2018年5月19日、「NPO法人Node」の設立記念イベント
「一緒に考えたい ~ つながり・ひきこもり・はたらく場所 ~」
が都内で開催された。
本イベントの主なテーマは「働く」である。
Nodeはひきこもり当事者・経験者主体の団体としては、初の全国規模の組織。
下記文章にあるような社会の実現を目的とした団体である。
「ひきこもり等の生きづらさを抱える人たちと社会をつなぐ『結び目』となり、個性的な自己実現・多様性・リカバリーを認める社会の実現に寄与することを目的としている」(イベント案内より引用)
当日は企業・メディア関係者、家族と思われる人が少なくとも半数以上を占めているように見えた。
当事者団体のイベントとしては当事者・経験者の出席の割合が小さい。
ひきこもりにとって就労は高いハードルだということの現れなのだろうか。
「就労したほうがいい」を疑え
イベントの第一部は、ひきこもりを追い続けてきたジャーナリスト・池上正樹氏と、ひきこもりを広く認知させた精神科医・斎藤環氏による対談が行われた。
テーマは「ひきこもりと仕事」。
対談の中で特に私を惹きつけたのは、斎藤氏の「就労の自明性を疑え」という言葉だ。
「働かない”よりも”働いた方がいい、を疑え」という意味でも使われた言葉だが、これは疑うようなことなのか?
私自身、過去にその自明性を疑ったことはそれほどなかった。
斎藤氏はその「就労の自明性を疑え」についてこう説明する。
人が何かをしようとするとき、一番大事なのは動機を当事者自身が発見するということ。他人が上から押し付けた動機では長続きしない。
当事者自身が動機を発見し、それが就労という形をとるなら、その時点で働いてみればいい。そういう就労なら、その後にハードルが立ちはだかっても乗り越えていける事が多い。
そう考えると仕事は「したくなった人がすればいいもの」。つまり就労した方がいいと無条件に言えるものではないのだと。
正直、この第一部では「ひきこもりに向いている仕事」のような、就労ありきの話題も語られると思っていた。
だが実際に語られた内容のほぼ100%は、就労そのものへの問いや人の生き方。
少々大げさだとは思うが、Nodeの初イベントでこの対談を持ってきたところに、Node理事たちの願いや姿勢が表れていると感じた。
「時代の最先端」で再現された「15年前」
第2部は、理事、斎藤氏、ひきこもりの雇用経験のある経営者が登壇したパネルディスカッション。
理事や経営者に10ほどの質問が投げられ、各登壇者から多種多様な回答が出た。
その全てに言及したいとは思うが、ここでは特に印象に残ったある2つの出来事について話したい。
その2つの出来事とは。
まず1つめは、ある経営者(登壇者)の発言に「実際ひきこもってる当事者は、だれかの税金で食ってたり、親に食わせてもらったりで良いのか」という疑問が含まれていたこと。
そして2つめは、ある質問者(聴衆)が「この社会は納税で成り立っている。働かないことと納税をどう考えているのかが非常に疑問である」という疑問を投げかけたこと。
…私はこれらの疑問を聞いたとき、「それ、15年前のネット空間に腐るほど書いてあった話だよね(笑)」と考えて思わず苦笑してしまった。
15年前、つまり2000年前後。
「2ちゃんねる」という巨大掲示板が全盛で、ひきこもりやニートに対する罵詈雑言がネット空間で飛び交っていた時代。
「ひきこもり」といえば、苦労して働いている両親へ子どもっぽい反抗をして家の一室を占拠するかのようにひきこもっている、怠慢で悪い若い男性であり、その存在自体が問題だという認識が当たり前だったように思う。
この「食わしてもらってる。それでいいわけない」「働かなきゃ、でも無理…」を考えたことのある当事者・経験者の方は多いだろう。
ひきこもりが苦しい理由として、このようなジレンマと自責の念を挙げる当事者は少なくない。
疑問を投げかけた方々はそこに考えが及ばなかったのだろうか?
さらに言うと「この疑問が大して役にも立たないことは、今に至る歴史が証明している」ということにすら考えが及ばなかったのだろうか?
このお二方は本イベントに来るくらいだから、ひきこもりに対して感度の高い人間なのだろう。 それでも、こういう疑問を口に出してしまう。
このタイムスリップしたような光景を、まさかNodeという「ひきこもりの最先端を行く団体」のイベントで見せつけられるとは、全く思ってもいなかった。
「ひきこもりは唐揚げ以下」に挑め
この疑問について、登壇したNodeの理事たちは過去に考えてきたはずだ。
だからこそ会の全体を通して、就労は目的ではない・目的は生きることだと、時に強く時に冷静に伝えた。
理事の発言時間が全体の1/3程度だったのは残念だが、その時間の中でも聴衆にとって印象に残る言葉を確かに置いていったと思う(※登壇者の過半数は理事)。
だけど。
この2つの出来事が象徴するように、そして何より、多くの人が知っているように。
世間には「ひきこもりに対して想像力が働かない人」が大勢いる。
「ひきこもりに対して想像力を働かせる『つもりなどさらさらない』人」も大勢いる。
それは当然、この記事を書いている私にとって面白くない話だ。しかし我が身を振り返ってみると…。
残念ながら彼らとそれほど変わらない人間だろうな、と思ってしまう。
例えば昨年の私は、「伝統芸能の継承問題」という社会課題について一度たりとも考えていない。
様々な社会課題の大半は、「今日の夕飯が唐揚げだといいな」に比べれば圧倒的に他人事。
そして、彼らにとってはその1つがひきこもりというだけの話。
私が伝統芸能に全く関心を持たなかったように。
だから、ひきこもりが社会を変えたいと望むなら、そんな大勢の彼らに想像力を持たせる…共感を得る必要がある。
ここ数年で、ひきこもりの声は以前よりも多く世に放たれるようになった。
自治体や団体が新しい試みを始め、マスメディアがひきこもりを取り上げることも増えた。ひきこもり当事者や経験者の活動が増え、そして今日に至りNodeが出来た。
これらの声が社会の共感を得る新しい武器になるかもしれない。
だが、これがいかに困難で時間のかかることかは、容易に想像がつく。
社会を変えたいと望むなら、Nodeに関係あろうがなかろうが、この無関心という困難に挑むことは避けて通れない。
最後にNodeに関して。
この記事を読む人なら、Nodeの情報公開や組織体系などに批判があることはご存じだろう。まったくもって外野の私にも「こういう風にやりましょうよ」と口を出したい所が1点ある。
でもNodeには、理性的な批判に対しては誠実に答え、その上でブレずにこの困難に挑み続けてほしい。
本イベントで理事があげた声を聴いて、そう思わずにはいられない。