・・・第2回からのつづき
文・ぼそっと池井多
昨日の第2回にひきつづき、先週6月8日に報道された東京・江戸川区のひきこもり調査結果報告書(*1)を読んでいく。
*1. 江戸川区 令和3年度ひきこもり実態調査の結果報告書
https://www.city.edogawa.tokyo.jp/e042/kenko/fukushikaigo/hikikomori/r3_jittaichosa.html
ガチこもりの主体の問題
多様であるひきこもり当事者にはさまざまな類別の考え方があるが、社会との距離の取り方や、外へ出られるか否かなどの観点から見てもいくつかの層に分けて考えられる。
外へ出かけて当事者活動ができる層から、ときどき外に出て当事者活動や居場所に参加できる層、さらに「外へ出なくては」と思いながらもあまり果たせない層まで、私は模式的に3層に分けて考え、L1、L2、L3 と名づけている。
L1 から L3 までは、多かれ少なかれ社会と関わろうとしているが、その先に社会と関われない、もしくは関わらない L4 の当事者群がある。これを私はサバルタン的当事者と呼び、ひきこもり界隈ではガチこもりなどと通称されている。
L1 から L3 まではある程度グラデーションとして推移するが、L3 から L4 への変化ではグラデーションの様相もあるものの、ある一線から社会に対する姿勢が反転する。
この境界線を私は「ガチこもりの壁(Subaltern Wall)」と呼んでいるが、この外側では「社会に関わりたい」が、内側では「社会に関わりたくない」になるのだ。
今回の調査をおこなった江戸川区の斉藤猛区長はケースワーカーの出身と聞くが、
「行政から最も遠い場所にいる人にこそ支援の手を差し伸べるべきだ」
と語っている(*2)。
区長がいう「行政から最も遠い場所にいる人」とは、私のいう「サバルタン的当事者」と同じ概念を指すものと思われ、今回の調査はそういう区民層に行政の支援を届ける目的をもって行われたことがわかる。しかし、それがすなわち善と断じられないところに、サバルタン問題の難しさがある。
サバルタン(*3)とはもともと文芸批評や社会学の概念だが、素人の私がざっくり言えば、社会の一員にな ら/れ ず社会と無縁に生きている人たちのことである。とうぜん福祉の対象にもな ら/れ ない。
「ならない」のか「なれない」のかによって、サバルタン個人の意思がどちらを向いているのか分かれるわけだが、そもそも接触できないのがサバルタンだから、それを確かめることができない。そのことが「サバルタンの壁」の外側では問題となる。
行政によるひきこもり支援と接点を持たない「ガチこもり」は、ひきこもり界のサバルタンというわけだ。
*3. ウィキペディア日本語版「サバルタン」
区長の言葉から察するに、区がもっとも支援したいのは「ガチこもりの壁」の内側、つまり L4 だろう。しかし、これはもっとも支援を拒絶している層でもありうる。
反対に、「ガチこもりの壁」の外側、とくにL1やL2は、都市部においてはすでに支援につながっている場合が多い。居場所への参加者の中には、すでにアルバイトで働けている人もいる。ガチこもりを支援したい行政にとって、もしかしたらこういう人々は力を入れて支援したい対象ではないかもしれない。
ここに、
「ほんとうに支援したい対象は支援できず、そんなに支援したくない対象ばかりが支援を受ける」
という支援現場のジレンマが起こる。
このジレンマに目をつむらないと支援事業はできないのではないだろうか。
こうしたジレンマは、ひきこもり問題に限らず、被災地支援や子ども食堂などさまざまな分野の支援現場で起こっていると聞く。
ここで、居場所にやってきた、もう働いている参加者に対して、
「あなたは働いているから、もう支援の対象ではない」
などと支援側が言ってしまうと、「冷たい」「支援を断られた」ということでクレームがつけられるだろうし、そういうふうに言われないために、支援対象に留まるべく、働けても働かない選択をする当事者が出てくるかもしれない。
そこで、
「問題はひきこもりでなく、生きづらさ。就労してからも継続的な支援を」
と当事者団体は求めたりするわけだが、あくまでも「ひきこもり」の支援のために予算を計上する行政との間には、微妙な思惑の違いがあるにちがいない。
つまるところ、行政にかぎらず民間においても、居場所などを運営するときに、
「ひきこもりでなくても居場所に来てくれる人」
を対象としなければ「ひきこもりのための居場所」が成り立たないという面がある。
すると、めずらしくガチこもりの方が恐る恐るその居場所に出てきてくれたときに、他の参加者たちのテンションの高さについていけず、
「ここは自分の居場所ではない」
と感じ、もう来なくなってしまう、といったことが都市部の居場所では現実に起こっている。(*10)。
*10. 私は、「居場所とは、個々人が自分で『居場所』と感じるところのものであって、他者から与えられるものではない」と考えるため、自分が開催している当事者会やイベントはできるだけ「居場所」と呼びたくない。また「安心」という心理状態は主観の産物なので、「安心できる居場所」というのも虚構の概念だと思う。
しかし、ひきこもり関連の催事は「居場所」と呼ばれることが習慣化しているため、便宜上、一般名詞として「居場所」を使わせていただいている。だが、少なくとも私がやっていることは「支援」ではない。
「もし行政がひきこもり支援をしたいのなら、アウトリーチではなく、当事者活動の後方支援をしていただきたい」
ということを再三申し上げているのだが、いっこうに聞き入れられる兆しがない。
ガチこもりが求めているもの
再び、本シリーズ第1回で触れた今回の江戸川区の調査方法に立ち戻りたい。
私は、今でこそ L1 に属する当事者だが、二十余年前にはどっぷりと L4 に属しているガチこもりであった。
独り暮らしだったので、まったく外へ出ないと餓死してしまうから、食糧の買い出しだけは何日かに一回、ひと気のいない深夜スーパーへ出かけていたが、あとは雨戸を閉めきった洞窟のように真っ暗な部屋で生活していた。いや、「生息していた」という方が近い。
そのころ住んでいた自治体がアウトリーチなどしなかったから、今日 L1 の私がある。あのころアウトリーチなどされていたら、よけいに殻を固くして、今でもL4のままだったかもしれない。
あのころの私が、現在の江戸川区に住んでいたらどうだろう、と想像する。
まず質問用紙が郵送されてきた段階で無視しただろうことは確実である。
そのため職員の直接訪問を受ける羽目になったろう。その体験は恐怖以外の何物でもない。今だっていやだ。
できるだけ居留守を使って、帰ってもらおうとするだろう。しかし、今回の江戸川区の訪問は冬場に行われたようである。エアコンのヒーターなど使っていたら、外に出ている電気メーターの回転速度でたやすく居留守はバレる。
仕方なく玄関の扉を細く開けると、質問用紙を差し出され、次のような質問が印刷されている。
当時の私だったら、あわてて
「就労に向けた準備、アルバイトや働き場所の紹介」
「短時間(15分から)でも働ける環境」
などの項目を選択したと思われる。
そして、それらは本音ではない。
本音は、
「早く帰ってくれ。放っておいてくれ」
であるから、この選択肢のなかでは最後の
「何も必要ない、今のままで良い」
がいちばん近い。
なぜ本音ではない選択肢を回答してしまうのか。
それは「働いていない」という状態に罪悪感を持っているからだ。
それで、目の前で「社会」を代表して立っている質問者におもねってしまうのである。
できるだけ、
「働きたいけど、働けないんです」
と、働いている人たちの価値観に恭順の姿勢を示すことによって、少しでも自分のひきこもり生活を確保しようとするのである。
もしここで、
「何も必要ない、今のままで良い」
などと本心を答えれば、行政や社会に挑戦状を叩きつけることになる。そんなことをすれば、必ず報復され、もはやひきこもっていられなくなるのでは……、といった思考回路を持っていたのだ。
あれから二十余年が経ち、社会におけるひきこもりへの理解はだいぶ進んできた。もちろんまだ十分ではないが、あのころと比べれば格段に進んだことは確かである。
その変化のおかげで、当事者たちは昔に比べるといくぶんか、
「何も必要ない、今のままで良い」
と本音を答えやすくなっている。
今回の調査では全体の3分の1近く、32%の当事者が、
「何も必要ない、今のままで良い」
と答えている。
それがもっとも多い回答になっている事実から、私はそういう時代の変化を感じる。
江戸川区も、ひきこもり当事者のそうした心性を理解しているらしく、このような文言をチラシに掲げている。
ところが、ニュースを見ていて私は度肝を抜かれたのである。
「何も必要ない、今のままで良い」
という結果が報じられたすぐあとに、ひきこもりの専門家が現われて、
「それは当事者の本音ではないと思う」
と「解説」したのだった。
そのときのテレビ画面の右端には、「江戸川区の大規模調査に関与」「ジャーナリスト」と肩書き風のテロップがあった。
権威に弱い人は、ついつい専門家のいうことを本当だと信じてしまう。
このニュースに関しては、当事者たちの生の声よりも専門家の「解説」を記憶に留めることだろう。
せっかく当事者たちが本音を語り、それが数字として出てきたというのに、その傍から専門家が出てきて、権威をもってそれを全否定するようなことを言う。
「それでは、当事者が何を言っても無駄じゃないか・・・」
私はため息をついた。そこに感じられる悲しさは、まるで賽の河原の石積みのようであった。
子どもが、
「ボク、このオモチャが欲しい」
と言っても、教育圧力の高い親が横から出てきて、
「あなたが欲しいのはそれじゃないでしょ。こちらの勉強のご本でしょ」
というのと似ている。
このような事象を、私は主体の
主体の剥奪は、表面的にはやさしさをもって行使されるので、当事者の主権の侵害であることに気づかない人も多い。
これでは、いくら行政が税金とマンパワーを投入してこの種の調査をおこなっても、「解説」する専門家がいるかぎり、当事者の声が行政や社会に届く日は来ないのではないか。
私はかねがね、ひきこもりの専門家の一部は特定派閥の支援業界と結託していて、ひきこもり当事者を主体のない、能力のない、包摂すべき、かわいそうな存在に仕立て上げようとしているのではないかと怪しんでいるが、今回はまさにそうした心証を強める一つの根拠となった。
江戸川区はこれを第一弾として、第二弾、第三弾を企画しているふしがある。まだまだ油断はならないわけだ。また他の自治体がつぎつぎと江戸川区の真似を始める恐れもある。当事者たちは目を光らせておかなくてはならない。
もしどうしても自治体がひきこもり施策を考えるのならば、関与させるのは専門家や家族会の代表ではなく、当事者にしていただきたいものである。
ちなみに、ひきこもりUX会議だけがひきこもり当事者ではない。(シリーズ完)
<プロフィール>
ぼそっと池井多 東京在住の中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。著書に『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(2020, 寿郎社)。
Facebook : Vosot.Ikeida / Twitter : @vosot_just / Instagram : vosot.ikeida
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