ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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短編小説「獣皮」遊べなかった子 #20

ひきこもり当事者・喜久井ヤシンさんによる小説「遊べなかった子」の連作を掲載します。12歳の少年みさきは、海の上をただよう〈舟の家〉に乗り、行く先々で奇妙な人々と出会います。さびしさやとまどいを経験していくなかで、少年はどこへたどりつくのか……?時にファンタジー、時に悪夢のような世界をお楽しみください。 

 

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文・絵 喜久井ヤシン 着色 PaintsChainer

 

   獣皮


   Ⅰ ヴァイオリンを弾く少年との出会い

 上陸した島のなだらかな道を歩いていくと、みさきはその島の少年と出会った。少年は茶色の髪をなびかせながら、ヴァイオリンを奏でている。美しい音色だ。
 「やあ」、と、ヴァイオリンを弾く手を止めて、少年が話しかけてくる。
 「やあ」と、みさきも答えた。
 「旅人さんなんだね。この国にはあまり見るものもないけど、入っていくのは自由だよ。この道の先に、一つだけの町がある」
 「うん。ありがとう。そのヴァイオリン、きれいな音色だね。曲は、何ていう題名なの?」
 少年はヴァイオリンを見て、「『朝の書』」だと答えた。
 「ヴァイオリンなんて初めて聞いたけど、いい曲だと思うな。君は音楽家なんだね」
 「ありがとう。練習して、もっとうまくなるつもりだよ」
 少年は微笑んだけれど、ふと道のはるか遠くにある暗い木々の方に目を向けて、声を落とした。
 「今この国に入っても、大人たちは忙しくて、旅人さんには、かまっていられないかもしれない」
 みさきも道の先の、小さく町が見えている方を見つめる。
 「そう。良くないことがあるんだね。ぼくは、どこへいってもそうだな」
 「町に化け物が出るっていうんだ。化け物って言っても、大きめの猿みたいな奴だよ。何も悪さはしないし、凶暴なわけじゃない。それでも、大人たちは捕まえて殺さないと気がすまないんだ」
 「ふうん。悪者じゃないのに捕まえるんだ。食べるつもり?」
 「いいや、あんなの食べられやしないよ。解体はするけどね。大人たちにとっては、ルールが一番大切で、他の住民と違うっていうだけで犯罪なんだ。町に迷惑だからって言って、殺すんだよ」
 少年はまたヴァイオリンをかまえて、『朝の書』を少しだけ弾いた。明るい曲だけれど、どこか悲しげに響いている。
 「ぼく、行ってくるよ。また帰りに会えたら、その時にね」
 とみさきは少年に言って、少年も「またね」とほほ笑んだ。みさきは道の先へと進んでいった。

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   Ⅱ 化け物狩りとの遭遇

 町に近づくと道路は石畳に変わり、洗練された町並みが見えてきた。木造の家々は、真っ白の壁に黒い柱が交差して建てられていて、堅牢な見た目の造りをしている。みさきが砂利を踏みながら町を歩くと、装飾された玄関飾りや、均等に芽吹く鉢植えの花々があった。栄えている国のようだったけれど、人は誰もいない。
 みさきは遠くから騒がしい声を聞きつけたような気がして、町の中央から離れていった。そこは10メートルほどの木々が茂る、町のすぐそばにあると思えないくらいの、暗い森だ。シイノキに似ているけれど、太い幹からはうねるような枝が伸びていて、まがまがしい雰囲気があった。葉と枝であたりには陽がささず、硬い地面に朽ちた枝葉が積もっている。みさきはその森で、大人たちを見つけた。
 「おい!行った!行ったぞ!」
 「ふざけるなよ、取り逃がしてんじゃねえ!」
 十人以上の大人の男たちが、木々のあちらこちらを移動しながら叫んでいた。ある人は猟銃を、ある人は槍を持っている。みさきは、来てはいけないところに入り込んでしまった、とわかった。
 「あ?なんだ子供がこんなところにいて。お前外の国のもんか?」
 大人のうちの一人が、みさきに向かって叫んだ。野太くてびりびりするような大声だ。
 「そうです!でも、すぐに離れます!」
 みさきは騒がしさにまけないように、声を張り上げて答えた。大人たちのいる森から、早く逃げようとした。けれど突風が吹いたように、木々の隙間を巨大なものが移動して、みさきの頭上を通りすぎて行った。大人たちはその影を追いかけて、いっせいにみさきの方へと走り、あっという間に過ぎ去っていった。
 「邪魔んなる!近づくんじゃあねえぞ!」
 去っていく大人の内の一人から叫ばれて、みさきは体が固まった。このまま町へ戻っても、化け物狩りに巻き込まれるだろう。みさきは大人たちから遠ざかるために、そろそろと森の奥へと足を進めた。大人たちの叫ぶ声は、町の中から響いている。化け物は、建物のあいだを飛びまわって逃げているようだ。
 一瞬だけ見えたあの影は、どんな生き物なのだろう?たんに木のあいだをジャンプした猿のようでもあれば、見き聞したことのない獣のようでもあった。みさきは細かな枝と葉のある地面を歩いて、町から遠ざかった。森の中を静けさが支配したかと思えば、ふと大人たちの声がかすかに聞こえてくる。みさきには、化け物も大人たちの方も、どちらもが恐ろしく感じられた。

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   Ⅲ 大人たちからの逃走

 みさきは、完全に静かになるのを待った。同じところを一周し、木にもたれ、足の先で枝を折った。もう町へ行ってもいいだろうか、と思っていると、また騒ぎが近づいてくるようだった。木々と藪の先の見えないところから、バキバキと太めの枝が折れる音がし、大人たちの声も近づいてくる。いけない、と思った時には、獣の影が見えて、あっという間にみさきの方へと飛んできた。とても人間には不可能な動きで、異様に長い手足をバネのようにして、一足飛びにみさきの横、数メートル先に降り立った。みさきは名前のわからない獣と一瞬目が合い、顔を見た。目鼻のぐしゃぐしゃにつぶれたような、醜い姿だったけれど、にらみつけているというよりは、どこか苦しんでいる顔みたいだ。体には黒檀色の剛毛が渦を巻いており、ふとももには血がべったりとついていた。
 「いた!奴だ!奴だ!」
 大人の声が響き、次の瞬間、猟銃の破裂音がした。
 獣は飛び去って逃げ、驚いたみさきはとっさに頭を抱えた。
 「やれ!」
 「違う!ぼくは違う!ただの子供、ただの子供です!」
 みさきは叫んだけれど、茂みの先の大人たちが、姿を見分けられるとは思えなかった。
 「いるぞ!逃がすな!」
 バンッ、と、また猟銃の発砲音がした。みさきは木の後ろ側に回ろうと立ち上がって、そのままの勢いで逃げ出した。鉤爪のように曲がった枝と、黒みがかった葉をかきわけて、みさきは走った。数秒で肺は痛くなり、息も足りなくなったけれど、大人たちに捕まるわけにはいかない。後ろからはバキバキと茂みを蹴破りながら、怒りの声をあげて追ってくる大人たちがいる。
 「回り込め!奴はもう手負いだ!谷には行かせるなよ!」
 大人の声は驚くほど近くで聞こえる。みさきは藪をまたごうとして、足を引っかけて転んだ。左腕と頭を地面に打ち、足にすり傷ができた。
 「やれ!やれ!」
 殺意を持った何人かの男たちが、急速にみさきをとり囲んだ。
 「ぼくは化け物じゃない!」
 男が槍を振り上げるのがかいま見えて、みさきは両腕で体をかばった。一瞬の間ができた。三人の大人たちがみさきの手足をつかみ、わざわざ毛がないことをたしかめるように、大きな手で肌をなぞる。やがて一人が、
 「待てよ、おい。こいつは大丈夫らしい。どうやら、ただの子供だ」と慎重に言った。
 「わかるでしょう!ぼくは違う!化け物はもうどこかへ飛んでいったよ!」
 大人たちの手が、みさきを強引に起こした。
 遠くからは、猟銃が何発も聞こえている。別の大人たちが獣を追いつめているようだった。
 「そうだな、お前は子供だ。どうやら大丈夫みたいだ」
 と、まだどこか疑われるようにして、みさきは体中をまじまじと見られた。
 すると、森の奥の方から、
 「おおい、ようやくやったぞ!こっちへ来て見てみろ!」と呼ぶ声がある。
 「行ってみよう。こいつも連れていくぞ」
 と、みさきは大人たちに連行されるようにして、化け物を殺した現場へと足を進めた。

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   Ⅳ 化け物の皮を剥ぐ

 森の中の、少し開けていて日の当たる場所で、化け物は死んでいた。太い木の幹に登っているところを銃で撃たれて、落ちたところを槍で突かれたらしい。苦悩しているような醜い顔をして、獣は長い手足をぐったりとさせていた。十数人の大人たちが獣をとり囲んでいる中で、一人が血と泥で汚れた毛と肉にナイフを刺して、解体を始めている。みさきには理由がわからなかったけれど、化け物の皮だけを剥いでいるのだった。
 みさきは大柄な男たちの隙間から、その様子を見ていた。男の持つナイフが、ザクザクと化け物の皮膚をえぐっていく。まるで着ぐるみみたいに、不思議なほど簡単に皮膚が切られていった。 みさきはまだ心拍がおさまりきっていないけれど、隣に立つ男に聞いた。
 「こいつは、どんな悪さをしたの?どうしても殺されなきゃいけないことだったの?」
 「最初に現れたのは、一年半前になる。だけどその時は管理を強めて、こいつはいなくなった。だけど、2か月くらい前からだ。また急に現れて、俺たちを馬鹿にしやがった。この国では、許されないんだよ。こんな化け物はさ」
 化け物の足の皮がはがされると、中からは奇妙なほど白い肉が見えた。血と毛がへばりついていたけれど、そこだけ光っているように綺麗だった。
 「なんで皮を剥がないといけないの?何かの決まりがあるんだね」
 「俺たちだって、やりたくてやってるわけじゃない。こいつのためを思ってのことなんだ。だけど忠告も聞かないで、金も無駄にしてさ。ろくでもない馬鹿だったんだよ」
 みさきは男の話を聞いても、言っていることの意味がわからない。中央の男はナイフを持ちあげて、獣の腹部の皮を取り去った。すると奇妙なことに、中からは肉ではなく、服の布地のようなものが見えた。獣の剛毛のついた皮膚が、一切れ一切れ切除されていく。解体している最中だけれど、まるでもう見るものは見たとでもいうように、化け物をとり囲んでいる輪から、一人、二人と人が立ち去っていく。
 「俺たちの身にもなってみろっていうんだ。こいつだって、今までの真似はできなくなる」
 男の一人が、水を汲んできたバケツを置いた。男はそのまま町の方へと立ち去って、そのまま戻って来なくなる。
 「さあ、もう行こう」
 「ああ」
 一人、二人と大人たちが去っていった。中央の男は皮の切断をもくもくと進めていて、腕や肩の皮を取り去る。少し離れて見ていたみさきにも、化け物の全貌がわかった。手足には自分と同じ人間の素肌が見えていたし、獣の胴体の中から現れたのは、学校の制服のような衣服だった。十何人もいた大人たちは減っていき、解体者が一人と、そばに立つ男三人と、残りはみさきだけになっている。誰も何も話さなくなっていたし、森にあるはずの木々や鳥の音もしない。みさきも言葉を失って、解体する様子から目を離せなかった。ザクザクと首元を切り進めるナイフの音だけがある。男は化け物の顔にナイフを刺し、剛毛と血とともに顔の皮を剥いだ。中にあったのは、眠っているような、綺麗な顔をした少年だった。周囲にいた男も立ち去っていった。作業を終えた解体者が腰を上げる。そばにあったバケツをひっくり返し、横たわる体から血と泥を洗い流した。少年の全身がはっきりと見える。解体していた男も、バケツだけを持って歩き去っていく。他にはもう誰も残っていない。
 「待って。これは誰なの。どう見ても、ぼくみたいな男の子だ。どうして化け物の中から現れたの」
 解体していた男は、言葉なんて存在しないみたいに、みさきの質問を無視して去っていった。みさきは追いかけようとしたけれど、足を動かすことができず、座りこんでしまった。溺れ死んでしまったかのように、少年は傷もない姿をしている。積みあがった獣の皮と、水によどむ血の他は、化け物を思わせるものは何もない。森は音が殺されてしまったような静けさだった。一人きりになったみさきは、少年のそばで長いあいだ座りこんでいた。

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   Ⅴ 帰り道

 みさきは大人たちのいる国から離れて、海へと続くくだり坂を歩いていた。するとそこには、行きでも出会ったヴァイオリンの少年がいた。もっとも、ヴァイオリンの弦が切れてしまっていて、練習はできないようだった。
 「やあ。自分の舟に帰っていくんだね」
 とあいさつをされて、みさきは答えるかわりに、目を見てうなづいた。
 「この国には、何百年も続く大事な決まりがあってね。大人たちにしたって、ぼくたちを苦しめようとしているわけじゃないんだ」
 みさきはのどに力を込めて、無理やり声を出した。
 「君はどこへ行くの。これからもヴァイオリンの練習をして、音楽家になるんだよね?きれいな曲をいっぱい覚えて、演奏するんでしょ。発表会があったら、ぼくも聞きにいくよ」
 「ありがとう。でも、僕はあの町には帰れなくってね。これからどうしても、森へ行かないといけないんだ」
 少年は、「まったく、まいっちゃうよね」、と冗談めかした調子でつけ加えた。みさきののどにはまた沈黙がやってきて、言葉をかけることができない。
 「それじゃあ、元気で。ぼくだって、帰れないとは決まってないよ。どうなるかわからない。ちょっと大変だけど、がんばっていくよ」
 少年はそう言って、手をふり、みさきに背を向けた。町と森のある方へとつづく坂道を、少年は登っていく。その脚には、獣の剛毛のかたまりが生えているのが見えた。
 空は夕暮れの桃色に霞んでいて、水彩の雲をあざやかに染め上げている。ヴァイオリンがよく響きそうな、清らかな大気だ。みさきはこの日、この世で一番美しい旋律と、この世で一番深い静けさを聞いた。みさきの細い体には、震えるような余韻がいつまでも響いていた。

 



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 執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年東京生まれ。8歳頃から学校へ行かなくなり、中学の三年間は同世代との交流をせずに過ごした。20代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆。個人ブログ http://kikui-y.hatenablog.com/