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【世界のひきこもり】北朝鮮のひきこもり パク・ナリさんの語りを視る

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中央がパク・ナリさん
韓国のテレビ番組 [탈탈탈] 17회 2부 - 2016년 입국, 라오스 탈북과정, 한국정착, 문미화 딸, 북한 : 박나리 인터뷰の画面より

 文・ ぼそっと池井多

 

 

ほんの2、3年前まで、「ひきこもり」は日本特有の文化現象だなどと言われ、それに対し私は一人のひきこもり当事者の立場から、

「そんなことはない。世界のどこにでもひきこもりはいる」

と声を大にして申し上げてきた。

ようやく、その事実は専門家の間でも認めざるをえなくなってきているようである。

考えてみれば、当たり前のことだ。

挫折したり、外の世界が怖くなったりすれば、人はひきこもるのが自然ではないか。それは人類が洞窟に住んでいたような古来から変わらないのでは、と私などは想像するのである。

ところが、近年はインターネットが出現したことから、このことを論じるのが難しくなった。インターネットの登場によって、人は外に出なくても世界と交流できるようになり、

「これによってひきこもりという種族が出現した」

などと語られるようになったからである。 

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北朝鮮の風景 撮影・ハナカユイ 2019年11月

世界のどこにでもひきこもりはいるのなら、北朝鮮(*1)にいても何ら不思議ではない。

ひきこもりという現象から日本社会や資本主義を批判する言説を生み出そうとする論者たちには、必ずしも都合のよい事実ではないかもしれないが、資本主義であろうとなかろうと、人は挫折したり、人生が拓けないときには、やはりひきこもるものだと思う。

 

今回、ご紹介するパク・ナリ(박나리)さんもそんな一人である。

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北朝鮮の風景 撮影・ハナカユイ 2019年11月

韓国のペナテレビ(배나TV)(*2)に、「タルタルタル(탈탈탈)」というYouTube番組がある。そこでは毎回、北朝鮮から韓国へ移住した人たち、いわゆる「脱北者」をゲストに招き、台本も編集もないトークショーを放送している。

番組名に三連している「タル(탈)」とは、漢字にすると「脱」。

「脱脱脱」というタイトルのもと、北朝鮮での生活、出身成分(*3) による差別、徹底した監視の目、脱北の経緯、韓国に入ってからの経験などが、それぞれ約2時間にわたって語られるわけである。

パク・ナリさんは、その番組の第17回にゲストとして招かれた。(*6)


[탈탈탈] 17회 2부 - 2016년 입국, 라오스 탈북과정, 한국정착, 문미화 딸, 북한 : 박나리 인터뷰

 「北朝鮮」というと、とかく私たち日本人は、まったく異なる生活空間を想像しがちだが、たとえば音を消してこの映像を見ていると、この女性に私などは東京・渋谷あたりでよく見かける、巧みな話術を備えた日本人の若い女性と何ら変わりない雰囲気を感じるのである。

2018年4月に日本に創設された北朝鮮(DPRK)翻訳会(*4)では、日本ではほとんど知ることのできない、北朝鮮に暮らす人々の何気ない日常を日本の人々に伝えようと、上記の番組「タルタルタル」の放送内容を日本語に翻訳して公開している。

この翻訳(*5)を元にして、パク・ナリさんが語っていることの要点を取り出し、編集してみることにした。

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関係地図 by Google Map

もともとわたしの父方は、歌や踊りを生業とする家系で、わたしも小さいころから歌が上手だったので、ずっと宣伝隊に入りたかったんです。

宣伝隊というのは、学校、団体、工場、軍隊などで組織される芸能ユニットのことで、人々が出勤する時刻や家に帰る時刻、あるいは労働をしている最中に、励ますために旗を振ったり歌を歌ったりする役割を担っています。宣伝隊にいれば男性との接触も多いんです。

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2019年11月 写真・ハナカユイ

父は細かいことには口を出さない性格で、簿記長(会計主任)だったこともあります。家のことは母に任せていました。

やがて、この父を北朝鮮に残して、母と脱北することになりました。

 

母はいつも商売で家を空けていました。母の代わりに、6歳上の一番目の姉がいつも私の世話を見てくれました。この上の姉が2011年に幼子を連れて脱北したとき、わたしはとてもショックだったんです。彼らはいま韓国に住んでいて、連れてきた子どもも、もう11歳(2019年当時)になっています。

 

中学(日本の高校)を卒業した18歳のとき、伯父の計らいで清津にある威鏡北道人民武力部の宣伝隊に入ることになっていました。

ここは素質のある人をオーディションで選び、隊の中で育成していくところです。わたしも歌のオーディションを受けました。

宣伝隊に入れば、将来的には国を代表する万寿台(マンスデ)芸術団に入れる可能性もあるので、北朝鮮の女性にとってはあこがれの職業の一つです。ふつう10人を一つのユニットとして活動します。

金正日が観覧に来る公演も年に1~2回ありました。そこでお目にとまれば、万寿台芸術団にスカウトされる可能性があるんです。

いよいよ3日後に入隊するという日になって、家族記録の上で、二番目の姉の名前の上に黒い線が引かれているのがわかったんです。姉は、彼女の家族とともに行方不明になっていたのでした。

そのため、「たとえ宣伝隊に入隊しても、任期である6年のあいだには、10人の中でお前だけは金正日様が観覧に来るとき出演ができない」と言われ、結局入団しないことになってしまいました。

ひどくおちこみました。そして、そのまま何事にも悲観的になりました。

何もできなくなり、1年のあいだ働きませんでした。

北朝鮮では、ふつう家族はみんな同じ部屋に寝るものですが、わたしは「静かじゃないと寝られない」といって、一人の部屋で寝かせてもらっていました。親との会話もなく、ほとんど部屋にひきこもりでした。

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北朝鮮の風景 撮影・ハナカユイ 2019年11月

 その6年後、2015年7月、熱心な共産主義者であったはずの母から「脱北」を持ちかけられたのです。

わたしは、「父を置いていくのなら行きたくない」と言ったのですが、母が「それなら死ぬ」といって鉄道の上に横たわったりしたので、母の本気度が伝わってきて、それで7月20日午後10時ごろ、履いていた7cmのハイヒールを脱いで豆満江(トマンガン)を渡ったのでした。

 

中国、ラオスを経由して、9月にソウル国際空港に着いたら、人々が話している言葉がわかるのでほっとしました。

韓国の国家機関、国情院で状況を聴取され、脱北者の生活のスタートを支援するハナ院へ送られ、そこを出て3日目から工場で働き始めました。「働いたぶんは自分のお金になる」と思うと、がんばれました。

 

「脱北」という、日本人の私たちからすると、とてつもない激動のドラマに比べると、あこがれの地元アイドルになれなかったから一年間ひきこもっていたということは、世界のどこにでも転がっていそうな些細な事実に聞こえるかもしれない。

しかし、そこから私たちが導き出せることは、はたして何であろうか。

資本や貨幣を媒介としなくても、身分やコネクション、境遇や環境など、さまざまな属性を武器として、人は競争して生きている。競争していることを自覚している者もいれば、「自分は競争なんかしていない」と思いつつ競争している者もいる。

競争は、勝者と敗者を生み、挫折や嫉みをつくりだす。すると、そこには「ひきこもり」が生まれるのである。

人民の平等を謳う社会においても、それは変わらない。

ただし、ややこしいのは、それが「ひきこもり」が形成されるすべての理由ではないということだ。挫折や嫉みだけが、ひきこもりを生むわけではないのである。

そこに、ひきこもりを世界的現象として捉える時の難しさがある。

(了)

 

脚注

*1. 北朝鮮

朝鮮民主主義人民共和国のことを『北朝鮮』と略するのは、韓国(大韓民国)もしくは資本主義の側の見方である」として、差別用語の一つのように捉える人もいる。たしかに、北朝鮮では韓国のことを「南朝鮮」と呼び、私たちはその呼称を使わないから、偏っているといえば偏っている。

そのような意見を聞く時、朝鮮半島における国際政治的な見解を述べるのが本記事の目的ではないので、できるだけ呼称は公平を期したいと思う。しかし他に妥当な呼称がないので、本記事では「北朝鮮」をそのまま使わせていただくことにする。他意はない。ちなみに、「北朝鮮」と呼びたくない人たちは「共和国」「DPRK(国名の英語表記の略称)」などを採用している。

 

 *2. ペナテレビ(배나TV) https://namu.wiki/w/%EB%B0%B0%EB%82%98TV

 

*3. 出身成分(출신성분)

北朝鮮の社会における階級といわれているもの。1957年、当時の国家主席であった金日成に対する忠誠の度合いに基づき「核心階層」「動揺階層」「敵対階層」の3つに分けられ、さらに1970年ごろに51の出身成分に細分された。

 

*4.  北朝鮮(DPRK)翻訳会   http://r.goope.jp/5yotuyanagi/

 

*5.   資料原文はこちら。

https://goope.akamaized.net/69621/190628161020-5d15bd5c733c1.pdf

 

*6. この存在を私に教えてくれたのは札幌市在住のハナカユイさんである。感謝する。

 

筆者プロフィール >
ぼそっと池井多 :中高年のひきこもり当事者。まだ「ひきこもり」という語が社会に存在しなかった1980年代からひきこもり始め、以後ひきこもりの形態を変えながら断続的に30余年ひきこもっている。当事者の生の声を当事者たちの手で社会へ発信する「VOSOT(ぼそっとプロジェクト)主宰。「ひ老会」「ひきこもり親子 公開対論」などを主催。
facebook:  vosot.ikeida
twitter:  @vosot_just

 

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