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「あなた何してる人?」 ひきこもりに関わる基本問題を語る

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文・ぼそっと池井多

 

 

部屋から出ても社会に入っていけない

ひきこもりに関わる問題として、かねてより私がひそかに

「あなた何してる人」問題

と呼ぶものがある。

 

ひきこもりは多様であり、一日じゅう部屋から出られない人もいれば、部屋からは出られても「ふつうの人」の社会へ入っていけないためひきこもりである人など、さまざまである。

私のように、純粋体調的にいっても布団から起きてトイレへ行くということさえできない日もあれば、難なく外出してひきこもり系イベントでマイク片手に発言する日もあるという、いろいろなひきこもり段階を行き来しているひきこもりもいる。

もっぱら医学の問題になっていくであろう、生理学的な意味での「体調」は、今ここでは差し引いたうえで、次の問いを考えてみる。

 

なぜ「部屋から出られない」のか。

なぜ「家を出て外へ行けない」のか。

なぜ「ふつうの人たちの社会へ入っていけない」のか。

 

それらの問いに共通して通底音のように響くのが、

あなた何してる人? と訊かれるのがこわいから」

という答えではないだろうか。

 

外へ出かけていく体力も体調も持ち合わせてはいるけれど、外へ出ていけば「あなた何してる人?」と訊かれるからひきこもり続けている、というひきこもりも多いはずである。

 

私自身、たとえば近所のおばさんに、

あなた何してる人?

と訊かれる瞬間をつとに恐れて暮らしている。

 

また、部屋からは出られるのに、社会的ひきこもりを自認する人も多い。ニートとの混同がよく指摘されるが、今それを論じる意味があまり見い出せないので、しばし棚上げにしてこれらの人の自認する理由を考えてみると、それは「働いてない」「仕事してない」からであることが多い。

 

ところが「働いてない」「仕事してない」となると、「あなた何してる人?」という悪魔の質問におびえることとなり、そのために部屋から出てこられなくなって、「社会的…」という接頭辞はいつしか消え去り、掛け値なしの「ひきこもり」になる。そういうパターンがよくあるのだ。

 

当事者活動をするひきこもりも「働いてない」?

それでは、そういう「働いてない」「仕事してない」ひきこもりは、皆が皆、ほんとうに「働いてない」「仕事してない」かというと、いちがいにそう言えないと思うのだ。

当事者活動など、へたな賃金労働を上回る価値のある仕事を、無償で黙々と経済外労働としてやっているひきこもりが多い。けれど、それらがたとえば

「満員電車に揺られて通勤して、上司に頭さげて、会社から給料もらって…」

という、いわゆる定型の賃金労働でないものだから、世間から「働いてない」「仕事してない」に分類されるのである。世間の風は冷たい。

 

近所のおばさんに、

あなた何してる人?

と訊かれて、もし私が、

「記事を書いてます。『ひきポス』という当事者メディアに『あなた何してる人』という記事を書いています」

と答えたところで、近所のおばさんは理解しないどころか、「金にもならないのに、この人、馬鹿じゃないかしら」とよけい私をおかしな中年男と見るようになるだろう。また、それをもって私を「働いている」「仕事している」人に「昇格」させてくれるとも思えない。

 

働いている人たちの世界に仲間入りできない

さらに、やっかいなことがある。

このように「働いてない」「仕事してない」ひきこもりの中には、「働いている」「仕事している」「ふつうの人」にまじって社会生活を送りたいと思っている者もひじょうに多い。

人並みに交流したいし、人並みに恋もしたい。「働いてない」ひきこもり男でも、「働いている」ふつうのキャリア・ウーマンを美しいと思う。生物として当たり前なことである。

ところが、上の図に掲げたように、日本社会には「働いている人」「働いていない人」のあいだに分厚いガラスの壁があって、「働いてない」ひきこもりはこの壁からはね返されてしまうのである。

私は「交流の壁」と呼んでいる。この壁は、実質的には「あなた何してる人?」という問いによって造られている壁である。

 

ヒエラルキーの底辺にいる私からすると、「あなた何してる人?」という悪魔の問いは、この壁の向こうから…、もっといえば「上」の方から聞こえてくる。そして、その問いを発する人は、たいてい「働いている人」「仕事している人」なのである。


その質問をはぐらかそうとして、

「あなた何してる人?」

「えーっと、自分は日本酒好きです」

「だからぁ、あなたは何をしている人なの?」

「あのう、鉄道オタクです」

とかなんとか答えてみたところで、

「フン、フン。それで、お仕事は何をされているの」

などと、相手の質問は執拗に核心へ戻ってくるものである。

 

ここで、

「何もしてません」

とは言いがたい。

 

言いがたいのである。

あなたも、一度やってみたらわかる。


この「言いがたさ」のために、すでに外に出られるひきこもりでも、社会の中へ入っていけないのだ。この「言いがたさ」が、おもに「交流の壁」の堅さなのである。では、その材質は何でできているのだろうか。

 

これが、一筋縄では語れない。

社会の「ふつうの人」たちが暗黙のうちに共有している「働いていないことはである」という認識。ひきこもり当事者が社会の認識を勝手に取りこんで内面化させている超自我の声。……それらが渾然一体となっていたりして、市販のドレッシングの成分のようにラベルに明記することができないのである。

この「言いがたさ」を突破して、どのように「働いている人」の間へ入っていき、市民的交流を果たすか、というのが、たとえば私にとっての「あなた何してる人」問題だったりする。

 

この「あなた何してる人?」というシリーズでは、こうしたひきこもりの社会生活の卑近なリアルを、私自身というひきこもりや、私の周囲のひきこもり仲間の例を引きながら考えていこうと思う。

 

・・・「第2回」へつづく(たぶん)

 

・・・この記事の英語版