僕は自殺をはかった。絶望が希望を打ちのめし、感情が理性を食い殺し、過去が未来を覆い隠すことはある。それが現実だ。でも……。
NHKハートネットで記事を朗読した作者が記す、渾身の当事者手記の後編。
前編は、「もう限界だ、死んでやる」と睡眠薬をどばどば飲んでいたときにふと冷静になってボランティアのNさんに遺言代わりのメールを送ったところで終わりました。後編では、どうなっているんでしょうか。まさか!? んなこたあない。
毒親ならぬ株親
遺言代わりのメールをしたのは、自分のお金が父親にいってしまうのをおそれていたからだった。でもなぜ、ひきこもりの自分が気にするほどお金をもっていたのだろうか。
僕が大学を中退したとき、本来なら学費で使うであろうお金を生前贈与の形でもらっていた。母がそのお金で株をやれと言ったのだ。兄の入れ知恵もあったのだろう。兄自身も株を勧めてきた。
ありえない話だろう? 普通、株よりも前に医療や福祉に相談するのが先だと思う。だけど、家族はマネーゲームに僕を誘ったんだ。事実は小説よりも奇なりってね。
当時、ホリエモンや村上ファンドなどが話題になっていた。小泉・竹中内閣で庶民も株を買うことを奨励していたと思う。デイトレーダーという言葉を知ったのもこのときだった。
兄は普通のサラリーマンだけど無駄遣いをせず、給与のほとんどを株につぎ込み、大きな利益をあげていたらしい。ヤングリタイアをほのめかしていたほどだ。そういうこともあり、母は僕に株を勧めたのかもしれない。
僕は乗り気ではなかったけれど、とりあえずテキトーにいくつかの銘柄を買ってみた。数日で数万の利益を得た。それからはテキトーな株を買っては売っての繰りかえし。株の知識なんてまったくなかった。
ライブドアショックが起きる数日前に偶然にも全銘柄を売却していた。多額の借金をすれば、家族も目を覚ましたのかもしれないのに。その後、リーマンショックもミラクルで乗り切った。
プロの投資家はサルに負けるという話があるけれど、それと同じだ。プロの投資家はひきこもりにも負ける。僕らはジョージ・ソロスやウォーレン・バフェットじゃない。霊感でトレードするしかないんだ。
フォースとともにあらんことを
(いや~、止めといたほうがいいと思うけどね)
(※ニューヨークのウォール街にあるチャージング・ブル。雄牛が角を下から上に突き上げる動作が、相場が上昇であることを示す)
自殺記念日は誕生日、そしてハロウィン
さて、睡眠薬を飲んだところに話を戻そうか。
ボランティアのNさんとその娘さんがすぐに自宅にやってきた。Nさんは近所に住んでいるんだ。遺言代わりのメールがあだになった。メールをすぐに見ると思わなかった。だけど、あの父親にあぶく銭とはいえ、お金がいくのは許せなかった。
Nさんの家に連れて行かれて薬を吐かされたが、出るのは唾液と胃液ばかり。大して薬を飲んでいなかったのだろう。死ぬ気になれば何でもできるなんてウソだ。死ぬ気になっても死ぬのは難しい。その日の夜はNさんの家で眠ることになった。
翌朝、Nさんが僕の顔を見てふとつぶやいた。
「学くん。今日あなたの誕生日じゃない?」
10月31日は僕の誕生日だ。そして、ハロウィンでもある。
誕生日に自殺する人は多いという。自分の場合は、たまたまだった。正確にいうと、30日か31日の深夜に自殺を試みたので判定しづらい。いずれにせよ、忘れられない日になってしまった。
毎年、誕生日を迎えるたびに僕はこの日の夜に起きたことを思い出してしまう。
暴君VS朝廷
Nさんが、「僕が父といると不安と恐怖を感じてしまう」ということを父に伝えてくれた。
Nさんは僕が母のお腹のなかにいたころからの母の友人だ。そして、母が倒れたときもそばにいてくれた。だから、母はそのまま亡くなることはなかった。
母は末期がんで余命三ヶ月だったけれど、Nさんのおかげで母は初孫を抱くこともできたし、僕たち家族も母と話す時間をもらえた。
いくら我が家のトランプでもNさんの言うことを一蹴するのは難しいのだろう。暴君とはいえど、朝廷の権威にはなかなか逆らえない。父は僕から距離を置いてくれた。
もともと、父は単身赴任で離れて暮らしていたがしょっちゅう僕が住んでいる家に帰ってきていた。そのたびに今回のようなことまではいかなくても危機的なことは起きていた。父の気分次第でこちらのメンタルはどん底に落ちかねないんだ。
主治医にも父のことを話したところ、
「はっきりいって君のお父さんの考えは野蛮だね。古代でも障害者とともに暮らしていたという記録が残っている。そういう考えの人と暮らしていたら良くなるものも良くならない。世帯分離を勧めるよ」と言われた。
待ちガイルのように父と距離を取る
いまは、父とそれなりに上手くやっていると思う。ニューヨークなど海外へ積極的に連れていってくれたりといろんな体験をさせてくれる。父なりにあの夜のことを申し訳なく思っているのかもしれない。
「ひとの心は金では買えるとでも思っているのか!」と僕が毒づくと(そのわりに父に海外に連れて行ってもらう)、ボランティアのNさんにたしなめられる。「普通では、経験できないことをさせてもらっているのよ。それは感謝しなさい」って。それで少し反省をする。
その意味では僕と父は似ているのかもしれない。お互い不器用なんだ。
あのときの暴言は許せないけれど、人って時々そういうことを言ってしまうものなんだ。自分にもおぼえがある。だれもが心の中にプチ・トランプが住んでいる。
距離感って大事だ。それは親子だけでなく兄弟や夫婦や恋人でもそうなんだと思う。親しき仲にも礼儀ありというけれど、親しき仲には距離感が必要だ。
みんな、心理的な距離感ばかり意識している。だけど、実は物理的な距離が心理的な距離に大きな影響を与えるんじゃないだろうか。
僕は物理的に父と距離を取ることで心理的な距離を調整した。相手に近づけば近づくほど粗が目立つ。だけど、遠くからみるぶんにはそれほど気にならない。解像度が低い画像と一緒だ。
ファミコン時代のドット絵がプレイヤーに想像力を要求したように、他者への想像力は距離が生み出す。解像度が高い時代は、人への要求水準が高くなり、粗ばかり目立ってしまう。4K、8K時代の弊害だよ。
人は、必ずしもわかり合う必要なんてないんだ。わかり合えないことさえわかり合えれば。それすらも無理ならば物理的に距離を取るしかない。待ちガイルのようにね。
※待ちガイル:ゲーム『ストリートファイターⅡ』のガイルというキャラクターが取る、おそるべき戦術。ソニックブームという飛び道具や中キックで相手を牽制して、じれて飛び込んできたらサマーソルトキックでイージス艦のように迎撃する。これで人間関係が破綻した人も多いという。
自殺記念日を友だち記念日に上書きする
毎年、誕生日前後になると気持ちが不安定になることが多い。でも、最近は嬉しいこともある。誕生日を祝ってくれる人がいるんだ。いままで友だちがゼロだった僕がだぜ。信じられないだろう?
自分がこの世に生まれたことをおめでとうと言ってくれる人がいる。自殺記念日って友だち記念日でもあるんだ。
絶望が希望を打ちのめし、感情が理性を食い殺し、過去が未来を覆い隠すことはある。そういうことってあるんだ。悲しいけれど。
でも、生きていてよかったと思えることもある。たとえば、好きな人ができたときとかね。すべての人に優しくなれるような気がするんだ。僕はそのために生きているのかもしれない。
熊谷晋一郎さんという方がこんなことを言っていた。「絶望だって、分かち合えば希望に変わる」と。分かち合える人との出会いが、僕を救ってくれたんだと思う。
これからもつらい日々はつづくと思う。絶望を分かち合える人がいなくなるかもしれない。過去の呪縛にとらわれて未来を描けなくなるかもしれない。だとしても、最後まであがいてみせたい。僕は執念深いんだ。へび年だからね。
今年の誕生日に父から電話があった。なぜか、取れなかった。そのあと、LINEにメッセージがはいっていた。なぜか、見られなかった。でも、LINEって未読でも最初の文章が少し見ることができる。
そこには、
「今日は、学の誕生日だったね。無理をしないで学のペースでね」
と書かれていた。近いうち、なんとか父にLINEにメッセージを送れたらと思う。できれば、電話もね。
いつか我が家のトランプとまた海外を旅したい。もちろん、トランプのおごりでね。いろんな世界があることをこの目で見てみたいんだ。短期間ならトランプにだって優しくなれるはず。
その日が来るまで、もう少し生きてみよう、この世界を。そして語ってみよう、僕らの未来を。
(写真:僕と父。場所はニューヨーク。父はトランプタワーではしゃいでいた。僕はセントラルパークでイマジンを歌う若者に感動した)
執筆・イラスト さとう学
(Twitter:@buriko555 )
1977年生まれ。 小学生のときに不登校。中学で特殊学級に通うものの普通学級への編入をうながされて再び不登校。定時制高校に進学するが中退してひきこもる。
大学を一年で中退してしばらくひきこもる。障害者枠で働き始めるがパワハラをうけてひきこもる。2017年にひきこもり支援を訴えて市議選に立候補。落選して再びひきこもる。