・・・「前篇」からのつづき
北九州の事件からもたらされた危機感
そんなことやっているうちに齢をとってきて、34、35歳になってました。バイトとかしたんですけど長続きしなくて、就職活動とかしても、もう年齢を聞いただけで電話を切られるようになってきて、面接までさえ行かないというようになってきました。
レコードが好きなんでCD屋さんとか受けたんですけど、ぜんぶダメで、
「ほんとに齢をとるとダメなんだな。働きたくても働けなくなるんだな」
って身に染みてきました。以前は、わりと呑気にしてたんですけど。
これがちょうど2008年から2009年にかけての出来事です。ちょうどリーマン・ショックで、世の中がパラダイムシフトしている時期でした。
このころ、生活保護や貧困問題に関心があったんで、飯田橋に「もやい」という生活困窮者支援に取り組んでいるNPOがありますが、あそこに出入りしていました。
出入りといっても、ぼくは実地の支援活動とか、そういうことはしてなかったんですけど、土曜日に「こもれびサロン」といって、350円で定食が出てたんで、それを食べにいったり、そこに来ているいろいろな方とお話ししてて、ぼくなりに貧困とか社会問題を考えるきっかけをいただいていたのです。
そういうとき、またもう一つのニュースを見たんです。
ぼくと同世代の男性で、派遣で山口県の自動車工場で働いていた人が、派遣切りにあって、故郷の北九州に帰ってきて、仕事がなくて、生活保護を受けようとしたけど水際作戦で追い返されて、それで餓死したという事件でした。(*1.)
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*1.北九州・男性孤立死事件(2009年6月)
生活保護の相談に訪れた無職男性(39歳)に対して、福祉事務所が「健康状態は良好」と判断し仕事探しをするよう説得。申請できなかった男性はその後に孤立死した。
ぼくはびっくりしました。危機感をおぼえました。「このままでは、ぼくも死んでしまう」と思ったんですね。
この時代の日本で、人が餓死するということがまずショックでした。それも、つい最近まで働いていた、自分と同世代の男性が、北九州って大都市なのに、食べるものがなくて死んじゃうんです。
生活保護というのは、それまで名称しか知らなくて、どんなものか実態は知らなかったんですが、とにかくその時、直感で、「これはどこにでも起こりうることなんだ」と思いました。
自分はこの齢までたまたま東京に住んでて、なんとか親の経済力っていうんですかね、それで暮らしてる。ちょっと実家を出た時期もあるんですけど、やっぱり実家で暮らしていて、餓死なんていうこととは無縁に生活している。でも、現実にこういうことが起きているんだ、という事実自体がプレッシャーとなって迫ってきました。「自分は仕事を選べる状況にいたんだな。恵まれていたんだな」と思いました。
そして、こういう事態は、いずれなんらかの形で自分にも降りかかってくるんじゃないか、と。たとえば、このまま実家で暮らしてても、もし親が死んだら、自分も今の生活形態を続けられないわけですからね。そうしたら、餓死はそういう形で自分の身にも降りかかってくるかもしれない。今よく言われている8050問題じゃないですけど、そういう不安ですね。
「親がいるから、おれは生きているだけだ」ということが、すんごい強く感じられました。「おれは生かされてるだけなんだ。生きてるんじゃなくて」と。
だから生活保護うんぬんというより、死への不安、生への執着っていうんですか、「まだ死にたくない」っていうほど切羽詰まってもいないんだけど、「なんとかしなきゃ」っていう危機感が沸き起こってきたんです。とにかくこわかったんですよ。
だから、さっき言った「もやい」に行った時も言われました。
「あなたみたいな人はめずらしいですよ。仕事もちょっとしてて、貯金もちょっとある人が来るのはめずらしい。みんな、所持金があと残り何円という状態になってここへ来ているんです」と。
まあ、大げさっていえば大げさかもしれないけど、自分としてはとにかく「やばい、やばい、このままだと死んじゃう」と思って「もやい」も行ったんですよね。
理想の仕事と向いている仕事
それまでは仕事をいろいろえり好みしてたですけど、こういう危機感をおぼえて、えり好みをやめようと思って、「とりあえず何のバイトでもいいや」と思って、たまたま学生時代にやっていたビル清掃のバイトの募集があったので、昔やっていたそのバイトをまたやろうと思いました。
そのあとも、何だかんだといろいろな仕事かじってみたんですけど、「やっぱり他の人と仕事するのはオレ無理だな」と思いました。
「人の上に立ったり、人に使われたり、あと人から何か言われてやるのって無理だ。そういうの向いてないな」
ということが自分でわかってきたんです。
そこで、清掃業。施設とかビルにバキュームかけたりモップかけたりってことを、一人で延々とやるんですけど、これがやっぱり適性として自分に合ってたってことになりました。それから、何だかんだいろいろあっても、その仕事が今までずっと続いているんです。
つまり「自分が理想としている仕事と、自分に向いている仕事は、またちがう」っていうことを体感したわけですけど、さっき言ったリーマン・ショックとか派遣切りで亡くなった方の影響っていうのは直接的な要因ではないですけど、自分の中では大きくて、あれで危機感が生まれて、ある程度それが臨界点みたいなところまで達して、それで自分が動いたということはあります。
こういうことを経て、今日みなさんの前でこうお話しできるようになりました。
質疑応答
Q(客席より)ぼそっと池井多:「仕事のえり好みをしていた」というご自分を改めて、DJとかそういう仕事にこだわらないで、ビルの清掃をやろうとお考えになったわけですね。
ひきこもり界隈では、きっと、かつてのご自分のような方がたくさん目にとまると思います。昔のご自分のような、なんだかんだ言って仕事をえりごのみしているように見えるひきこもり当事者を見た時に、今のあなたは、思わず就労圧力をかけたくなってしまうことはありませんか。
A サイトウマコト:他人が仕事を選ぶのは自由ですね。
ぼくはともかく、
「自分の好きな仕事、やりたい仕事と、自分が向いている仕事はちがう」
ということだけは言いきれますね。
「好きなことじゃなければお金を稼ぎたくないんだ。それ以外は働くことが無理なんだ」
と思ってる人は、ぜんぜんそれで結構だと思います。
「いや、お前、そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
なんていう権利はぼくにはないし、あと、そこまでぼくは他人に関心もないですね。
一人ひとり生きるスタイルがちがうから、そこへぼくが割って入る気はさらさらないです。「そういう人生をあなたは選んだのね」っていうだけですよね。
ひるがえって自分はどうかというと、
「おれはそれどころじゃないから、掃除じたいは面白くも何ともないけど、これだったら何とか続けられそうだから、この仕事やっています」
ということだけは胸を張って言えますね。
「おれは、やりたくないことを仕事でやって生きてます」って。
そのことをどう思われてもかまわない。
「そんなことやって、わずかばかりの金稼いで、はたして生きてる意味あるのか」とか、「そんな人生恥ずかしくないのか」とか言われても、おれは何とも思わないですね。
それだけの自負があります。
(了)
★取材者・ぼそっと池井多による感想と解説がこちらにあります。
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