ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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ワケあり女子のワケのワケ ①「かすがいになった子」

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引っ越し先の自宅近くの風景。ここでよく犬の散歩をしながら自分の人生について考えていた。(撮影・ワケあり女子)

こんにちは、ワケあり女子です。

なぜこんな名前を名乗っているかというと、私の人生が文字通りワケありの連続だったからです。不登校・ひきこもりに始まり、結婚・離婚、パワハラ離職など、そこそこ波乱続きの30年でした。この度縁あってこのような連載の場をいただきましたので、ちょうど31回目の誕生日を迎えることもあり、今まで秘密にしてきた恥ずかしいことの数々を全部さらけ出してみることにしました。「ワケあり女子のワケのワケ」、どうぞお楽しみくださいませ。

 

物心ついた最初の記憶は母親の寝姿だった。3-4歳頃だと思う。ごっこ遊びをしていた一人っ子の私は不意に甘えたくなって、隣室の母親に「一緒に遊んで」と声をかけようとした。けれど室内なのになぜか新聞紙をかぶって横たわる彼女のその姿にただならぬ空気を感じて、「やっぱりやめよう」と人形と一緒に自室に引き返した。思えばこれがひきこもりへの最初の一歩だったかもしれない。

 

完璧に思えた人生のスタート

自分で言うのもおこがましいのだけれど、人生のスタート期に私に与えられた条件は完璧だった。恵まれた容姿に恵まれた頭脳、明るい性格、そして元祖キラキラネームとも言える、海外の有名な童話からつけたとても目立つ名前。おかげで小学校2年生までの私はクラスの人気者だった。先生からの覚えもよく、女子とは分け隔てなく友達で、クラスの男子の半分くらいは私のことが好きだった(とのちに再会した元クラスメイトの男子から聞いた)。あのままいけば間違いなくスクールカースト最上位にいただろうし、当時のクラスメイトたちは私がのちにひきこもったなんてきっと信じられないだろう。

そんなふうに順風満帆に見えた私の人生にもいくつかの陰があった。父親が夜不在だったこと。そのせいで母親の精神が参ってしまっていたこと。夫婦喧嘩が繰り返し続いたこと。食卓を楽しいと思えたことが一度もないこと。

 

一緒に食べない食事

私が生まれた1987年当時、地方ではバブル経済の余韻がまだまだ残っていて、若くして不動産業で独立開業したばかりの父はそれなりに羽振りよく夜遊びを楽しんでいたらしい。当時の私は父親というのは家にいないのが当たり前と思っていて、クラスメイトの「お父さんエピソード」を聞いてはよく驚いていた。

そして昔から結婚しても共働きが普通である福井県で、母親は出産後もフルタイムで働いていた。0歳児から保育園に通っていた私は「ちょうじかん」さんといって、他の子よりも遅くまで保育園に残る組だった。

当時の夕飯メニューにはレトルトカレーがよく登場した。ある時期まで私はカレーといえば銀色の袋に入っているものと思っていたし、だから「カレー作りの歌」なるものを保育園で聞いたときは衝撃を受けた。(ニンジンを、切る…?)

でもそのことで母親を恨んでいるわけではない。手作り信仰を女性に押し付けるのはどうかと思うし、仕事と子育て家事の両立の難しさは言われなくても想像がつく。

問題なのは一緒に食べた記憶がほとんどないことである。私がレトルトカレーを食べている傍ら、母はタバコを吸って缶ビールを飲んで私を眺めて「おいしい?」と聞いてきた。監視され餌を与えられているようだった。それでも「おいしい」と私は答えた。彼女は満足そうに笑った。

 

私さえ笑っていれば

崩壊した夫婦関係、私しか共通の話題がない夫婦。私は家の中でなるべく明るく振る舞うようになった。私さえ笑っていれば、私がこの家の希望であり続ければ、いつか両親も笑って仲良くなるかもしれない。だから学校で活躍したエピソードとか、テストで満点取ったとか、いいことだけを選んで話した。私は彼らの自慢の娘だった。自慢の娘の存在だけが、少なくとも母にとっては唯一の拠り所だったのではないかと思う。

ある日両親がひどく喧嘩して、父親が「じむしょ」に行ったきり何日も帰ってこなくなった。これはいよいよまずいかもしれないという不安がピークに達した時、自宅に一本の電話がかかってきた。父からだと察した母親はあろうことか私に電話を取らせた。メッセンジャー役をさせられた私は父からの伝言を母に伝えた。

狭いアパート暮らしだった両親は以前から郊外に家を買おうという話をしていて、いい物件が見つかったので見学に行かないかとのことだった。私は「おうち見に行きたい」「新しいおうちで犬を飼いたい」と言った。本当は別に新居にも犬にもそこまで興味はなかったけれど、そうやって私が楽しそうにすれば二人がよりを戻すんじゃないかと思ったのだ。こうして我が家の引っ越しが決まった。

 

尾をひく親との関係

「機能不全家庭」とか「アダルトチルドレン」という用語の存在を、ずいぶん大人になってから知った。自らの育った環境がそれに当てはまると認めるにはしばらく時間がかかった。

「子はかすがい」という言葉をいつからか嫌うようになった。かすがいとは材木同士をつなぎとめる金具のことだ。大人の都合で生きたままかすがいにさせられる子どもの苦しみを、さも美談かのように飾り立てるこの言葉を憎みさえした。

そして、子の存在のみを自らのアイデンティティとする親のあり方も次第に重荷に感じるようになった。私の人生を勝手に生きがいにしないでほしかった。親には親で自分の人生を歩んでほしかった。でもそれは、私が親の喜ぶような行動を取ってしまうことと表裏一体だったのだ。親との関係性の問題は、のちに私がひきこもるまで、そしてひきこもりを脱して今に至るまで、ずっと尾をひくことになる。

 

(つづく)

(著・ワケあり女子)