インタビュー・文・写真 ぼそっと池井多
・・・第3回からのつづき
救急車には帰ってもらう
タイキ それからは、親のちょっとした仕送りとか、
ちょっとしたアルバイトで生きていました。
東日本大震災のあと、
少し体調がよかったので、
福島の除染作業にも出かけていきました。
でも、収入は少なかったので、
借金になった医療費は払えなかったんです。
ぼそっと池井多 それで病院としてはあなたを警戒したのかしら。
タイキ そうでしょう。
「毎月1万円ずつ払います」
と約束して退院しても、すっぽかしたり、
「いついつまでに支払いに来てくださいね」
と言われても、行かなかったり。
「今度は絶対に払います」
という証書を書かされて署名捺印したこともあります。
でも払わなかった。
だから、自分にも落ち度がある。
でも、お金がないから、払いたくても払えない、
という状況だったのです。
ぼそっと池井多 そのへんが
タイキさんにとっての最近のテーマである
「ひきこもりと健康とお金」
という問題なのですね。
タイキ そうです。
こうなると、もう病気になっても病院へ行く資格もないし。
ある時なんかは、その病院の若いスタッフに
「貧乏人はもう死んでください」
とまで言われました。
ぼそっと池井多 そりゃまた、ひどい言葉ですね。
私自身も貧乏人だから聞き捨てなりません。
そこをもっと詳しく教えてください。
タイキ 事務の若い人が、
「あなたはいつも支払いをすっぽかすから、
もうこの病院に来ないでください」
と言ったんですよ。
「じゃあ、ぼくが病気しても、病院には来るなってことですか」
って聞いたら、その事務員は、
「はい」
って言ったんです。
だから、ぼくは、もう病院へ行くことが
こわくなってしまいました。
病院へ行かなくてはならない状況になったとき、
パニック発作を起こして、
じっさいその場に倒れてしまったこともあります。
ところが、倒れると救急車が呼ばれて来るんですよ。
でも、その救急車で病院にかつぎこまれると、
またお金を払わなくちゃならないから、
そこでまたあわててパニック発作になる。
そのときは
「お金かかるから、病院へは行きません」
といって、救急隊員には帰ってもらいました。
発達障害の診断を受けるということ
ぼそっと池井多 福島の除染作業に出かけていった、と。
どうでしたか、そういう社会的に立派なお仕事をしてみて。
タイキ そうですね、あれは2013年ごろのことでした。
でも、除染作業といっても、
それを室内で管理する事務の作業が多いんですよ。
ぼくは、その事務作業をしていた時に、
めっちゃ上司に怒られました。
上司から見たら簡単なことでも、ぼくはできないものだから。
休みの日に、宿舎でテレビを見ていたら、
発達障害の特集番組をやっていて、
ぼくはそれを見て
「あ、これは自分のことをやっている」
と思いました。
そこで上司に、
「自分は発達障害の疑いがあるから、
これ以上ここで仕事をしていたら、
ご迷惑をかけるから、この仕事やめます」
といって、沖縄に帰ってきました。
「発達障害、診断します」
みたいな広告を出している精神医療機関が
那覇市に見つかったので、
そこへ行ったところ、
「発達障害と自閉症スペクトラムがあります」
と診断されました。
これで、ようやく自分が心から信頼できる先生と出会えました。
ぼそっと池井多 発達障害・自閉症スペクトラムの特徴としては
どういうことが困るのですか。
タイキ たとえば、できもしないのに約束をしてしまったり、
口から出まかせを言ったり、
言ってはいけないことを言ってしまったり、
ということがあります。
相手にしてみると
「ちょっと、ちょっと、なに言っちゃっているの」
みたいなことを、平気で言っちゃう。
あとはモノが片づけられない。
大切なものをなくしたりする。
これみんな、ぼくにあてはまるんです。
うつ病の診断の時もそうだったんですけど、
発達障害の診断を受けて、
ぼくは逆にすがすがしくなったんです。
そのとき見ている景色さえクリアに見えたほど。
診断を受けると、
「あ、自分はうつ病だったんだ」
「発達障害だったんだ」
という安心感が得られる。
それは、
「これで、大手を振って生きていける」
という感覚なんです。
ぼそっと池井多 その感覚は私も理解できますが、
あまりそれをいうと誤解されて攻撃されることもありますよね。
「人並みよりも保護してもらうために
病気を演じているんじゃないか」
とか勘繰る人が出てきます。
タイキ そうですね。
だから、ほんらい信頼できる人にしか言えません。
ぼそっと池井多 私も精神障害者手帳を持ってますけど、
何事につけそれを言い訳にふりかざすようになってしまっては、
いけないと思っています。
タイキ そうですね。
何か失敗をやってしまって、落ちこむ前に
「発達障害だからしょうがないんだ」
と思えればいいんだけど、
「発達障害だから」ということを、
これから迷惑をかける言い訳みたいに
ふりかざすようになっちゃダメですよね。
そこが自分でも葛藤している点なんですが、
それについてはこう考えてます。
障害っていうのは、
根底からエラー起こしている状態だから、
受け容れなくちゃいけない。
病気っていうのは、
根底はエラーがなくて、
あとからエラー起こしている。
だから治る。
これからの人生
ぼそっと池井多 なんかお話をうかがっていると、
だいぶ底辺で苦労されてきたお話が多いですけども、
タイキさんの人生で「良かったこと」というと何でしょうか。
タイキ そうですね、ぼくは友達運に恵まれています。
23歳のときに農業青年クラブで知り合った友達夫婦がいて、
彼らにはすごく精神的に助けられています。
はじめは農業を通じての仕事仲間だったんだけど、
一年ぐらい経って、
仕事を越えた、いろいろなことが語り合える友達になりました。
さらに一年後、ぼくが25歳でうつになってからは、
もっと支えてもらっています。
今でも感謝です。
ぼそっと池井多 ガチでひきこもっている時から、
どのように外へ出られるようになったのですか。
タイキ 父親から、
「お父さんはもう年だし、
あと何年生きられるかはわからないから、
それに向けてお前も早く自立できるようにならないと」
って言われ続けてました。
はっきり言って、それは結構きつい言葉でした。
でも、親の命も有限だし、
親が亡くなったらもっと生きづらくなるだろう、
という不安もありました。
そこで、5年前から、
「40歳になるまでに、
うつ病を克服してひきこもりから脱しよう」
という決意をしていたのです。
でも、決意をしたからといって、
すんなり外へ出られるようになるわけでもありません。
そこは、やっぱりいま話した
友達夫婦のおかげが大きいです。
何かにつけて気にかけてくれて、
ちょっと相談に乗ってもらったり、
「夜、ドライブにいこう」
って誘ってくれたり、
やんばる(*1)とか連れていってもらったり、
一緒に泣いてくれたり、
毎日数件の励ましのメールをもらったりしていました。
*1.やんばる(山原) 沖縄本島の中北部。とかく沖縄の政治経済の中心になる南部とはちがう、特異な生物相で知られる。
図はWikipediaによる。
そうこうするうちに、
ちょっとでも何かできたら、
自分をほめるようにしてみました。
時間をかけて、
しだいに活動領域をふやしていって、
外に出る練習をしたんです。
その友達夫婦にも
「今度、こういうことができたよ」
と報告したら、本気でよろこんでくれて。
そんなことも励みになりました。
それから、ぼくがひきこもって、
なかなか外に出れなくて寝込んでいることを友達夫婦に話したら、
彼らは思わぬ言葉をかけてくれました。
「タイキは、
今ひきこもって苦しいと思っているかもしれないが、
それは違うよ。
タイキがうつ病とひきこもりから脱した時、
きっとものすごく忙しくなるから、
今はその時に向けての充電期間なんだよ。
だからしっかり休んでおいてね」
彼らからこの言葉を聞いたとき、
ぼくはひきこもっている罪悪感から
一気に解放されたのです。
ぼくがガチでひきこもっていた間に、
友達夫婦からもらったたくさんのメールは、
今のぼくにとって大切な宝物です。
でも、ぼくとしても彼らにオンブにダッコではなくて、
いま自分が志しているガラス彫刻の仕事を成功させて、
自分が笑って暮らしていける状態になることが、
その友達夫婦への恩返しなのかなあ、
って思っています。
あるとき、その友達夫婦に言ったんですよ。
「自分が治ったら、なにか御礼をするね」
って。
そうしたら意外な答えが返ってきたんですよ。
「自分たちには何もしないでくれ。
逆にあなたみたいに苦しんでいる人に、
あなたの話を伝えてほしい。
あなたの体験談を、
あなたみたいに苦しんでいる人に語ることによって、
今度はその人が救われるから。
それが私たちへの恩返しだよ」
って。
だから、ぼくは
自分の体験を発信していこうと思っているんです。
ぼそっと池井多 それで私のこのインタビューにも
答えてくださっているんですね。
私からもその友達夫婦に「ありがとう」ですね。
タイキ 自分のつらかった体験を、
できれば笑いに変えて、
同じ立場にいる人たちに伝えたいと考えてます。
良い意味で
「あの人、ちょっとバカだよね。面白い人だよね」
ってみんなに言われる芸人みたいになれたらいいなあ、って。
自殺未遂したときのことも、
自殺したい人の心理をちゃんと語りながら、
面白おかしく話せたらなあ、って。
まずは、今やっているサンドブラスト、
ガラス彫刻を仕事として成功させて、
生活保護を脱出して、
この目標に向けて歩き出そう、
という気持ちになっているんです。
ぼそっと池井多 なんかお話聞いていて、泣けてきますね。
このインタビューを終えるにあたって、
最後にタイキさんから皆さんへのメッセージがあったら、どうぞ。
タイキ うつ病、ひきこもりにならないに越したことはないですが、たとえなったとしても、
それをポジティブに考えたら、
そういう病気や状態になったおかげで出会える人々
というのがいるし、出会える仕事もあります。
たとえば、ぼくが今やっているサンドブラスト、
ガラス彫刻という仕事はそうです。
だから、ぼくはうつやひきこもりは、
貴重な経験をさせてもらったと思うし、
出会った人たちにも感謝しています。
ぼくを支えてくれた友達夫婦と愛犬チョコには、
本当に心から感謝しています。
ありがとう。
(2019年1月のインタビュー 了)
タイキ(2019年7月 追記)
今月の初めに生活保護受給を返上しました。
受給をやめるということを、
市の担当者に伝えに行ったら、
「いまさらそんなふうにやめられると、こちらが困ります」
と言うので、
「生活保護を受けるのが精神的苦痛なんです」
と訴えて、役所からはしぶしぶの諒承を得て、
今は自活で暮らしています。
(沖縄のひきこもり当事者タイキくんとの対話 了)
これまでのお話