文・ぼそっと池井多
私はひきこもりだから、もともとあまり外へ出ないが、冬のこの時期はいよいよ外に出ない。
寒いからでもあるが、それにも増して日照時間が短いからである。
冬至の前後に鬱になってひきこもる人は、私自身もふくめ、私のまわりでは多い。
陽光にあたる時間が少ないから体内でセロトニンが合成されないためと説明され、冬季うつや季節性情動障害といった病名がつけられるが、病気であるよりも前に、これは人間的自然に基づく当たり前の変化なのではないか、とも思うのである。
「自然」というと、人の手が加えられていない野山や海の風景を思い浮かべるかもしれないが、私は「人間的自然」(*1)という言葉で人間の身体や心に人の手が加えられていないナチュラルな状態を考えている。
陽が短く寒くなる季節は身体の動きが鈍くなり、頭のめぐりも悪くなるのが「人間的自然」ではないか、というわけだ。
すると思いを
クリスマスの本来の意味
人類学者として知られるレヴィ=ストロース(*2)は、1952年『レタンモデルヌ』(*3)に「火あぶりにされたサンタクロース」(*4)という論考を発表した。そこには、いま私がいだいた疑問への答えのヒントが隠されている。
クリスマスというと、日本人の私たちはキリスト教のお祭りだと思っている。イエス・キリストの誕生日が12月25日で、クリスマス・イヴはその前夜祭なのだ、と。
ところが、イエス・キリストが生まれたのは12月25日でなく、実際は4月ごろだとも、10月初めとも言われているらしい。(*5)
もしそうだとすると、12月25日のクリスマスとはいったい何なのか。
これはもともと、ヨーロッパにキリスト教が入ってくる前に、そこに住んでいた古代ローマ人やケルト人(*6)たちが行なう冬至祭の日程だったという。
冬至の前後は、太陽の力が一年のうちで最も弱くなる。
気温は下がり、 草木は枯れ果て、動物を見なくなるこの季節に、人間もまた生命力が衰え、死に近づくと古代ヨーロッパ人たちは考えた。
それは決して大げさではない。昔の人は不作だった年の冬には飢え、文字通り死に近づいていただろう。
また彼らにとって、昼は生者たちの、夜は死者たちの時間であった。
だから、昼間が短く夜が長くなるこの季節に生者と死者のパワー・バランスが崩れ、死者たちが生者の世界に侵入してくると考えた。
現代の私たちがこの時節に感じる「動けなさ」や「鬱っぽさ」を、彼らは死者の力が優位になったことで生じる現象と解釈したのである。
そこで彼らは、冬の生活空間から死者たちを追い払おうとした。
どのように追い払ったのか。
贈り物をしたのである。
私から見ると
つまり、死者たちに自分たちの生活の場からのお引き取りを願うべく、ご機嫌をとるために何か物をつかませたことがクリスマス・プレゼントの起源である、というようなことをレヴィ=ストロースはいう。
支援によって商圏へ取りこむ
第2次世界大戦で荒廃したフランスの国土。
ノルマンディー上陸作戦後のファレーズ村。
1945年 写真・Wikimedia
第2次世界大戦は日本など敗けた国の社会を激しく変えたが、勝ったはずのフランスも戦場となったために国土が荒れ果て、戦後の社会には大きな変化がもたらされた。
連合国軍としてともに戦ったアメリカはフランスが立ち直るのをしきりに助けたが、それはフランスを経済的に復興させると同時にアメリカの商品を買うように仕向けるという資本主義の戦略にもなった。
そのときに、古代ローマ人やケルト人たちのものであった冬至祭が、うまくキリスト教徒の生活に組みこまれ「イエス・キリストの生誕祭としてのクリスマス」となっていったのである。
「この日には、皆さんたくさんお買い物をして、お互いにプレゼントを捧げ合うものです」
という習慣を演出することにより、アメリカ資本主義はフランスを自国の製品の市場として開拓することに成功したのだ。
それはちょうど今の日本にとってのハロウィーンのようなものだろう。
ハロウィーンはほんの一世代前まで日本では習慣になっていなかった。私などは、ハロウィーンといえば中学の英語の教科書の中だけで知っている祭りであった。
それが今では毎年、大都市の繁華街は警察が出動するほどの大騒ぎとなる。大都市だけではない。警察は出てこないまでも、かなり田舎の商店街でもハロウィーンをやるようになってきた。
ハロウィーンもまた、元をたどればケルト人の祭りである。
ケルトの暦では、10月31日が一年の終わりだった。11月からは新しい年が冬の到来とともに始まる。
冬には、死者の霊が悪魔や妖精の姿をしてやってくる。人々はそれを追い払うのに、また食べ物や飲み物を与えてお引き取りを願った。
このような縁もゆかりもなかった異教の祭りに日本人も「子どもが喜ぶ」という餌を垂らされて飛びつき、ハロウィーンは極東の地でもすさまじい量の消費を行なう年中行事と成り果てたのである。
あえて両者の違いはといえば、フランス人がクリスマス・プレゼントを買うようになった1940年代は戦略を仕掛けたのがアメリカ資本主義だったものが、日本がハロウィーンを取り入れた現在はすでにアメリカ一国のものではなく、グローバル資本主義になっていることぐらいだろうか。
サンタクロースを火あぶりに
異教の祭りを自分たちの生活に組み入れられ怒ったフランス人は、アメリカ資本主義に反発する人々だから、さぞかし社会主義や共産主義を奉じる人々だったのではないかと思いきや、そうではなかった。
キリスト教原理主義者たちだったのである。
「サンタクロースなどというものは、もともと我々のキリスト教にはない!」
ということで反対運動を起こした。
1951年、フランス中東部にある都市ディジョンのカトリック教会で、サンタクロースのぬいぐるみが火あぶりにされるという事件が起こった。
広く知られるように、暗黒の中世には魔女や異端者に仕立て上げられた人々が、このあたりで異教の手先として火あぶりに処せられていた。
今やサンタクロースが、アメリカ資本主義という異教の手先として同じ火あぶりに処せられたのである。もちろん、そこにはフランス人らしいブラックなエスプリが効いている。
クリスマスの贈り物とは無縁なひきこもり生活を送っている私には、サンタクロースはどうでもよい。
それよりも日照時間が短くなり、頭も身体も動かなくなるこの季節に、「うつ」を死の成分と見なし賄賂をつかませて追い払うかのような苦渋に満ちた儀式をおこなっていた古代の人々は非常に人間臭く、抗うつ剤を増やして対処しようという現代のシステムに毒されている私たちよりも、はるかに人間的自然に即した生き方をしていたように思えてならない。(了)
より詳しい周辺情報を知りたい方へ
*1. 人間的自然 ヒュームやヴィトゲンシュタインなど多くの思想家が humannature といった語で思索の対象としている概念らしいが、もちろん私はそこまでの精査を経ていないことをお断りしておく。
*2. レヴィ=ストロース (Claude Lévi-Strauss / 1908-2009) 一般に文化人類学者として知られ、構造主義の父のように仰がれることが多いが、哲学者、民族学者、社会学者、神話学者でもあった彼ははたしてどのような肩書きで紹介すべきか甚だ問題である。構造主義も彼のオリジナルではなく、彼は言語学者ヤコブソンから学んだものであるとされる。なお、ひきこもり界隈で人気の高い社会学者ブルデューもレヴィ=ストロースに教えを受けている。
*3. 雑誌『レタンモデルヌ』(Les Temps Modernes) 哲学者サルトルとボーヴォワールにより1945年10月に創刊された雑誌。レヴィ=ストロースが方法として採用した構造主義は、サルトルらの掲げた実存主義を駆逐したような形になったから両者は敵対関係にあったのではないか、などと考えている人が私の周辺では多い。
しかしこの雑誌は特定のイデオロギーに仕えるのではなく、言論の自由を重んじ懐が深く、「目前の主張がよって立つところの人間観に従って意見を述べる」という「アンガージュマン(engagement)」思想を基にするものであったから、サルトルと同じく資本主義や権力、体制を嫌ったレヴィ=ストロースが執筆陣に加わっていても何の不思議もない。
なお、ひきこもり界隈ではこの「アンガージュマン」をひきこもりの「社会参加」へ短絡的に結びつけることがしばしば起こる。
雑誌『レタンモデルヌ』はごく最近、2018年まで刊行されていた。
*4. 「火あぶりにされたサンタクロース」
Le Père Noël supplicié, Les Temps Modernes, mars 1952, p. 1572-90. Repris aux éditions des Sables, sur la route de l'Église à Pin-Balma, 1996.
日本語版では、右に図版を紹介した以下の本が読める。
『火やぶりにされたサンタクロース』クロード・レヴィ=ストロース, 中沢新一訳・解説, 角川書店, 2016.
原版の出版年月に注目していただくと、ディジョンの教会でサンタクロースが火あぶりにされてから時を移さずしてすぐ書かれていることがわかる。つまり、レヴィ=ストロースは過去に遡った文献的研究ではなく、ほとんど同時進行の社会的な動きをジャーナリスティックに扱ってこの一件を記述したということが伺われる。
*5. イエス・キリストの誕生日が本当はいつだったかについては聖書の中にヒントがあるという。
ルカの福音書2章8節に、羊飼いたちが野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていたときに、イエスが馬小屋で誕生したことを御使いから聞かされたくだりが書いてある。イエスが生まれたとされるベツレヘム地方では、羊飼いの群れが野営できるのは4月から10月までの間に限られ、11月から3月は冬で寒いため夜番をすることはありえないとされる。この地方は日本より緯度が低いから温かいという印象が持たれるかもしれないが、標高が高いため冬は東京並みの寒さである。雪が降ることもある。
*6. ケルト人 (Celt) ヨーロッパ大陸でゲルマン民族の大移動が起こるまで広範囲に居住していた人々。以前は現在のウクライナのあたりから戦車や馬車を持ってヨーロッパへ移動してきたと考えられていた。
右図はQuadellによるケルト人の居住地域を示したもので、桃色の部分が紀元前1500年から紀元前1000年、青色が紀元前400年ごろの分布範囲を表わす。本記事で触れたサンタクロースを火あぶりにした都市ディジョンは青色の範囲内にある。
「ケルト」は、古代の文明の中心地であったギリシャやローマから見て「見知らぬ人」という意味であり、「ケルト人」という一つの民族的アイデンティティを持っていたとは考えられない。そのため「ケルト (Celt)」は今や言語や文化の区分を示す語としてのみ用いるようになっており、民族を指すときは「ケルト人(Celts)」の代わりに「ケルト系(Celtic)」という表現を用いる。現在、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、コーンウォール、ブルターニュなどにケルト系の言語が残っている。
<筆者プロフィール>
ぼそっと池井多 中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
ひきこもり当事者としてメディアなどに出た結果、一部の他の当事者たちから嫉みを買い、特定の人物の申立てにより2021年11月からVOSOTの公式ブログの全記事が閲覧できなくなっている。
著書に『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(2020, 寿郎社)。
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