文・
編集・ぼそっと池井多
はじめまして、私は最近32歳になった男性で、とよなかリレーションハウス(略称:リレハ)で “管理人”をしている
リレハは、大阪府北部にある、ひきこもりの世界ではたぶんちょっと有名な「ウィークタイ」というNPO法人のイベントスペースです。
管理人は、このリレハに住みながら、ウィークタイが主催や関連をするイベントを開き、建物の掃除やゴミ出しをするのが仕事です。私が管理人になって1年半が経ちました。
ひきこもり状態ではないが、広い意味での当事者
私自身は、状態としてひきこもったことはたぶんないです。
就活ができそうになくて大学を休学し、けっきょく就活せずに卒業してニートになり、その後も重めの吃音で障害者手帳を持っていたり、人生に何度もつまづいたりしているのですが、厚労省がひきこもりを定義するような「半年以上、家庭にとどまり続けている」状態は経験していません。
はじめリレハの管理人になることを提案されたとき、こんな私が、ひきこもり界隈で名の知られたウィークタイにかかわり、管理人という仕事を担っていいものか、とためらいましたが、ひきこもりについて社会でされてきた議論を知るにつけ、ひきこもりは懐の深い概念であり、自分が担ってもよいだろうと、若干の正当化をして活動をしています。
ひきこもりって、単に「半年間、家庭にとどまり続けている」というのをこえた議論がたくさんされていますね。
たとえば、社会学の方面でひきこもりを研究している石川良子さんは、『ひきこもりの<ゴール> 「就労」でもなく「対人関係」でもなく』(*1)で、当時「ニート」についての言説を代表した経済学者、玄田有史さんの「働く上で必要なのは意味ではない。リズムだ」という言葉を引きながら、いや、ひきこもりの人にとっては<意味>こそが重要なのだ、というようなことを語っています。
なぜひきこもりの当事者が<意味>を問うのかというと、
社会や他者への不信感や恐怖感、他者と交わって社会で生きていくことへの抵抗感や躊躇、さらには自己に対する不信感や確信のなさを抱いているため
と述べられており、これは自分にもまさに当てはまることだと思います。
*1. 石川良子『ひきこもりの<ゴール> 「就労」でもなく「対人関係」でもなく』2007, 青弓社
ほかにも、精神科医の鈴木國文さんは『「ひきこもり」に何を見るか』(*2)におさめた論考で、近代は若者に対して特権的に社会から超越したものにふれる可能性を与えたが、1970年代以降は若者が超越したものにふれることはむずかしくなっており、そのなかで多くの若者はマニュアルによって支配された社会に適応していくが、一部にそれがうまくできない人たちがいると指摘して、ひきこもりを論じています。
鈴木さんはひきこもりを「同化志向型」「葛藤型」「脱臼型」に分類していますが、
「葛藤型」のひきこもりの人たちは、マニュアル的な適応を軽んじ、自分にとってもっと本来的なあり方があるはずだと求め、自身の現状を認めようとしない。
(……引用者による中略……)
彼らがこだわる外部の体験と引き受けるべき社会的役割の間で何らかの葛藤を示し、ある種の神経症的な心性を維持している。彼らはしばしば他者から値踏みされるような試練を避け、自分の社会的価値を不明にしたままひきこもる。
という文章を読むにつけ、自分はこのタイプの人間だなぁと感じ入るところがあります。
*2. 鈴木國文ほか『「ひきこもり」に何を見るか-グローバル化する世界と孤立する個人』2014, 青土社
精神科医でいえば、youtubeで流行りの早稲田メンタルクリニック益田医師もこのように語っています。
ひきこもりの人は、群れの一部でいるということよりは、社会というものが人間の集まりというより個々の人間の独立した集まりだと思っている節があります。そういう中で戦って勝つためにはやりたいことをしなければいけないんじゃないか、幸せになるためにはやりたいことをやるしかないんじゃないかと思って、とても不安になったりしているみたいです。(*3)
*3. https://wasedamental.com/youtubemovie/6520/
早稲田メンタルクリニックホームページ「ひきこもりの治療。自己中心性→脱中心化、社会化」(2022)
やりたいことをやらなくて幸せになるというのが、私には怖いように感じられますが、たしかに周囲の多くの「大人」を見るとそういうものかもしれないとも思います。
このように本を読んだりYoutubeを見たりするなかで、ひきこもりには奥深さがあり、その意味では、自分はまさに当事者といえるなぁと思うようになってきているのです。
そんななかで特に面白く読んだのが、漫画『NHKにようこそ!』(*4)でした。
これも、主人公の佐藤君はひきこもっていましたが、ヒロイン岬ちゃんや、後輩のオタク山崎、先輩の柏さんとその夫の城ケ崎、委員長とその兄、出て来る若者たちは、状態としてひきこもってはいなくても、みんな若者の悩みを抱えて生きていました。
それは、ひきこもりの心性と同一線上にある何かだと思います。
私はこの本をウィークタイの代表に教えてもらいました。00年代にすごく共感して読んだと代表は言っていましたが、私もよくわかるなぁと思います。
もう32歳という年齢で、『NHKにようこそ!』に登場する若者たちより年上となり、それでもまだうまく社会適応ができない自分ですが、我が事として感情移入して読んでいます。
*4.滝本竜彦ほか『NHKにようこそ!』2004~2007, KADOKAWA
リレハの管理人をしていてとても楽しいのが、ひきこもりの運動や活動をかつてしていた人たちと話せることです。
代表がときどき友人たちを連れてくるのですが、いま30代後半から40代の人たちが、かつてこういうふうにつながり、青春のエネルギーを燃やしていたのだなと思いをはせています。
NPO法人ウィークタイは、00年代に代ゼミに通う浪人生の集まりに、当時通信制高校に通っていた現代表が行くようになったことに端を発します。
関西のひきこもりの活動では、「「社会的」ひきこもり・若者支援近畿交流会」が2017年に発刊した『「社会的」ひきこもり・若者 支援機関マップ』によって、当事者性のある若者たちがたくさんつながることが重要だったらしいということを聞いて、あぁ、そういう活動があったから、いまこうして自分はここにいることができるんやなぁと、上の世代が集まり親しく話す様子を見て思っています。
動けたり語れたり
ひきこもりについての議論を見ていると、そういった活動や運動の積み重ねに敬意を払いつつ、活動ができない人たちのことを考えることも大事だと思います。
『ひきこもり新聞』創刊号(2016)に、「入間のひきこもり」氏が文章を寄せておられ、そこには「活動力のあるひきこもりに違和感」という小題とともに、以下のような一節があります。
私は、10年以上ひきこもっている当事者です。今回ひきこもり新聞に意見を寄せようと思ったのは、活動力のあるひきこもり界隈の人達によって、ひきこもり界隈からも疎外された多くのひきこもりが、置いてけぼりにされて見捨てられていると感じたからです。
(……引用者中略……)
そこで私はひきこもりについては、「動けなさ」を主体に捉えていくべきだと思います。
この記事は、
ひきこもりとは「動けない不在の存在」です。したがって、「場にいないひとへの想像力」が大切だと思います。ひきこもり当事者が「語れる一部」の人に限定されないことを望みます。(*5)
という一文で締めくくられます。
*5.「動けなさへの配慮、不可能性を生きるワタシ」『ひきこもり新聞』創刊号(2016)
http://www.hikikomori-news.com/?p=233
宮地尚子さんによる『環状島 トラウマの地政学』(2007, みすず書房)にもあるように、本当に苦しんでいる存在は声をあげることができません。
*6. 宮地尚子『環状島 トラウマの地政学』2007, みすず書房
ぼそっと池井多さんも、環状島モデルと同様に同心円モデルの図を使いながら、「サバルタン的当事者」「ガチこもり」という言葉でひきこもりの<動けなさ>や<語れなさ>を述べられています。
こちらの図は、環状島モデルでは「内斜面」(ぼそっとさんの図のL3~L1)と「内海」(ぼそっとさんの図のL4)にあたり、「当事者」のポジショナリティ(位置性)が示されています。
動けなさや語れなさをひきこもりの中核として見ることは、社会学者の関水徹平さんの論文「ひきこもり経験者による当事者活動の課題と可能性――当事者概念の再検討を通じて」(2018)や石川良子さんの『「ひきこもり」から考える――<聴く>から始める支援論』(2021, ちくま新書)にも見られます。
リレハの管理人をしつつ、こうして文章も書いている自分は、サバルタンとは言えないでしょう。
ひきこもりにまつわる当事者団体で役職を持って活動することは、ある意味で当事者を代表して何かをすることですが、実際の当事者性は軽い方だと言えると思います。
ぼそっとさんの図では、私は基本的にはL1の層と言えそうです。
ひきこもりに関する団体として活動するにあたって、リレハの集まりに来ることができない<動けなさ>がある人のことを忘れてはいけないと思っています。
あるひきこもり団体では、「ここに来ることができない人のための椅子」が用意されているそうです。どれだけ人がいっぱいでも、そこには誰も座らないのです。
「支援者」として「正しく」振る舞うというのではなく、自分も一般社会では<動けなさ>を味わってきたことを思い出して、配慮ができればいいのだと思います。もっとも、私自身が、いま今後の生き方や仕事について悩んでおり、時に<動けなさ>を深く味わうこともあります。
基本的にL1の層にいながら、ときにL2に移動するようなこともある、そういう流動性があるのだと思います。
クラファンと活動へのご協力、ご参加のお願い
とよなかリレーションハウスは、2017年からの7年間、不登校の子や、ひきこもり、孤独、不安にある若者、ひきこもり経験者など、あらゆる年代の人が集まれる場を提供してきました。
行政が運営する居場所ではできない、宿泊や飲酒もOKの自由な場です。
しかし今、財政的な危機にあり、クラウドファンディングで資金を募っています。
クラファンでおひとり3000円以上寄付をしていただけると、一般のNPOから認定NPOへ近づくことができ、財政面で大きく安定します。
どうかご協力をお願いいたします。
ご寄付はこちらのサイトからお願いします。
また、私たちの活動を手伝っていただける方も募集しています。
助成金を探したり、その申請の手続きをしたり、広報をしたり、リレハでイベントを開いたりといった仕事のお手伝いです。今はほとんど謝金を出せる状態ではないのですが、お金が回る仕組み作りも含めて、一緒にご協力いただけたらと思います。
そして何より、遊びに来ていただけたらうれしいです。
みんなで勉強や作業を持ち寄る「もくもく集会」、みんなでご飯を作って食べる「もぐもぐ集会」、一緒に映画を見る「なにかの映画を見る会」など、リレハでは様々なイベントが定期、不定期に開かれています。
詳しくは、ウィークタイのX(twitter)をご覧ください。