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「戦争」・「児童虐待」・「ひきこもり」をつなぐ3本の補助線<後篇>平和を語り継ぐ落とし穴

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真珠湾攻撃 写真 : free-photo net

文・ぼそっと池井多

 

 

もうすぐ8月15日がやってくる。

 

戦後75年。

平均寿命が長くなった今では、それはちょうど、一人の日本人が物心ついてから生涯を終えるころまでの時間に近づいてきた。

すると、それは人が前の世代から何かが語り継がれ、また自らも次の世代にそれを語り継ぐ時間だということでもある。


「悲惨な戦争を繰り返してはいけない。
そのためには、戦争を語り継いでいかなくてはならない。」

そんな言葉をよく聞く。
ごもっともである。

たしかに、戦争がどのように悲惨なものであったか、
じっさいに語り継ぐ人間がいなければ、
悲惨さが伝わらず、戦争は繰り返されるかもしれない。

しかし、そこには思わぬ落とし穴があると思う。

 

ただ語り継げばいいのか

数年前、私がひきこもりのための、或るイベントへ出かけていくたびに、いつも顔を合わせる、一人の若いひきこもりの青年がいた。

 

イベントの後に、一緒に飲みにいくと、

「戦争を、……やりたい、……です。」

などと、訥々とつとつと途切れる口調で
身体に潜む毒を吐き出すように語っていた青年である。

 

「ウヨク」になりたいのだ、という。

 

「ウヨクって、あの街宣カーで軍歌を鳴らして回ってる、

あの、右翼?」

「そうです」

彼は言葉すくなに答えた。

 

しかし、
漠然と右翼の活動家になることを夢見てはいるけれども、
ひきこもりであるために、
実際に行動を起こして、そういう道に入ることができないのだという。

 

人がこわい。

とくに右翼団体というのは、
みんな、スキンヘッドだの金の首輪だの
見た目に「こわい」恰好をしている。

 

だから、彼としてもよけいに

右翼団体にアプローチしかねていた。

 

「なんでまた、戦争なんかやりたいの?」

と訊いてみると、

やはり彼は訥々とした口調で、

いろいろ国際政治について語ろうとするのだが、

どれもこれも彼がネット上で読みかじった

真偽のほどもわからない話をつぎはぎしているだけで、

私はどうも納得できなかった。

 

追加のハイボールが何杯も注文され、

二人ともすっかり酔いが回ってきたころ、

話は、お互いの親のことに及んだ。

 

屈辱とともに平和の尊さを学ばされる

彼の父親はリベラルな知識人であった。

どこかの大学で教鞭をとっているらしい。

国際協調。
核廃絶に尽力。
アジア諸国との協調推進。

 

地元の市議会で議員を務めたこともある。

 

ところが、家庭の中では

息子である彼にとって冷徹な専制君主であった。

 

 「私の言っていることは正しいのだから、
 黙って従いなさい」

 

と静かに威圧するという。

 

たとえば、暴力をふるい、殴りつけるような父親だったなら、

すでに思春期もすぎた彼も肉体的には成長しているので、

暴力で応戦したかもしれない。

 

ところが、これが良いのか悪いのか、

父親はけっして手を上げたり声を荒げることはなく、

冷厳な態度で一部の隙もない正論を

ピタリと的を外さず押しつけてくるために、

彼にはそれにあらがう術がなかったのである。

 

彼と父親のあいだには、

まるで昨今のコロナ下の会場で使われる透明なアクリル板が

蟻一匹這い出る隙間もないほど下ろされたような状態となり、

彼からいっさい言葉のサーブが打てなくなってしまっていた。

 

こんな父親には、

反抗期の息子として逆らうこともできなかった。

父親は、透明な壁の向こうに屹立きつりつ

いささかも揺らぐことのない鋼鉄の像であった。

 

そうしたなかで父親は、

戦争の悲惨さを諄々じゅんじゅんと息子に語った。

しかし、息子はそれを

「父親への敗北」という屈辱とともに

吸収しなければならなかった。

 

母親は父親に奴隷のように付き従っており、

近所も親類も、みな父親のリベラルぶりに敬服し、

 

「あんなにすばらしいお父さまを持って、
 あなたは幸せね」

 

などというものだから、
いよいよ彼としては、自分の感覚を表出する機会を持てないままに
大きくなっていったのである。

 

思春期を過ぎるころから、彼は、
父親とは真反対の思想を語るようになった。

 

対米追従、破棄!
日本は核武装すべし!
中国・韓国には断固たる対抗を!

 

そして、鬱々としてひきこもりの日々を送り、
いつの日か「社会復帰」をしたあかつきには、
軍歌をボリューム全開で鳴らす街宣カーに乗って、
道行く「愚民ども」を大声の演説によって
ひれ伏させることを夢見るようになった。

 

街宣カーの屋上に屹立する自分を

「愚民ども」はただ見上げ、聞くしかない。

その間には目に見えない壁が下ろされており、

コミュニケーションは生じない。

 

そんな立場に、彼は身を置くことを目指していたのである。

 

 

態度や在り様が次世代に伝えるもの

しばらく経つと、

そうしたひきこもり系のイベントに出かけていっても、

私が彼を見かけることがなくなった。

 

もとより連絡先などは交換していない。

こうして、私にとって彼は行方知れずの人となった。

 

はたして、彼は願っていたとおりに右翼青年となって、

街宣カーの上で演説をしているのか。

 

それとも、イベントにも出てこられなくなったほど、

ひきこもりが極まっているのか。

 

はたまた、「まともな」就労でもして、

「ふつうの大人」になっているのか。

 

それとも、……。

 

不穏な想像が浮かんだとき、

私は自らかぶりを振って、

それを打ち消した。

 

 

 

 

 

季節がいくつか過ぎ去ったころ、

ひきこもりの私がめずらしく都心へ出かけ、

久しぶりに街宣カーががなり立てる軍歌の大音声と出くわした。

 

私は、思わず屋上に立つ迷彩服の男たちのなかに

彼の顔を探していた。

 

 

見つからなかった。

 

 

しかし、彼という存在が私に教えたことは、こうだ。

 

「戦争の悲惨さを語り継ぐ」

というだけでは、

「悲惨な戦争を繰り返さない」

ということにならない。

 

子どもは、語る親の態度や在り様を、心に刻む。

生徒は、教える教師の態度や在り様を、肌身に吸収する。

 

前の世代が、どんなに平和の尊さを諭しても、
諭す態度が攻撃や軽蔑に満ちたものであったなら、
受け手である次の世代は
平和を憎むべきものとして吸収し、
メッセージを反転して発現させることもあるのだ。

 

 

 

のちに私が、別の場所でこの話をしたところ、

「『希望は戦争』(*註)と同じですね」

という方がいたが、

私としては、それとはまったく別のことを語っているつもりである。

 

 

(了)

 

 

註:「希望は戦争」

2007年に、赤木智弘が発表した論文のこと。正式な表題は「『丸山眞男』をひっぱたきたい-----31歳、フリーター。希望は、戦争」赤木智弘,「論座」2007年1月号所収。

発表されるやいなや反響を呼び、リベラルな言論人たちからいっせいに批判を浴びた。

現在は以下のサイトから全文が読める。

http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama.html

 

<筆者プロフィール> 
ぼそっと池井多いけいだ 東京在住の中高年ひきこもり当事者。横浜に生まれ、2歳まで過ごし、以後、各地を転々とする。大学卒業時23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的に今日までひきこもり続けている。VOSOT(チームぼそっと)主宰。GHO(世界ひきこもり機構)代表世話人。facebookvosot.ikeida twitter:  @vosot_just

  

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