文・ぼそっと池井多
前回に続いて、「戦争」と「児童虐待」と「ひきこもり」をつなぐ補助線について考えたいのだが、そろそろ大晦日(おおみそか)も近づいてきたので、今回は「除夜の鐘」を取り上げようと思う。
前回は、このような話をさせていただいた。
戦争は生産性追求の極致?
ひきこもりが批判されるとき、その筆頭に、
「ひきこもりは生産性がない」
ということが言われる。
それに対して私は、
「そこでいう『生産性』とは、経済的生産性のことにすぎない。
もっと広い意味で『生産性』をとらえれば、経済を経由しない生産性だってある」
と申し上げ、経済外労働(*1)という概念を語ったりしている。
*1.経済外労働:通常、人が「経済」と同義語だと思っている貨幣経済の外にある労働。お金ではなく、感情や承認、敬意などのやりとりによって成り立っている労働。イリイチのいうシャドウ・ワークとまったく同じではないが、非常に近い。
いっぽう戦争とは、経済的生産性を極度にまで追求した状態である。
そのように申し上げると、
「え。それはおかしいんじゃないの。戦争とは破壊であるから、経済の敵なのではないか」
などという人がいる。
たしかに戦争によって国の経済は破壊される。しかし、実際には戦争ほど人々が経済的生産に駆り出される時期は、歴史を見渡しても他にないだろう。
なぜならば、戦争は、敵国の経済的生産力を破壊するために、自国の経済的生産力を最大限まで高めようとする国家的行為(*2)だからである。
*2. 国家的行為:近年は、戦争は必ずしも国家間のものではなくなってきたが、アルカイダのような国際的組織も、この文脈では国家に準じる存在と考えることができよう。
その結果、戦っている双方で経済的生産性が高まって、双方の経済が破壊されるのだ。
たとえば、太平洋戦争のころの日本では、あちこちのお寺から梵鐘(ぼんしょう)が撤去され、銑鉄(せんてつ)に溶かされた。戦場へ供給する銃弾の数を、少しでも増やすためである。
このことは、どこの村にもあった「お寺の鐘の音」という、人々の心に平安をもたらす経済外の生産性が一つ犠牲にされ、もっと即物的な、もっと浅はかな経済的生産性に変換されてしまったことを意味する。
その結果、戦争が終わる前年、昭和19年の大晦日などは、日本のほとんどの村で、人々が幼少のころから聞いてきた除夜の鐘が響かなくなったので、
「年を越した感じがしない」
と、のちに多くの日本人が語る年の暮れとなった。
賢き撤退者
そこで注目すべきは、
「ひきこもりは経済的生産から撤退しているからひきこもりという」
ということである。
この地平で語るならば、
「ひきこもりという行為そのものが一つの反戦たりうる」
と言えると思うのである。
その場合、戦場とは、経済的生産性が極まった場所である。
そこへ出ていくのがいやだ。
戦場からひきこもる。
それは、平行移動すれば、殺伐とした市場原理の戦場である賃金労働の場からひきこもっている者たちの姿となる。
経済戦争への徴兵忌避
現代の歴史では、戦争のたびに徴兵を忌避する者が出る。
近代以前は、徴兵忌避者たちは単に臆病な卑怯者として一般市民に蔑まれる傾向があった。
しかし、国家がらみのシステムである兵役を果たすことを拒否するというのは、流れに流されて兵士として前線へ押し出されていくよりも、何倍も勇気の要ることだと思う。
同じように、
「まわりが就職するから、なんとなく自分も就職する」
と、流れに流されて就労し、経済戦争の真っ只中へ押し出されていくよりも、
「ちょっと待てよ。
はたして私は、こんなことをやっているべきなのだろうか」
と立ち止まり、自分の頭で考えることは、就労よりも何倍も人生を大切に生きている姿であると言えると思う。
その状態が「ひきこもり」「徴兵忌避」と名づけられたとたんに、人々からは侮辱と軽蔑を買うとしても、その侮辱と軽蔑を受けることこそが、本人にとっては社会からの「評価」である、という考え方もできることだろう。
・・・「『戦争』・『児童虐待』・『ひきこもり』をつなぐ3本の補助線<後篇>補助線3本目」へつづく
< 筆者プロフィール >
ぼそっと池井多 :中高年のひきこもり当事者。まだ「ひきこもり」という語が社会に存在しなかった1980年代からひきこもり始め、以後ひきこもりの形態を変えながら断続的に30余年ひきこもっている。当事者の生の声を当事者たちの手で社会へ発信する「VOSOT(ぼそっとプロジェクト)」主宰。「ひ老会」「ひきこもり親子 公開対論」などを主催。
facebook: vosot.ikeida
twitter: @vosot_just
あわせて読みたい