ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

「生きづらさ」はどこからやってくる?【 いまさらだけど「生きづらさ」の正体って何だ? 第4回】

神田カルチエ・ラタン闘争(1969年) 写真・Wikimedia

 

文・ぼそっと池井多

・・・第3回からのつづき

www.hikipos.info

「社会を変えていく」の本態

前回、第3回は社会の中でときどき発生する凶悪な無差別殺傷事件の原因として考えられる「生きづらさ」について考えてみた。
「生きづらさ」という語が現われる1981年以前は、社会のなかでたびたび起こる不幸な無差別殺傷事件に関して、民族差別や階級闘争といった政治的・社会的な概念から説明がなされていたが、それが次第に「生きづらさ」を原因とする解釈へシフトしている、という主旨であった。

第2回にも述べたように、2024年現在、「生きづらさ」を訴える若い世代の言葉を読んでいると、その「生きづらさ」はかつて私が「生きづらい」と感じていた1980年代へ戻れば解消されるような内容がほとんどである。

つまり、現代のひきこもりの若者たちが「社会を変えていく」先に望んでいるものは、私から見れば昭和の高度成長時代に社会を戻すことに他ならなかったりするのである。

それは一つの大きな矛盾をはらんでいる。
昭和の高度成長時代へあこがれるということは、あの時代の生産第一主義ともいえる価値観へ回帰することでもある。
しかし、「働いていない」という存在形態を認めてほしいひきこもりは、「生産」に価値をおく一般社会の考え方に異議を唱えたいのではないのか。たとえ経済的に「生産」などしなくても、毎日のようにひきこもっていても、人間は生きていることに価値があると訴えたいのではないのか。
そういうひきこもりが「生産と消費こそが美徳」と人々が信じていた昭和の高度成長時代にあこがれることは一種の自己否定なのである。

ところが、ひきこもりの本質は矛盾と葛藤にあり、ひきこもり当事者は自己否定し逡巡をくりかえしている存在でもあるから、これは何ら矛盾もしないのである。いうなれば、令和のひきこもりが高度成長時代の昭和にあこがれるという矛盾があること自体が、ひきこもりの属性から見たら矛盾ではないのだ。

価値観の回帰もめずらしい現象ではない。歴史とは、つねにそうやって進歩と回帰を繰り返しつつ、単純に以前へ戻るのではなく、弁証法的に正ー反ー合とアウフヘーベンされながら進んでいくものなのだろう。ポストモダンの時代に入って以降、そのような歴史観は否定されてきているかもしれないが、私の目にはやはりそうとしか見えないことも多い。

 

生活と生の不一致

さて、1981年に「生きづらさ」という語が世に送り出される前は「生きづらさ」はなかったのだろうか。原始仏教の時代までさかのぼらなくても、もっと近代的な感覚として「生きづらさ」は存在しなかったのか。

私は「存在した」と思う。
たとえば、谷川俊太郎は1960年代にこう書いている。

我々は生き続けようとして生活し、正にその生活によって、生を失いつつあるのだ。

そのような生活は本当の生活ではない。

現在の最も大きな問題を、私はこの生活と生との不一致に見る。(*1)

*1. 谷川俊太郎「an agitation」『谷川俊太郎詩集』現代詩文庫27, 思潮社, 1969年

 

「生活によって生を失う」
「生活と生の不一致」
まさにこれらこそが原始仏教でいう「生苦」の現代版、すなわち「生きづらさ」ではないだろうか。

谷川俊太郎は若者の「生きづらさ」の感覚を、1960年代当時の庶民の暮らしの隅々にまで浸潤していた仰々しいイデオロギーに凝固してしまう寸前で言葉に掬い上げた。
イデオロギー化してしまうと、自然な叫びは人工的に作った鋳型にあてはめられ、もともと宿っていた叫びの生気は失われ、それはもう叫びではなくなってしまう。それと同時に、叫びのなかで鋳型にあてはまらない部分は周囲から削り取られ、この世界に存在しないものとなっていく。
つまり、イデオロギーとはいつの時代も人間から叫びを消滅させてしまうものなのだ。

当時の若者は、今の70代、団塊の世代にあたる。
「生活によって生を失う」
という問題を抱えたのは彼らだけではなかった。アメリカのヒッピー世代、フランスの68年世代ソワソンテユイトゥール(*2)など西側先進国すべての若者といってよい。

彼らの親の世代が、日本でいう戦中派にあたる。彼らは第二次世界大戦が終わったときに世界各地の戦場から本国に帰還した男たちと、彼らを待っていた女たちによって一気にこの世に産み出された人口だった。

ちょうど今の日本の若者が、ついついインターネット普及以前の考え方をしてしまう年長者たちを「昭和脳」といって馬鹿にするように、今や老人となった団塊の世代が若者だったころ、彼ら彼女らはその親の世代を「まだ戦時中の考え方しかできない人間」、いわば「戦中脳」(*3)として馬鹿にしていたものである。

彼ら彼女らは、
「もう戦争は終わってるんだ。おれたちは自由なんだ」
という意識によって自分たちを親たちから差別化して、世代的アイデンティティを作っていた。
たとえば「ぼくら」という一人称複数を主語に唄う『戦争を知らない子供たち』(*4)という歌が流行したのは、高度成長期も爛熟し終わりに近づいた1970年のことである。この年には大阪万国博が開催され、三島由紀夫が割腹自決を遂げている。


*2. 68年世代(ソワソンテユイテュール / Soixente-et-huiteurs) この呼称は1968年のパリ5月革命(Mai 68)に由来する。それまでの歴史において「革命」とは、たとえば1789年フランス革命や1917年ロシア革命のように社会を占有する支配体制を打破し、社会階級などの権力関係を逆転させることを目的として発生したが、パリ5月革命が打破しようとしたものは、いまの日本語でいえば「生きづらさ」そのものだったように思う。そのため、こんにちのフランスの若いひきこもり当事者のなかには祖父母の世代にあたる68年世代に親近感を抱いている者も少なくない。

*3. 戦中脳 当時は「戦中脳」という表現はなかったが「戦中派」という語はあった。

*4. 「戦争を知らない子供たち」 歌詞 https://www.uta-net.com/song/128799/


Expo'70(1970年の大阪万国博)写真:Takato Marui / Wikimedia

 

自由になったはずなのに自由ではない

このような当時の若者たちが持っていた不全感とはおそらく、
「自由になったはずなのに自由ではない」
というべき感覚だったと思う。
私自身は世代的に「当時の若者」に入らないのだが、それより年下の少年として「当時の若者」をお兄さんお姉さんとしてまぶしく眺めていたので、彼ら彼女らの生態はよく知っているつもりである。
政治的要求を掲げた彼らの学園紛争の中に、やがてフリーセックス(*5)が運動化されて取り入れられていったのもその結果である、と私は考えている。

また彼ら彼女らの自由への希求は、自由を探求した哲学者サルトルが「大明神」(*6)として崇められたことからも逆に照らし出されるといえるだろう。

 

*5. フリーセックス 道徳的・社会的な慣習にとらわれない、性に関する自由な考え方や行動。

*6. 「サルトル大明神」とは、1960年代に学生運動家だった或る人が私へ語った表現である。もちろん冗談が交っているが、学生運動世代の若者の感覚が如実に盛りこまれ、時代を感じさせる。いっぽう現代の若者は、すぐ安易に「神」という語を使うが「大明神」は使わない。
1960年代はすでにレヴィ=ストロースらの構造主義が抬頭しており、サルトルらの実存主義は半ば過去の権威として祭り上げられ始めていたことも、この「大明神」という語から感じ取れる。
私の世代から下は、哲学の歴史というとポスト=モダンから始まっているような人が多く、今やサルトルなどほとんど読まれないようだが、当時サルトルといえば哲学など読んだことのない高校生や中学生まで名前を知っている大明神だったわけである。
当時のサルトルに該当するような思想家は、現在にはいないのではないだろうか。マルクス・ガブリエルやエマニュエル・トッドやマイケル・サンデルでは、サルトルと比べて天と地ほどの違いがあるように思われる。

 

では、サルトルは自由というものをどう考えていたか。

それを知るためにはほんらい彼が書き続けた膨大な著作をすべて読まなくてはならないが、そんなことができる人は限られているので、彼の思想を端的に伝える言葉をむりやり二つに絞って挙げてみよう。

一つは、
人間は生まれながらにして自由の刑に処せられている
という言葉である。

自由とは、大衆が考えているような快適なものではなく、つらくて苦痛をもたらすものだ、という前提で語られている言葉だ。
自由であれば、あれこれ命令されないから何でも自分で決めなくてはならない。自由であれば制限が課せられず、そのぶん選択肢は増え、決めるという作業もそれだけ煩雑になる。

たとえば、うつになったことのある人は「決められない」という苦しみを身を以て体験しているはずである。現代になればなるほど、うつは増えているといわれる。これは、人が生きていくのに際し「決めなくてはいけないこと」が増えているせいだとも考えられる。

「もし選択がそんなにつらいならば、選択しなければいい」
という人が出てくるかもしれないが、そういうわけにはいかない。
自分に代わって決めてくれる人や命令する人がいない以上、また、そういう人を持ちたくない以上、やはり選択という行為はどうしても避けて通れないのである。


「たとえいやでも、選択という作業はやらなければならない」
という意味で、刑罰をくらっているのと同じである。こうして現代人が自由という苦しみから逃がれられないことをサルトルは、
「人間は自由という刑に生まれながらにして処せられている」
と語ったわけだ。

1944年8月パリがナチス・ドイツから解放される
シャンゼリゼ通りを進行する自由フランス軍
写真・Wikimedia

もう一つは、
パリ市民がこれまでもっとも自由だったのは、ナチスに占領されている期間だった
という言葉である。

これも逆説的な警抜としてとらえなくてはならない。

フランスの首都パリは、第二次大戦中、1940年6月から1944年8月までナチス・ドイツに占領された。その期間、抵抗運動レジスタンスに加わり命がけでナチスに抵抗したパリ市民もいれば、目先の安寧に釣られ統治協力コラボラシオンとしてナチスの手先となって働いた市民もいた。

前者のレジスタンスは、もしナチスに見つかったら拷問の末に惨殺され、後者のコラボラシオンは、のちにナチスがパリから撤退したあと、同胞であったパリ市民たちによって裏切り者として晒しものにされた。

つまり、パリが占領されていた3年2ヵ月の間、一人ひとりのパリ市民はナチスという体制に抵抗するか従順するか、つねに究極の選択を迫られていたのである。

選択ができる状態を「自由」という。だからサルトルは、ナチス占領期はパリ市民にとってもっとも自由だった日々であるというのだ。

 

自由が「生きづらさ」をもたらす

自由に関して、このように本質的な指摘をしたのは、じつはサルトルが最初ではない。
すでに19世紀には、ニーチェの超人思想などにその萌芽がうかがわれると言ってよいだろう。
また、ドイツの精神分析家エーリッヒ・フロムは著書『自由からの逃走』によって、第一次大戦後の自由なワイマール憲法下で暮らしていたドイツ国民が、ナチスを政権与党に選びわざわざ不自由な国民生活を選択したのは彼ら彼女らが自由から逃げるためだった、ということをあばいている。

 

つまり「生きづらさ」は自由からやってくるのである。

自由であれば、人は選択し、葛藤し、悩まなければならない。つまり「生きづらい」。もし自由でなくなり、たとえば太平洋戦争の頃のように何事も自分で決められない社会に逆戻りすれば、私たちは、
「どうやって生きていけばいいかわからない」
などと悩む必要もない。
就労するかどうかを悩む間もなく強制的に徴兵され、上官の命令によって特攻隊の飛行機に乗せられ、命じられた通りに敵艦に突っこんで(*7)死ぬことによって人生を終われば、それでもう社会から存在承認と「生きる意味」が与えられるのだ。

こういう人生では、才能が足らないために社会から承認されない悔しさを噛みしめなくてよい。自分が持っている能力以上に他者に評価されたいという虚栄心に、自らがんじがらめになって身動き取れない苦しみを味わわなくてもよい。また、そういう悔しさや苦しみを自分以外のせいにするために、あれこれ苦労して「他責の理屈」をひねり出さなくてよい。すべては国家や社会や他者が決めてくれるのである。

特攻隊機は飛行場を飛び立った。今は洋上である。あと何分かで敵艦に突入するという戦闘機のなかで、兵士は「生きづらい」などと思っただろうか。
すべての兵士が戦死という行為に対して「お国のために死ぬ」などという栄光を感じていたわけではなかっただろうが、感じていなかった兵士の頭のなかに去来していたものも、こんにち私たちがいう「生きづらさ」とはまた違う感覚や想念だったのではないか。……

 

戦争でなくても、似たような状況は私たちの日常に起こりうる。
たとえば東日本大震災のような災害時を考えてみよう。あのとき、津波が押し寄せてくるのにひきこもっている部屋から逃げず、そのまま海に呑まれて亡くなったひきこもり当事者の方々がいた。さぞかし彼ら彼女らは、津波が押し寄せてきたのを見て戦慄と恐怖を感じたことだろう。しかし、その感覚は「生きづらさ」とはまた異質のものだと思うのである。

 

こう考えてくると、「生きづらさ」とは、死とはかなり距離がある日常のなかで自由だからこそ生じる感覚である、と言えるのではないだろうか。

しかし、いま述べてきたような自由の本質は、ほとんどのひきこもり当事者には認識されていないだろう。いや、ひきこもりではなく、社会で働いている「ふつうの人たち」も含めて、日常生活を営む現代の私たちには本来の自由の本質は認識されていないと言ってよいと思う。
なぜならば、私たちが日々迫られているのはそこまで厳しい選択ではないように見える(*8)からである。あまりに自由であると、人は自由ほんらいの意味を考える必要がないため、考えないのである。

 

では、日常生活のなかで大衆として生きている人々に「自由とは何か」を問えば、おそらくこんな答えが返ってくるのではないか。
「やりたいことができる状態」
「義務を負わず権利だけが主張できる状態」
「無責任が許される状態」

もっとも、「自由とは何か」を自ら言語化しようとするほど「意識高い系」の人は、すでに自由をこのように誤解してはいないだろうから、上記のような誤答が実際に人々の口から吐かれる機会は少ないことだろう。

いっぽう、ひきこもり当事者の多くは、
「自分はひきこもっているために生活にさまざまな制約があり、そのため自分は不自由である」
と思っているだろうから、自分を不自由にしている数々の制約のことを「生きづらさ」と呼んでいる可能性がある。

 

自由であるがゆえに「生きづらさ」があり、この「生きづらさ」ゆえに不自由である。

つまり、自由だから不自由である、ということになる。
これは矛盾しているのだろうか。
続編では、メビウスの輪のような論理循環のプロセスにはたして何があるのかを考えていきたい。

 

*7. 敵艦に突っこんで 実際には燃料が足らなかったために敵艦まで到達できた戦闘機は少なかったと言われている。いずれにせよ命じられた通りに死ぬことによって存在承認されたという点では同じである。

*8. そこまで厳しい選択ではないように見える 「見える」だけで本当は「そこまで厳しい選択である」場合も考えられるが、議論が拡散しないように今はそのフェーズには立ち入らない。

 

・・・いまさらだけど「生きづらさ」の正体って何だ 第5回へつづく

<筆者プロフィール>

ぼそっと池井多 中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
ひきこもり当事者としてメディアなどに出た結果、一部の他の当事者たちから嫉みを買い、特定の人物の申立てにより2021年11月からVOSOT公式ブログの全記事が閲覧できなくされている。

著書に世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(2020, 寿郎社)。

詳細情報 : https://lit.link/vosot
YouTube 街録ch ぼそっと池井多
Twitter (X) : @vosot_ikeida
Facebook
 : チームぼそっと(@team.vosot)

Instagram : vosot.ikeida

 

関連記事

www.hikipos.info

www.hikipos.info

www.hikipos.info