親の不倫のために不幸になった人は不倫という概念を諸悪の根源と見なすだろう。しかし、そうではない成育歴をたどってきた者には、また異なる不倫観がある。母の過干渉から逃れる手立てとして、母に不倫をしてもらうことを願う高校生の息子。……
かっしーさんの創作連載、第2回です。
今の日本を生きていて、何が生きづらいかと聞くと「何でもかんでも自己責任にされる」と答える人が多い。それでは「自己責任」とはそもそも何なのか。なぜ「自己責任」にされると生きづらいのか。そこを解像度を高めて考えてみる。
最近、ひきこもり界隈では「農福連携」という語を聞く機会が増えた。減少している農業人口をひきこもりの就労に結びつける考え方だ。しかし、そこに留まらないもっと崇高な思想が背後に隠れている。
ひきこもりから脱するためにAV女優になるというショック療法を自らに施すことにしたまりなさんは、親の説得という難関をどのように切り抜けたのか。そして、はたして親はどのように思ったのか。
「親ガチャ」「国ガチャ」を嘆く声は多い。現代日本語「ガチャ」とは、いわば環境決定論であり、意志さえ持てばガチャから抜け出せるとしたサルトルの実存主義と対立している。背景には、昔から続く非決定論と決定論の対立の系譜が流れている。
親友が突きつけてきた問いの向こうにはいったいどんな答えが潜んでいたのだろうか。男尊女卑と女尊男卑、二つの昭和家庭を舞台に緊張感に満ちた会話の記憶。
7月末に某ひきこもり家族会の全国組織からアンケート結果が発表され、ひきこもり当事者と家族会の関係が調査された。それを受けて弊誌記者も以前から「家族が家族会へ行っているのが嫌だ」と訴えている当事者に緊急リモートインタビューを行なった。すると、…
「生きづらさ」を語らない人は、はたして節度と忍耐力があるからわざわざ「生きづらさ」があると言わないだけなのだろうか。……人間存在の根本的な不安をあらわすドイツ語 Angst から「生きづらさ」を考察する。
先々の考えなどないのに仕事を辞めてしまった。「みんな働いているのに」という居心地の悪さはあったが、せっかく働くのを辞めたんだからちゃんと無職をやろう、と思ってその道をフラフラしている。それでも人生はなんとかなっている。あんまり深刻に考えな…
生きづらさを抱える人間は豊かさの中の空虚感には苦しんでいる。そこでオウム真理教のような方向へ行くことなく、サバイバルするにはどうすればいいか。
自分より10歳も若い女性の生き方にショックを受けた高学歴の彼女は、AV女優になってひきこもりである自分の生き方と真正面から向かい合うことにした。……
子どもとの会話が成り立たないことを嘆きつつも、けっして子どもに真実を教えない親。親が持っている閉鎖性は、体外遺伝として子に伝承し「ひきこもり」というかたちで発現する…
自由であれば、人は選択し葛藤し悩まなければならない。つまり生きづらい。生きづらさの起源は自由なのだ。…… 団塊の世代が1960年代に「生活と生の不一致」をおぼえ、戦争が終わって自由になったはずなのに自由がないというもどかしさを感じていた時代をふり…
夫の実家には母と息子の共依存カプセルがある。夫の兄は中高年のひきこもりかも? そう思っていたら、いつのまにか自分たち夫婦が離婚の危機に。
恋人とも別れてしまい、両親との関係も行き詰まり、司法試験の勉強にも手がつかず、いたずらに歳月が過ぎ、彼女はひきこもりになっていく。焦りばかりが募っていたある日、彼女がインターネットで見つけたものは。
同じ「お金がない」という状態でも、貧困は命に関わる。いっぽう貧乏は健康になる。貧乏しながら贅沢に生きる知恵を先人に学ぼう。
会社勤めはもういやだ。家で勉強して資格を取ろう。……しかし、ずっと家にいると自己評価が下がり恋人との関係も危ういものに。
実質収入ゼロからいきなり月収60万円の生活になった当事者がいる。しかし彼の「一発逆転」劇の裏には見えない工夫があった。
ときどき社会に発生する無差別殺傷事件は、加害者の内部に蓄積された「生きづらさ」が爆発した結果であり、もともと精神を病んだ人間であったとは限らない。そう考える筆者が「生きづらさ」という語が登場する1981年以前にも遡って無差別殺傷事件の原因を考…
名門校、有名大学、一流企業……まるで女性のエリートコースをたどっていた彼女はレールを外れて自らの人生の道を切り拓いていくことになる。渾身のインタビュー第1回。
「地域で支えるひきこもり」という支援コンセプトが地域のひきこもり当事者活動を疎外する実例をもとに筆者の行政とのやりとりに苦慮してきた体験の当事者手記。
人生が詰んでしまった。絶望的状況。金も地位もない。 でも生き延びるために何とかしなければならない。そこで著者が目をつけたのが「言葉」だった。それも英語力を磨いてTOEICを受けるといった話ではない。ふだん私たちが使っている日常の言葉。日本語…
2年前に有料配信した記事の無料リバイバル。自立支援団体のスタッフがひきポスのインタビューに応じてくれました。支援者の側からひきこもり当事者をどう見ているのか、そして支援とはどういうものと考えているのか。存分に語っていただきました。あとがきは…
フランス革命の混乱のなかで断頭台の露と消えた王妃マリー・アントワネットのひきこもり部屋をご紹介。併せて「ひきこもりとは何か」を他者の視線という観点から再考する。唯物史観や社会構造から解き明かすフランス革命とはまた一味ちがう、嫉妬史観。
「罪悪感を抱くくらいなら働けば」と人はいう。しかし働いていると人生を無駄にしている気がして仕方がない。働いてるヒマなどないんだ。……なぜこんな気持ちになるのだろうか。
1981年に「生きづらさ」という日本語が誕生したころの「生きづらさ」とは、はたしてどのようなものであったのか。昭和の名優、高倉健のセリフにそれが語られている!?
「モテないから人生に絶望した」といえば軽薄だとあざ笑われようか。しかし世の中の大半の男性はなんだかんだ知的な言葉で装っていても、結局モテることを求めて生きているのではないのか。その道が閉ざされている中高年ひきこもり男性の慟哭。
「生きづらさ」という語彙は日本語にしかない。「生きづらさ」は普遍的ではないのか。昔から「生老病死」という。生きることが苦しみなのは人間の宿命のはず。でも、それと今の「生きづらさ」は同じものなのか。
昭和の歌謡曲に歌われる日本の「母」の姿は感謝と賞讃の対象である。それがどのようにして令和の毒母になっていったのか。高度成長が日本の「母」にもたらしたものについて考える。