関係について、イタリアと日本を比較するといかがでしょうか。

フラン けっこう似ているんじゃないかな。イタリアの母は、過干渉が多いです。

ぼそっと池井多 ヨーロッパの他の国のひきこもり、たとえばフランスとかスペインとかは、接したり調査したりしたことはありますか。

フラン ないです。スペインに多い、ということは把握していますが…。

ぼそっと池井多 私はフランスのひきこもりのネットワークにも入れてもらっているのですが、フランスもとてもひきこもりが多いようですよ。しかし、フランスの母子関係は、私が知るかぎりではイタリアと少しちがうようですね。

ただし、フランスもイタリアも、やはり両方ともヨーロッパ文化の国だけあって、親と社会と子の三者関係を考えると、ひきこもりの子が社会と対立したときに、親は子の側につくのですね。日本では、親は社会の側につきますけど。

まあ、社会といっても、厳密には社会(society)でなく、個人の周縁としての世間(marginality)なのですけどね。

フラン 日本とヨーロッパでは、個人と社会の関係性もちがいます。

ヨーロッパでは、自分がその構成員となって、社会が同じ平面に存在している。個人と社会の間に上下関係が存在しません。むしろ社会は個人の自己実現の舞台に過ぎないのです。自分は社会を成り立たせている一員である、という意識があります。

でも、日本では、社会とは自分から離れたところに、しかも自分より上の何かとして存在する、という意識が持たれているのではないでしょうか。この場合には個人は社会のツールになる上下関係が成立します。

人の個性が、社会にとって邪魔になるようであれば抑圧されるでしょう。だから「世間さま」という表現が出てくるのです。

ぼそっと池井多 そうでしょうなあ。

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ひきポス編集長石崎(左)とフランさん(右)

物語の精神療法的有効性をもとめて

ぼそっと池井多 フランさんは2019年3月まで、筑波大学の博士課程に在籍していらっしゃる最中というわけですね。

そして、2019年4月から、初の外国人精神科医として、大きな病院で臨床を始められる、と。いま(2018年11月現在)私たち日本のひきこもり当事者にアンケート調査をしていらっしゃいますが、これについて少し説明していただけますか。

フラン これは、

「ひきこもり当事者が物語性をどう考えているか」

を調査するアンケートです。

私は、物語の精神療法的な有効性について研究しています。
アメリカで映画療法というアプローチがありまして、それにヒントを得て、私はアニメを使った映画療法を開発したいのです。

このアイデアが浮かんだのは、私が子どものころ、シチリアで孤立と孤独を感じていたけれど、日本のアニメ作品を見て、それらの物語に支えられ、救われていたからです。そういうことが他の人にもどれだけあるのかな、と思っていた。

アニメと対話を使った療法の有効性を検討するには、様々なステップがあるので、いまは日本人のひきこもりと物語作品の関係を知るため、ひきこもり当事者たちの声を直接聞いて、ひきこもりの皆さんにアンケート調査をおこなっています。

日本人の綴っている物語が、けっこう普遍的に人を癒す作用を持っているのではないか。そして、それは日本人自身も気づいていないのではないか。そんな仮説を持っています。

物語に描かれる登場人物によって、自我理想を与えられて、それがたんに物語の中だけの虚構の存在に終わるのでなく、心の糧として、実際の自分の人生にも落としこまれる、ということができるなら、人は物語を見る価値があるのではないか、と考えているのです。

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「母と」 写真提供:フラン

なぜ人は物語を読むのか

ぼそっと池井多 物語の力というものについては、昔からさまざまな形で論じられてきました。古今東西、普遍的に、なぜそもそも人は物語を読みたいのか、ということにも関係していることでしょう。

私自身は1980年代から断続的にひきこもっていますが、非オタク系ひきこもりであるものですから、日本のマンガやアニメはあまり知らないのです。

しかし、物語への没入といった体験はありました。物語に支えられていた時期もあります。私の場合、日本の作品ではないものが多くて、カズオ・イシグロ「The Remains Of the Day(邦題:日の名残り)」などには大いに支えられたと思います。

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ひきこもりが極まったころの私を支えた物語の一つ。何度も読んでボロボロに。写真・ぼそっと池井多

ぼそっと池井多 だから、精神療法的有効性を持つのは、日本の物語に限らないと思いますが、物語を生きていく糧にする、という場合は確かにあるでしょうね。

フラン はい、確かに日本の物語に限られた話ではないと思います。

英語で言うとfictional narratives(虚構の語り)と呼ぶもので、どの作品でもどの形態でもストーリーと架空のキャラクターがあれば物語性を持っていて、潜在的な癒しの力があると私は考えます。

ただし物語が展開される状況の設定の多様性と、描写の千差万別の可能性で、日本のアニメーションが特にポテンシャルがあるのではないか、と思っています。

物語のなかで現実の自分ができないことを疑似体験する、ということはよくあるでしょう。それだけでなく、いま現実にできないことでも、物語を読めば、そういう願望を持ってモチベーションを保ち、自分の人生のために努力できる、ということもあると思います。

英語では persuasion through fiction (物語を通した説得)と言います。そのことに関する心理学の研究もあります。

現実の自分のなかに動機や勇気づけがなくても、物語のなかにそれを見いだすことができれば、自分を変えるきっかけになるかもしれません。
このように物語には多くの療法的な力が期待できるので、将来的にぼくの臨床で使っていきたいと考えています。患者さんに物語を見させて、その後対話をします。

皆が現在おこなっているのは、物語を快楽の品として消費することです。それはそれで良いのですが、もっと治療のツールにも使っていくのであれば、ただ鑑賞するだけではなく、精神科医や臨床心理士など
メンタルヘルスの専門家と一緒に鑑賞し、内容を建設的に掘り下げる必要があります。

鑑賞したことを一緒にディスカッションすると、キャラクターを通じて自分のことについていろいろなことを学べます。それでうつなどの症状がよくなれば、ぼくの方法が臨床的に効果があったと認められることでしょう。

 

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ヴェネツィアにて Photo by Fran

感動が忘れ去られる前に

ぼそっと池井多 今回のアンケート調査は、フランさんの壮大な計画のどのあたりに位置しているものですか。

フラン 第一段階として、私は精神科のデイケアでひきこもり当事者をインタビュー調査しました。

ひきこもり生活のなかで、物語を見て、何か自分の生活に変化がもたらされたかどうか。感情的にも、精神的にも変わったことがあったかどうか。そういうことを聞き取りました。

今はそれに続く第二段階で、臨床医学として認めてもらうために、いまは治療効果に関するエビデンスを集めています。


物語から得るモティベーションは、たいていは一時的なものです。

作品を観た直後はものすごく感動していても、得た感動を自分のなかに落とし込むというか、噛み砕いて整理しないと、たちまち感動は忘れ去られ、消えていきます。

だけど、同じ作品を観た者同士で対話をしたり議論をしたりすると、作品で得たものが噛み砕かれ自分のなかに消化されていきます。

このようにすると、物語から得られた力がより長く有効性を保たされ、自分を変える力にすることができるかもしれません。

ぼそっと池井多 2019年4月から研修医として臨床もしながら、大学院生として研究も続けるのですか。

フラン 研修の2年間は、研修に集中しなければならないでしょう。

しかし、その間も、これまで調査研究してきたものを自分なりに整理していくつもりです。研修のあいだに論文を書いて出版したいです。
それを終えたら、また大学に戻って、博士号を目指そうと思っています。将来的には、日本のアニメを使った療法を開発して、ひきこもりや、他の精神症状を持っている人の手助けをしたいと考えています。

道が険しいかもしれませんが、頑張りたいと思います!

 (了)

 

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・・・この記事のイタリア語版