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アメリカのひきこもり経験者ショーン・Cの手記「ひきこもりなど夢にも思わなかった父」

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ひきこもりなど夢にも思わなかった父

  文・ショーン・C
訳・ぼそっと池井多

 

 

 

<プロフィール>

ショーン・C  1990年、カリフォルニアの郊外に生まれる。28歳。16歳から19歳、23歳から24歳と二度にわたってひきこもりであった。2013年に学校へ戻り、2015年カリフォルニア大学バークレー校へ入学、2018年英国ケンブリッジ大学で修士。今後は文化に焦点を宛てながら、アメリカで学者としての将来を模索している。

 

<訳者からの序文>

アメリカにはひきこもりがいないとされている。残念ながら、GHOなどを通じて世界のひきこもりの動向を追っている私も、いま現在アメリカ国内でひきこもりの当事者であるという人は知らないが、しかし少し前まで自分はアメリカ国内でひきこもりであったと告白する人は何人か存じ上げている。ショーンCもその一人である。

彼は英語学の大学院へ進んだ。いわば英語人口のなかでも英語のプロである。そういう彼の書く英語は、日本の中学生でもわかるような基本的な語彙しか使っていないのだが、どことなくアメリカ文学の芳香が漂い、ときどき訳すのがとてもむずかしい。ちょうど名人といわれるシェフが、日常的なありふれた食材から、じつに奥深い味わいを引き出すのに似ている。
彼のひきこもりに対する考え方は、必ずしも私と同じではないようだが、そんな彼の原文の持ち味をできるだけ損なわないように努めてみた。しかし、なにぶん非力なアマチュア訳者である。もし至らない点があれば、つとにご容赦ねがいたい。

 

 

パパの家のパソコン

両親が離婚してから、ママと一緒に住むことになったぼくは、ときどきパパと過ごす時間が苦痛で仕方がなかった。パパのパソコンはスペックが良くなかったし、パパのテレビは古かったし、パパはぼくに一時間しかビデオゲームをやらせてくれはしなかったからだ。

パパは、ぼくがだんだんゲームやテレビにはまって、生活が崩れてきていることをわかってくれていないのだった。パパはぼくに、それとは違う形の「生きる」ということを学ばせようと、ずっと努めているのだった。

 

パパは釣りやハイキングやスノーボードをさせるために、よくぼくを外へ連れ出した。パパはぼくを少年スポーツクラブに入会させ、バッティングセンターに連れていった。パパはぼくに、人生や愛についてレクチャーしたり、どうしたら成功を収めることができるかについて、ぼくにやる気を起こさせるような話をした。

お姉さんとぼくがいるときに、パパは女性の友達や大人の仲間を家に呼んでパーティーを開いたりした。それはパパが、若かったころの自分の生活を取り戻したかったからかもしれない。あるいは、パパはぼくたちに、パパがまだ人生に燃えているところを見せたかったからかもしれない。

でも、それでいてパパは、ぼくたちがパパの中の燃えている炎に当たる部分に近づこうとすると、たちまちぼくたちを邪険に払いのけるのであった。

 

 

ママの家のパソコン

のちにぼくが10代後半にひきこもりになったとき、ぼくを大人の男に育て上げようとするパパのすべての企てに、ぼくは飽き飽きしていた。だからぼくは、それまで隔週にパパの家へ行っていたのをやめた。

ぼくが住んでいるママの家には、スペックの良いパソコンがあったし、ビデオゲームはどれもこれもすべてプレイし放題だったから、ぼくにとってはもう、パパに会いに行く理由がなくなったのだった。

ママの家の中の自分の部屋で、ぼくは1日12時間ビデオゲームをやって過ごしていた。

ぼくはママに、もうパパには会いに行きたくない、といった。そのときぼくはもうかなり大きくなっていたから、ママはそれに反対しなかった。こうしてぼくはまる3か月の間、パパにまったく会わなかった。

 

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「パパの肩に乗せてもらったぼく」 写真提供:ショーン・C



パパに答えた嘘

ついに、パパがママの家にやってきて、ぼくに「ずっと何をしていたのか」と訊いた。ぼくはパパに嘘をついて、「ずっと仕事を探していた」とか、「不登校になっている学校へまた行くことを考えている」とか言った。

 

でも、それに続くパパとの会話の流れの中で、ぼくはついうっかり、ゲームばかりやっているということをしゃべってしまった。パパは

「一日何時間ぐらいやっているんだ」

とぼくに訊いた。ぼくはまた嘘をついて

「たぶん3,4時間ぐらい」

と言った。

パパはあまり信じていないようだった。

「4時間もぶっつづけで、ビデオゲームというのはできるものなのかい?」

ぼくは涼しい顔で、

「まあね。ビデオゲームっていうのは、かなりはまる。面白いから」

と言った。

パパは頭(かぶり)を横に振った。ぼくはパパががっかりしたのがわかった。

 

 

パパが望んだ息子の像

しかしパパは、その時までにぼくに対する力を失っていた。社会の目で見たら、ぼくはもう大人だった。パパが、パパのイメージでぼくを大人に造り上げる期間はすでに終わってしまっていたのだ。

 

パパは、望んだようには息子を育てられていなかった。

運動選手、自信を持って何かを断言できる男、未来の妻と子を思い描きながら笑顔ではつらつと生きている幸せな若者。……そんな男に育てるかわりに、いまやパパの目の前にいる息子は、自分の部屋から出てこない、いつも鬱々とした、ゲーム中毒の肥満児だった。 

あらゆる点でぼくは、パパがぼくに託した夢を生きてみせることに失敗した自分を許してはいなかった。

ぼくはかつてパパがぼくをある種の人間にしようとしていたことに怒っていた。パパがぼくを成功へ駆り立て、「行動の男になれ」とプレッシャーをかけつづけたことに、ぼくは怒っていたのだ。

ぼくは、パパは敵だと思った。ぼくが憎む人生へ、ぼくを強制的に追いやる敵である、と。

でも今は、パパはぼくがこの世界の中でぼく自身になる方法を教えようとしていた、ということがわかる。それは誰に借りをつくることでもなかったのだ、ということも。

 

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「幼稚園へ行く第1日目」 写真提供:ショーン・C


パパは無意識ではわかっていたのにちがいない。……もしぼくがゲームという気晴らしのために、すべての時間をつぎこんだならば、つまり、もしぼくが嗜癖(しへき)への欲望に負けて、部屋の中で一日じゅう心の通わない機械相手の動作に没入するようになったならば、外の世界はやがて、ぼくにとって本質的に恐ろしいものとなるだろう、ということを。

なぜならば、外の世界というものは、パソコンのように予測可能な法則で物事が起こっているわけではなく、わかりやすい取扱説明書があるわけでもないのだから。

 

パパがパパから学んだこと

パパは、どのように大人の男になるか、どのようにこの世界の中に居場所を見つけるか、ということに関して、パパ自身の父から1960年代から70年代に学んだことに頼っていた。そして、同じことをぼくに教えようとしたのだ。

でも実際は、パパがぼくに教えていることのなかで、パパ自身にとって役に立たなかったこともあっただろう。

そもそも、ぼくのパパは、あまり伝統的に男性的なタイプではなかったのだ。パパはすごく感受性が鋭くて、情け深いところがあった。だからパパは、ほんとうはぼくに対しても、もっと心を開いた状態で接しているのが心地よかったのだと思う。

それが、パパがぼくに肉体的な暴力をふるったことがない理由でもあったのだろう。パパは、ぼくがパパの教えを、あくまでもぼくの自由意志によって学んでほしかったらしい。

 

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Photo by Pixabay

聞こえてきた父の声

もし今日(こんにち)あなたがぼくのパパに

「あなたの息子さんはひきこもりですか」

と訊いたならば、パパは即座に「いいえ」と答えるにちがいない。

表面的にいえば、パパは正しい。

なぜならば、ぼくはなんとかひきこもりの状態を脱して、学校へ戻り、曲がりなりにも社会に「参加する」ことを果たしているからだ。パパは、昔は家から一歩も出られなかったぼくが、新しい道を見つけたことを知って、喜んでいると思う。

ぼくがもう、パパのコントロールが効かないところにいる、ということをパパが知ってからもう何年も経つけれど、いまやパパは、ぼくが「ひきこもり」というよりもむしろ「新進気鋭の学者」であることを知って、ほっとしているのにちがいない。

でもぼくの中では、ひきこもりだったころと今では、ほとんど何も変わっていないのだ。社会的に云えば、今のぼくは活動的ということになるかもしれないけれど、ぼくの心の一部はいまだにひきこもりのままだ。

ぼくは、自分の時間はほとんどすべて自分の部屋にひきこもっている。違いは、といえば、今のぼくはパパの声を意識している、ということだろうか。

今ぼくにはパパの声が聞こえるのだ。

「私が望んだような男になるために、さあ、早く起きろ」

とぼくを急かす声が。

ひきこもりにとって、父の声というものは、世間の声であるという人もいる。でも、ぼくにとっては、パパと世間はちがう。ぼくのパパはけっしてぼくに、ただ世間へ順応していればよいとは教えていなかった。ぼくがどのような状態であろうとも、ぼくが自分のアイデンティティを形成することが、パパにとっての欲望だった。

ぼくが小さいころ、パパは自分へ伝統的な男性性を習得させることに失敗したかもしれないけれど、でもそれはぼくに、そこを土台にぼくが成長できる基盤を、ぼくに与えてくれることでもあったのだ。

だから、何年ものひきこもりの時期を経た今のぼくにとって、パパの声は大きく力強く響いているのだ。もともとぼくを一つのアイデンティティへ導いたのは、父の声であった。 昔はぼくもそれに反抗し、それをブロックしようとしたけれど、今日までぼく自身の道を切り開くように促すのは父の声なのだ。 もしそれらの声が父から来ていなかったならば、ぼくはおそらく自分の部屋に永遠にひきこもったままであったろうし、もはや意識の痛みを感じることもなく、自分自身を放棄することに委ねていただろう。そうなっていたら、ぼくは自分の人生に価値がどれほど残っていたか、わかったものではない。

 

 

・・・この記事の英語版