文・ニティン
訳・ぼそっと池井多
インドでは、たくさんの人がひきこもりとして暮らしていますが、「ひきこもり」という語はあまり知られていません。
インドでは、ひきこもりは至る所で見られます。
仕事をしたいと思わない人。
プラスになるものを手に入れようともしない人。
望ましい結果や成功をもたらすことができない人。
学校、大学、就職、ビジネス、昇進で失敗した人。
結婚できない、家族を養っていくことができない、資産がない、など人生のさまざまな段階で失敗している人。……
私から見ると、それらすべての人たちに共通点があります。すなわち、自分の価値を示そうとしても示すことができないという点です。
そのことについてもっと詳しく説明する前に、私はひきこもりの皆さんに、まずは知っていただきたいことがあります。
「あなたは一人ではないこと」
「あなたにはそうなった責任はないこと」
「あなたは他の人の重荷ではないこと」
です。
インドであろうと日本であろうと世界のどの地域であろうと、私たちは皆ここに住んでいて社会の一員です。
私たちは皆、強くなるために生まれてきたのです。
私たちは皆、成功するためにここにいるのです。
ただ、私たちはそれぞれの自分自身になるための時間が必要なだけなのです。
私たちが自分自身を受け容れ、何を始めるのにもけっして遅すぎることはないと考えなくては、自信や尊敬や成功といったものは、けっして訪れることはないのではないでしょうか。
もし、それが他のひきこもりの人たちのためになるならば、私も自分のひきこもり体験談を皆さんにお伝えしたいと思います。
そうです、私はひきこもりだったのですが、自分を取り戻し、いまでは社会からまったく普通の男として見られるようになりました。
私の勝利は社会のためのものではありませんでしたが、私自身だけの勝利以上の意味を持つものです。それがいかに大きな意味を持つか、皆さんにお話ししたいと思います。
私はインドの中流階級の家庭に生まれました。
インドで中流階級の家庭というと、限られた資産ですべて望むことを成し遂げなくてはならない家庭と言えます。
そういうことはまったく成し遂げられない貧乏人でも、もともと資産がいくらでもある富裕層でもありません。
中流階級では、人々はみな成功して裕福になりたいと思っていて、「いっしょけんめい働かなければ、すべてを失って路頭に迷う」ということを知っています。
人々は何年も働いて得たものを、家を建てるために、あるいは子どもの教育や結婚のために費やします。
しかし、そうすることによって、家庭や人生の幸せと平和が犠牲になっていることを理解していません。
いま私は30代です。海外で教育を受けました。
これまで私は多くの良い仕事をしてきました。しかし、残念なことに、私は7年前にすべてを失ってしまいました。
職場での人間関係、昇進のなさ、インフレ、押し寄せる請求書の山がある日、私の心を破壊し、それで私は仕事で失敗をやらかし、会社の資金も、個人の資産も、すべて失くしてしまったのです。
多くのインド人がそうであるように、私は両親や兄弟姉妹など家族と一緒に住んでいました。
家族は私の将来や結婚をしきりに心配し、かつて私がよい就職を得るために借りたお金の返済を心配し始めました。
私もこれらのことが気にならないわけではなかったのですが、いつの間にか深く落ち込んでそれどころではなくなり、自分のことを人間の失敗作だと考えるようになりました。
私は、家族と私の貯金をたくわえるために、新しい仕事を始めようとあれこれもがきましたが、何事もうまく行きませんでした。
これで私はすっかり自信と力を失いました。
こうして私は自室のベッドの中で過ごすようになりました。
風呂に入ったり、ひげを剃ったりするのは、もうどうでもよくなり、とにかく一人で過ごしていたい気持ちで、いつも頭の中はいっぱいでした。
家族が心配して、食べ物や必要なものを私の部屋まで持ってきてくれました。
こんな生活のために、私には友人が一人もいなくなりました。そのことは今でも淋しく思っています。
それから私は6年もの間、何をやっても失敗しつづけました。
新しい技能を身につける学校に通ってみたり、やる気を起こさせるセミナーのようなものに参加してみたりしましたが、どれもこれも何の役にも立ちませんでした。
6年間、私は自分を敗者として見ていました。
家族は私のことを心配し、そんな家族と私はしばしば衝突しました。家族は、私が新しい生活に踏み出す気持ちがないものだと思っていました。彼らはみんな、私への信頼を失っていました。
幸いなことに、やがてそうした暗黒がすべて終わるときがやってきました。
私はある日、家族に対して、「自分を再起動させる時間が必要である」ということを理解させ、「私が働いていないことで残念に思うのをやめてくれないか」と言いました。
そして、あまり私の将来のことを考えずに、ただ息子として、兄弟として、友人として、ありのままの私を受け容れるように正面からお願いしました。
すると家族は皆、それを理解してくれて、私が再び自分を見いだす時間を持つことを許してくれました。
家族は、私が自分の長所を再び自覚するようになるのを助け、私の失敗や無礼や怒りを無視するように努めてくれるようになりました。
こうして私は、ついに新しいスタートを切るために必要なすべてのものを取り戻す時間を得ました。
最近では、以前のようにバリバリ稼げてはいませんが、それにもかかわらず、私は再びこちら側に戻ってきたことを今は幸せに感じています。
いま私は思うのです。ひきこもりだった私は、自分を偽らず、自分自身や家族、友人に忠実であったことによって、新たな何かを手に入れたのだということを。
私に必要だったのは、ちょっとした休止や再起動の時間でした。
だから、ひきこもりの皆さん、何年でもいいから時間をかけてください。
自分を資産として受け入れ、自分の強みを取り戻し、新しい力で世界がどれだけ美しくなるかを見てみてください。
もし私が必要ならば、私はあなたの力になります。
(了)
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<プロフィール>
ニティン:インドの首都デリーの中産階級に生まれ育つ。留学経験もあり、知的エリートであったが、職場の環境や仕事上の失敗を契機にひきこもりとなる。現在はひきこもりを脱し、以前ほどではないが働いている。ひきポス英語版をインターネットで読み、自らの体験談を寄稿することにした。
ぼそっと池井多 :まだ「ひきこもり」という語が社会に存在しなかった1980年代からひきこもり始め、以後ひきこもりの形態を変えながら断続的に30余年ひきこもっている。当事者の生の声を当事者たちの手で社会へ発信する「VOSOT(ぼそっとプロジェクト)」主宰。facebook: vosot.ikeida twitter: @vosot_just