インタビュー
北海道札幌の中心街から1時間、石狩市在住の女性ひきこもり経験者のり子さん。第1回は、家族のケアを担ってきた女性当事者という視点で語っていただきました。
「居場所を求めてやってくる人は、情報誌の読者のことを考えず、何でもいいから自分の意見が通る場所がほしいとか、自分に注目してほしいとか、そういう目的でくるかもしれない。そうすると、情報誌づくりができなくなってしまうんじゃないかな。」
当事者メディア「今日も私は生きてます。」は他の当事者を救済する目的ではなく、ひたすら自分たちがたとえ生きづらいことがあっても今日も生きているということを発信し続ける情報誌。それをつくる場は、結果的に居場所の機能を帯びることもあるように見え…
最終回は、当事者であるともやんさんが「中高年・長期ひきこもり」をテーマにイベントを企画をした経緯について伺いました。首都圏とは違う、中高年ひきこもりの状況とは一体どんなものなのでしょうか。
不登校から始まった6年間のひきこもり期間を経て、徐々に外出ができるようになった、ともやんさん。 通信制高校に通い、はじめての一人暮らし。順調に見える一方で「自分はどこかみんなと違う」という違和感があったと語ります。 第2回は「働くこと」「家族…
2020年1月。福島県郡山市にて「大人のひきこもりの話を聞く日 中高年・長期ひきこもりについて考える」と題したイベントが行われました。 開催したのは、これまでイベント企画などの経験皆無の中高年ひきこもり当事者、ともやんさん。 第1回の今回は、ひきこ…
「いつかは子どもと向き合うことがあるだろう」と親御さんは考えておられるのかもしれません。しかし、何が起こるかわからないのです。思い立った時にやるということ。それをしなかった私などは、すごく後悔しているので。……
ひきこもりにとって「居場所」とは何なのか。そこで何をするとよいのか。それとも何もしないのがよいのか。何もしないうちに、居場所では何ができるのか。「何もしない」ことと「働く」の関係は……? 突っこんで語り合ってみました。
3年間ひきこもっていた次男。津波が来ても2階の部屋から出てこない。母は、階段の下にペットボトルと米を置いて長男と逃げた。そのときには、すでにすぐ先に波が迫っていた。……
東日本大震災が起こったとき、ひきこもりでありながら被災地へボランティアに向かった人はけっこうたくさんいた。長崎県佐世保に住む中村秀治さんもその一人であった。現地で何を感じ、何を考えたのか。
長崎県佐世保市。県庁所在地ではないが、この地方の中核都市として、さまざまな特色を持つこの地の居場所に通う一人のひきこもり当事者がいる。中村秀治さん。ひきこもりとして自身の体験を自費出版したこともある。このシリーズでは尾崎すずほさんを交えて…
陸前高田市 ひきこもりの父親 佐々木善仁さんの長編インタビューの第2回。悲しみと痛みを越えて、ひきこもりになっていった経緯をつぶさに思い返してくださった。「後悔」の向こう側に見えてくるものとは。
台風19号で土砂が流れこんだ岩手県宮古市のひきこもりの居場所で、スコップをふるって復旧作業に汗する69歳の佐々木善仁さん。ひきこもりだった次男は、3.11で避難せず、津波に呑まれて亡くなった。その悲嘆と再生の物語をシリーズでお届けします。
「おれたちは先進国のように金持ちじゃない。でも、分け合って生き延びるだけのものは持っている」 アフリカのように貧しい国々で、いったい「ひきこもり」はどのように生き延びているのだろうか。そこには、先進国には忘れ去られた共助の精神があった。
Africa is not a hard society in terms of human relationship and poverty than you think. Even if you can’t support yourself financially, our culture doesn't allow you to be hungry. Your family and relatives would always bring you something …
l'Afrique n'est pas une société aussi difficile en matière de relations humaines et de pauvreté que vous ne le pensez. En Afrique, même si on ne peut pas s'en sortir assez facilement de manière financière, la famille et tes proches te sout…
アフリカのように、人の心も空間も広い場所には「ひきこもり」が生じようがない。「ひきこもり」は、金持ちで精神が腐った先進国の現象だ。……そんな俗説がいつしか信じられている。ところが、それをくつがえす証言がある。西アフリカ、カメルーンのエトゥン…
"Hikikomori is found only in highly developed countries" Some specialist of hikikomori declare, but here is a testimony to turn it over. A hikikomori in Cameroon, Africa, talks about his philosophy that he reached after his hikikomori year…
Entrevue avec Hikikomori en Afrique, Cameroun : Etoundi Tour 1 « Je Pensais Que J'étais Seul, Mec! »
"Le hikikomori ne se trouve que dans les pays très développés", déclare un spécialiste du hikikomori. Voici un témoignage pour le rendre. Un hikikomori au Cameroun, en Afrique, parle de sa philosophie à laquelle il est parvenu après ses an…
「あなたの体験談を、あなたみたいに苦しんでいる人に語って。それが私たちへの恩返しだよ」そんな友達夫婦との出会い。さまざまな辛酸をなめながらも「ぼくは友達運に恵まれている」と振り返るタイキさん。決してきれいな形にまとまりきらない矛盾に満ちた…
ひきこもりはいるはずなのに、その情報が、その地方でひきこもりの当事者会をやろうとしている人の耳に入ってこない。援助職の「守秘義務」が壁になることもある。東京のようにはうまく行かない地方のひきこもりの実情を語る。
自殺未遂をして集中治療室に15日。出てきた彼に突きつけられたのは、とんでもない額の請求書。それからというもの病院にかかるたびにお金の話をされ、さまざまな関係がこじれていく・・・医療機関が少ない田舎にありがちなエピソード。
次の仕事を探し始め、新しい履歴書を書いた。もう、あとは投函するばかりにして、家に置いたままコンビニへ。ところがその時、あの地震と津波がやってきたのだった……
150錠ほど薬をのんでしまってから、 最後に牛のことが気にかかって、フラフラになって牛舎にやってきた。ひきこもり、うつ、自殺未遂…。沖縄に生きる一人のひきこもり当事者のロング・インタビュー、第2回。
ひきこもり・親・社会を結ぶ三角形を描くと、日本とヨーロッパではちがう形になるのではないか。個人と社会との関係もちがう。だから日本語には「世間さま」などという語が存在する。イタリア人初の日本精神科医フランさんとぼそっと池井多のあいだにスリリ…
If you draw a triangle connecting a tojisha of hikikomori, parent and society, the shape will be different in Japan and Europe. So is the relation between individuals and society. For, Japanese has the word such as "seken-sama"...
Se disegni un triangolo che connette un tojisha di hikikomori, genitore e società, la forma sarà diversa in Giappone e in Europa. Così è la relazione tra individui e società. Perché, il giapponese ha la parola "seken-sama" ...
地方のひきこもりには地方に独特の生きづらさがある。そして、それは地方の特色が反映され、地方ごとに違っていたりもする。島々から成り立つ南の国、沖縄。そこに生きる一人のひきこもりのロング・インタビュー、第1回。
「この人はひきこもりなのか、それとも社会的ひきこもりなのか」とわからなくなることがあって、「いったいひきこもりって何だろう」と考えるようになりました。……異文化の中でひきこもり専門の精神科医をめざす。
My life may be economically more stable if I become a psychiatrist in Italy, but that is not the point. The reason I chose this difficult path is that I wanted to be fully immersed in the culture that gave me the power to live on and saved…