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生きづらさと「ガチャ」【 いまさらだけど「生きづらさ」の正体って何だ? 第6回】

写真・ぼそっと池井多

 

文・ぼそっと池井多

・・・「第5回」からのつづき

www.hikipos.info

人生が意の如くなるとは

前回、このシリーズの第5回では、ある台湾のひきこもり当事者が語った「人生不如意」という中国語が、けっして逐語訳ではないものの「生きづらさ」という感覚をよく表わしていると書かせていただいた。

人生不如意。人生は意の如くならず。
そういうときの「意」とは何だろうか。
「意志」「意思」「意図」といった語が思い浮かぶ。
では、それらははたして何によって妨げられるから「不如意」になるのだろうか。

もし自分の能力が足らなくて意の如くならないのであれば、「努力して能力を獲得すればいい」と言われることだろう。ところが、「生きづらさ」を訴える側からすると、「努力しても能力が獲得できない」から、あるいは「努力そのものができない」からこそ「意の如くならない」のであり「生きづらさ」が在るということになる。

それでは、「生きづらさ」を訴える側は、なぜ能力が獲得できないのか。なぜ努力そのものができないのだろうか。
これらの答えは究極的に環境要因、つまり「環境によって決定されていて、今さら変えられないものに縛られているから」ということになるだろう。そして、このことを現在の日本語でもっとも凝縮して表現している言葉は「ガチャ」であると思う。

「親ガチャ」「国ガチャ」などと言われるときの、あの「ガチャ」である。

 

意志の力で何とかなるのか

さて、ここで本シリーズ第4回に述べたサルトルに再び登場してもらおう。
サルトルは、日本語に「生きづらさ」という語彙が登場する前、現在の8050問題の親御さんたちにあたる団塊の世代が若いころ、神のように信奉していた哲学者である。

サルトルの自由というものに対する考え方は、
「人間は生まれながらにして自由という刑罰に処せられている」
「パリ市民がこれまでもっとも自由だったのは、ナチスに占領されている期間だった」
という二つの言葉に集約できる、と第4回に書かせていただいた。

もしサルトルがこんにちの日本語「ガチャ」を聞いたら、何というだろうか。

たとえばツイッター(現X)など見ていると、昨今の「生きづらさ」は典型的にこのように語られる。
「自分は親が毒親だったので、どうあがいても社会で勝ち組にはなれない。つまり自分が社会の負け組であるのは親のせいである。こうして自分は親ガチャの被害者として一生、生きていかなくちゃならない。ところが、世間はこれをオレの自己責任といい、誰も助けてくれない。だからクソみたいな人生だ。このクソっぷりがオレの生きづらさだ」

私の親も毒親だったので、こういう声にはついつい同調したくなってしまう。すべてを親ガチャのせいにしてしまったほうが、自分は責任をまぬがれ、面目が保たれ、無罪放免となって楽な気がするのだ。

しかし、サルトルはきっとこう言うのではないか。
「それはおかしい。それでは、あなたに意志(*1)がないことになってしまう。実際はそうではない。あなたはあなたの意志によって今そこにいる。これからも、あなたはいくらでもあなたの意志によって成りたい者になれる可能性があるはずだ」

つまり、もしナポレオンの辞書に「不可能」の文字がなかったというのなら、サルトルの辞書には「ガチャ」の文字がなかったのである。
親に恵まれなければ親から逃げればよい。国に恵まれなければ国から逃げればよい。あるいは国を自分たちで変えればよい。環境に恵まれなければ環境を変えればよい。「ガチャ」などと言っている暇があったら、意志によって新しい環境を自分のまわりに築けばよいだけだ。

だからこそサルトルは、
「パリ市民がこれまでもっとも自由だったのは、ナチスに占領されている期間だった」
などという恐ろしい言葉がいえたのである。
まさに「意志絶対主義」(*2)と呼びたくなる考え方がサルトルの思想であった。

 

意志の力を信じるから、サルトルは責任という概念にも厳しかった。
これは今さら説明は要らないだろう。うっかりやってしまったのではなく、「こうしよう」という意志をもってやったことに、人は責任を取らなくてはならない。皆が皆、やりたいことだけやって責任を取らなかったら、世の中がメチャクチャになるからだ。
サルトルの考える人間社会は、「自己責任」という概念が批判され、中動態という概念が乱用されて、人間の行為が「現象」に捉えられる傾向の強い近年の社会とは、そういう意味で対極にあるのかもしれない。

 

さて、こう述べてくると、きっと私に近しい周囲の人たちは
「意志によって変えられないものはどうするのか。たとえば顔とか」
といった質問をしてくるのではないかと想像する。

今では顔も美容整形手術でだいぶ変えられるようになったそうだが、当時はたしかにそんなことは無理であった。そしてサルトルは、強度の斜目(すがめ)だったから、美男からは程遠かった(*3)のである。

サルトル 1967年 写真・Wikimedia

しかし、ほぼ生涯を通じてサルトルはモテ男であった。それは容貌の不利を補って余りあるだけの話術と優しさを、彼は身につけていたからである(*4)

つまり、顔という、意志によって変えられないものさえも、サルトルはこのようにして意志によって変えたに等しい。

 

「こんな僕でもできたんだから」

ここで、サルトルが私自身の人生にどのように関わってきたかを語っておかなければならない。

若いころ、私はサルトルが大嫌いであった。
高校時代、少しは教養をつけようと仕方なくサルトルの入門書など読んでみたことはあったが、さっぱり興味を惹かれなかった。

大学へ入ると、私は人生が母の言いなりになっていくのがいやで、ことさら怠惰な学生になった。
私が入った大学では、3年生に上がるときに専攻ゼミと主任教授を決めなくてはならない。しかし1、2年でアルバイトばかりして成績は低層階をさまよっていたために、私をゼミへ入れてくれるような教授はいなくなっていた。そこで、文学部のない私の大学では異端であるフランス文学を専門にしているS先生のゼミにお情けで入れてもらった。S先生のゼミは、他に行き場をなくした劣等生たちの受け皿となっていたのである。

 

ところがゼミに入ってみると、S先生はうちの大学では冷や飯を喰わされていたものの、世界的には優れた人であることがわかってきた。彼は2つの専門を持っていたが、そのうち1つがサルトルであり、サルトリアン(サルトル主義者)を自認するだけあって、考え方はサルトルをそっくり継承していた。

そんなS先生の口癖が、
「こんな僕でもできたんだから」
というものだった。

「こんな僕でもできたんだから、他の人ならば簡単にできるだろう。キミにできないわけがない」
という意味で使われた。

この言葉を出されると、何やら持ち上げられて「できません」と言えなくなってしまう。ましてや、できない言い訳など一つも並べることができない会話状況が作られた。

S先生の言葉を額面通り受け取るならば、彼は、
「自分は、とくに何かの才能や資質に恵まれているわけでもないから、コツコツ努力するしか能がないのだ」
と自己認識しておられるようだった。
しかし、S先生は嫌味なまでに謙遜して「こんな僕でもできたんだから」と言っているのか、それとも本当に自己評価が低いのかは、判別がつきにくくもあった。

 

私から見ればS先生は「もともと」が私などが足元にも及ばないくらい優秀で恵まれた人だった。
裕福な名家に生まれ、御父君も歴史に名を遺す大学教授であり、ご自身も東大を首席かそれに近い成績で卒業されていた。そういうS先生であればこそ、何でもできるのは当然と思われた。

それに「コツコツ努力する」ということができること自体、偉大な資質だったのではないかと後年にして私は思う。
私などはコツコツ努力しようと思っても、まず「コツコツ」ができない。集中力が続かない。発達特性なのか、すぐに疲れてしまう。飽きてしまう。しかし、こういうことさえも、おそらくS先生からすれば、
「だったら5分やって10分休み、5分やって10分休み、という積み重ねでゆっくり進めばいい。どうしてもやりとげたいという意志があれば、それでできるはずでしょう。疲れて、飽きて、それでやめてしまうのは『そこまでしてやる意志はない』ということに他なりません」
とおっしゃるにちがいない。

S先生は非常に超自我が肥大した方だったので、傲慢な物言いはされなかった。そのため、たとえばこんなことは言わなかった。
「意志の力で何とかなる。何とかなっていないのは、それはキミがそうしようという意志を持っていないからだ。努力していないからだ。私は意志を持っているから、才能や資質がなくても何とかできるのだ」

しかし「こんな僕でもできたんだから」というひと言で、まさにそう言っていたのに等しい。そしてこういう意志のとらえ方は、まさにサルトルの「意志絶対主義」だったのである。

私は実父がとても弱々しく尊敬できない人だったので、やがてこのS先生に父親像を投影するようになっていった。S先生はサルトルに父親像を投影しているように見えた。そのため、若いころの私にとってサルトルとは、間接的に私の努力不足と意志の欠如を指摘する、写真や映像でしか会ったことのない、厳格な祖父のような存在だったのである。

 

意志を持っても何にもならないのか

サルトルの「意志絶対主義」は、やがてレヴィ=ストロースを初めとしてさまざまな方面から批判されていくことになる。

なかでも私が本稿で対抗馬に挙げたいのが、サルトルの死後に注目されるようになった社会学者のブルデューである。サルトルとブルデューがとくに論敵であったという史実はないが、私は二人のあいだに強い対立軸を見出すものである。

これまた超ざっくりと要約してしまうと、サルトルが、
「人は意志さえあれば何者にでも成れる」
と言ったのに対し、ブルデューは、
「人は意志を持っても目指す者にはなれない」
と言ったようなものである。

ここではブルデューのような考え方を「環境決定論」(*5)に入れてみよう。

 

「環境決定論」と「意志絶対主義」の対立は、なにも20世紀後半に始まったものではなく、「決定論」と「非決定論」の対立という形で、すでに古代ギリシャの昔から存在していた。

それぞれの時代ごとのパラダイムを素地として、ある時は神学論争として、ある時は宇宙論として、またある時は実存哲学として議論されてきたが、「人間は意志の力で何とかなるものか否か」という問題はいまだに決着がついたとは言い難いのではないだろうか。

これまたざっくりとした年表ではあるが、私なりに「決定論」と「非決定論」の対立の系譜を図にしてみた(*6)ので掲げておく。

 

生きづらさは「ガチャ」から来ているのか

ブルデューが言ったことは要するに、
「カエルの子はカエル」
である。育ってきた環境によって、人はどのような大人になるか決定づけられる、というのだ。

「親ガチャ」は、こんにちの日本で環境決定論が矮小化されて語られているワードだが、ここへ到る流れはブルデューからも来ている。

また、そうであるがゆえにブルデュー信奉者のなかには、ブルデューを自分の意志薄弱や努力不足を正当化してくれる大恩人として神輿に担いでいる人々もいるように思えてならない。

「親ガチャだから自分は不利だ。だから人一倍、自分は努力しよう」
という文脈で「親ガチャ」が用いられるのは聞いたことがない。
「親ガチャだから自分はどんなにがんばってもどうせ負け組なんだ。こんな不平等な世の中はクソだ」
という文脈で用いられる投稿ばかりである。
つまり、「親ガチャ」は必ず嘆く対象なのだ。

もし環境決定論を信じているなら、たとえば自分が望むような勝ち組になれなくても、それはこの世に生まれ落ちた時からの宿運であったとあきらめて、「親ガチャ」「国ガチャ」などと恨み節を吐くこともなく、己れの人生を受け容れて生きていくのではないだろうか。
ところが、そうはなっていない。「親ガチャ」「国ガチャ」と嘆いている。
ということは逆に、自分に関する周囲だけを世界の一部として切り取って不平等だと憤り、「がんばれば何とかなる」と上昇志向の欲望を持つからこそ、がんばる努力がしんどくて「生きづらさ」を感じ、嘆く対象として「ガチャ」が意識されていると言えるのではないのだろうか。

つまり、ブルデュー的な「環境決定論」を心底信じている人には「生きづらさ」はないはずであり、「生きづらさ」が感じられるのはサルトル的な「意志絶対主義」を奉じ意志も責任も信じているからこそなのではないか、という考え方もできるのである。

したがって、「生きづらさ」という概念は、一見するとブルデュー的な思考から出てくるように見えるが、よく考えるとそうではなく、サルトル的な思考の産物だということがわかる。

すると、「生きづらさ」を訴える人が「自己責任」という概念をもっとも批判し忌み嫌うのは大きな矛盾である。次回以降は、そこにはいったい何があるのかを考えていきたい。

 

「生きづらさ」を考えるイベントへのご招待

私のこのような「生きづらさ」に関する思索はまだ続いていくのだが、本シリーズの前回もお伝えしたように、ひきこもり界隈の他の皆さまにご意見を伺いたいので、9月に「生きづらさ」に関して2つのイベントを開催させていただく。

1つめは9月7日に行なうオンライン対話会「4D(フォーディー)」である。

もし「生きづらさ」とは何かについて関心はあるけど、東京まで遠くて行けないという方はぜひこちらにご参加ください。

詳細ページは https://hikipla.com/events/2359

参加申込みは https://bit.ly/3RxFHLn

 

2つめは、9月29日(土)に東京・練馬でリアル開催する
秋の空シンポジウム「私たちの生きづらさの正体って何だ?」
である。

当日は会場の皆さまにも積極的にご発言いただける進行を考えております。
「生きづらさ」に関してご関心があり、会場参加ができる方はふるってご参加ください。
いずれも「意見のちがいは楽しむもの」をモットーにしております。
言論の自由を尊重できる方のみ歓迎です。

詳細ページ https://hikipla.com/events/2310

参加お申込み https://bit.ly/3RxFHLn

いずれもご参加をお待ちしております。

 

・・・いまさらながら生きづらさって何だろう 第7回につづく

 

 

*1. 意識 / 意志 / 意思 / 自由意思

 これらの区別は非常に複雑であり、哲学・精神分析学・脳神経学など各分野からさまざまな見方があることだろう。素人なりのおおざっぱな区別にすぎないが、いまの私の見方を参考までに述べておく。

意識(conscience) 自分自身や周囲の環境に対する認識や気づきを指し、自分の考えや感情、感覚、記憶などを自覚しこれらに対して反応する能力を含む。

意志(volonté) 何かを成し遂げようとする積極的な意欲であり、そこには感情も入っている

意思 (intention) 何かをしようとする時の元になる気持ち。

自由意思 (libre arbitre)何かをしようという自由な思い。

したがって、文脈によっては「自由な意志」=「自由意思」ともいえる。またサルトルは「意思」=「意識の志向性」として捉えられているきらいがある。

「人間は意識をもって物事を判断し言動している」と一般に考えられているが、実際には人間の判断や言動は意識とは関係ない脳の領域で形成されていることがベンジャミン・リベットの実験などにより傍証されている。
またダニエル・デネットは、脳のなかで判断を下す無意識を、たとえばアメリカという国家において最終判断を下す大統領に例えるならば、その無意識を社会に向けて説明する意識は、大統領とほとんど接することがないホワイトハウスの報道官に例えられるとしている。
この解釈によれば、意識とは脳の活動にともなった現象にすぎず、「人間は意識による判断で外界に働きかけている」という考え方、すなわち「自由意思」というものが存在するという考え方は、ほぼ錯覚であると言わなくてはならない。
しかし、このように「自由意思」というものを脳生理現象にまで還元してしまうと、そもそも「生きづらさ」も論じられなくなるので、本稿はたとえ不正確ではあっても、自由意思や意志というものがあると仮定して当座の論を進めていく。

*2. 意志絶対主義 もちろんここでは、わかりやすくするために極度に単純化している。さすがのサルトルも「意志が絶対である」とまでは言っていない。サルトルは、論敵であったヤスパースのいう「限界状況」に当たる概念もじゅうぶん理解していた。サルトルが環境を決定要因として重要だと認識していたのは、たとえば『家の馬鹿息子』や『聖ジュネ』といった作家評論において、人間が幼少期から宿運によって選択の幅を決められる過程を描いていることでもわかる。しかし、人間はそういう選択肢の限界と戦ったり、あるいはそれを超越したりして、新たな人生を選び取っていくものだとサルトルは言っているわけである。

*3. サルトルは美男から程遠かった ルッキズムで人間を判断しているわけではない。

*4. サルトルは容貌の不利を補って余りあるだけの話術と優しさを身につけていた
それは日本人が書いたこんな回想録からも伺われる。
朝吹 登水子『わが友サルトル、ボーヴォワール』読売新聞社  1991年。

*5.  環境決定論 サルトルを「意志絶対主義」と単純化したように、ブルデューを「環境決定論」と呼ぶのも単純化である。ブルデューの理論はそんなに短絡的なものではない。ただしブルデュー自身、「文化資本」「ハビトゥス」といった概念で成育歴の影響力の強さを理論化しているので、関心のある方は彼の著書『ディスタンクシオン』などをご参照いただきたい。

*6. 「決定論」と「非決定論」の対立の系譜 スペースの関係でこの図には盛り込めなかったが、ほんらい「決定論」と「非決定論」の対立の系譜を示すには、中世のキリスト教神学と19世紀以降の近現代哲学のあいだに、17世紀の科学革命の時代を入れなくてはならない。

そのころはスピノザが決定論の立場から自由意思を否定し、ライプニッツは自由意思と決定論を両立させようとして苦労し、「古典物理学が正しければ未来ははるか昔からたったひと通りに決まっている」とする「ラプラスの悪魔」などがあらわれた。
その後、量子力学のコペンハーゲン解釈によってこれがひっくり返り、現在ではシュレーディンガー方程式により未来は多くの世界が並行して存続しているということになっている。このような並行世界説は一種の決定論だが、「一つの世界から見れば決定論ではない」ということになる。いわば「決定論」と「非決定論」が止揚されているわけだが、これさえ未来はどう変わるかわからない。わからないが、決定論によればそれすらすでに決定されているのだろう。

 

<筆者プロフィール>

ぼそっと池井多 中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
ひきこもり当事者としてメディアなどに出た結果、一部の他の当事者たちから嫉みを買い、特定の人物の申立てにより2021年11月からVOSOT公式ブログの全記事が閲覧できなくされている。

著書に世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(2020, 寿郎社)。

詳細情報 : https://lit.link/vosot
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