文・写真 ぼそっと池井多
閉ざされたままの一階
父親が長男を刺殺したその家は、私のひきこもり部屋から自転車で行ける距離にある。
そこを通りかかったのは、9月上旬の台風15号が通り過ぎた翌日の日暮れ時であった。
すでに多くのメディアに掲載された写真で見たとおり、長男が生活していた一階は雨戸が閉てられ、二階だけが使われている様子である。一家の主であった父親は、いまこの家の中にはいない。メディアにはいっさい出てこない母親が、独りで二階で暮らしているのだろうか。
農林水産省のOBたちが、同省の事務次官であった父親の減刑嘆願を求め、署名運動を始めたという話も聞いた。一時期、そんなツイッターが出回ったが、風当たりを気にしたのか、すぐに消えてしまった。
いっぽうでは、その話を聞いて腹を立て、むしろ彼の刑罰を重くし、刑期を長くする署名運動を始めよう、と言っているひきこもり仲間もいた。
親は子を殺す権利があるのか
私も、その気持ちはよくわかる。
事件を聞いたとき、私はまっさきに殺された息子に自己投影し、自分もいつ殺されるかわからなかった、と思った。
同種の事件はときどき起こる。
1992年に埼玉・浦和の高校教師であった父親が、妻とともに23歳の長男を刺殺した。妻も名門校の出身で、次男が通う中学校のためにはPTA副会長を務めていたという。
後ろ指のさされない社会的身分であったからこそ、長男の社会的秩序からの逸脱は許せなかったのだろう。そして、この時の地裁判決は殺人者には軽く、夫婦ともに懲役3年、執行猶予5年に留まったのである。
つまり、親のいうことを聞かないひきこもりの息子は、親から殺されても当然、といわんばかりの司法判断が、当時の裁判所からは下されたのであった。
そのような歴史的背景もあるために、殺人者である父親に厳罰を求めるひきこもり当事者たちの声も、たぶんに理解できるものである。
柔軟な法運用による建設的な判決を
しかし、私は考えるのだ。
もし厳罰を適用し、父親の刑を長期化させるならば、それはこの殺人者の思う壺なのではないか、と。
彼が長く刑務所に入っていたところで、同様のひきこもりをめぐる社会的状況は、それによって少しも良くなることが期待できない。
では、いったいどのような判決にしたら、一人の中高年のひきこもりの命が犠牲となったこの惨劇が、日本のひきこもりをめぐる状況を改善に向かわせる期待が持てるだろうか。
ここで私が、いっけん脈絡もなく思い出すのは、ドイツの話である。
第二次世界大戦への反省から、ドイツには日本でいうヘイトスピーチ規制法のようなものが古くからあり、ユダヤ人に関して差別的な言動をおこなった者は、たとえ高校生のような未成年であっても裁判にかけられる。
何年か前のことだが、ある高校生がユダヤ人をゲットーのようなところへ追いこんで「始末する」ゲームを作り、拡散した。そのため、その高校生は裁判にかけられたのだが、裁判長の下した判決には人間的な味があった。
少年院への送致などではなく、ドイツ国内にある強制収容所の跡を見学し感想文を提出せよ、という判決だったのである。
対話せよ、殺人者。
日本でも、法の運用を柔軟にして、似たような判決をこの父親に下せないものだろうか、と思う。
いま、この殺人者に、社会的な意味で求められているのは「語る」ことであろう。
彼がどのように家庭の中で父親を務めてきて、子どもに対してどのように考え、どのように悩み、どのように結論してあのような凶行に至ったのかを、他のひきこもり当事者のいる前で語ってほしい。そして、ひきこもり当事者たちと対話してほしいのだ。
それも一度や二度ではなく、何回も何回も、である。
なぜならば私は、「語り」というものは繰り返していくうちに変わっていき、「どうすればよかったか」という所へおのずから向かうものだと信じているからである。
彼は彼なりに、かつて日本の政治の中枢にいた優秀な頭脳を以って、考えに考え、自らの社会的責任を果たすつもりで、長男の命を奪ったのだろう。そうであるならばなおさら、それを語り、対話することは、今や彼にとって社会的な義務ですらあると思う。
だが、それはおそらく彼にとって、刑務所の中に入っているよりも、よほどつらいことであるにちがいない。しかし、だからこそ私は提案するのである。ほんとうの厳罰化とは、刑期を長くすることではなく、彼が真情を語り、私たちと対話することである、とあえて言う。
それこそが建設的な、いや、のみならず、ひきこもりを批判する人たちがよく言う「生産的な」刑罰であるといえよう。
私はときどき「ひきこもり親子 公開対論」という催しを開いているが、ひきこもりという現象を恥として、家庭という密室に封じこめることが、いかに彼らが考える「解決」とは逆の方向にむかっているかを毎回深く考えさせられる。
もし父親が「ひきこもり親子 公開対論」に来て、親の立場から登壇してくれるのなら、私は子・当事者の立場から対等にこれを迎え、謹んで対論させていただくであろう。
(了)
< 筆者プロフィール >
ぼそっと池井多 :まだ「ひきこもり」という語が社会に存在しなかった1980年代からひきこもり始め、以後ひきこもりの形態を変えながら断続的に30余年ひきこもっている。当事者の生の声を当事者たちの手で社会へ発信する「VOSOT(ぼそっとプロジェクト)」主宰。
facebook: vosot.ikeida
twitter: @vosot_just