生きづらさ
「親ガチャ」「国ガチャ」を嘆く声は多い。現代日本語「ガチャ」とは、いわば環境決定論であり、意志さえ持てばガチャから抜け出せるとしたサルトルの実存主義と対立している。背景には、昔から続く非決定論と決定論の対立の系譜が流れている。
「生きづらさ」を語らない人は、はたして節度と忍耐力があるからわざわざ「生きづらさ」があると言わないだけなのだろうか。……人間存在の根本的な不安をあらわすドイツ語 Angst から「生きづらさ」を考察する。
自由であれば、人は選択し葛藤し悩まなければならない。つまり生きづらい。生きづらさの起源は自由なのだ。…… 団塊の世代が1960年代に「生活と生の不一致」をおぼえ、戦争が終わって自由になったはずなのに自由がないというもどかしさを感じていた時代をふり…
同じ「お金がない」という状態でも、貧困は命に関わる。いっぽう貧乏は健康になる。貧乏しながら贅沢に生きる知恵を先人に学ぼう。
ときどき社会に発生する無差別殺傷事件は、加害者の内部に蓄積された「生きづらさ」が爆発した結果であり、もともと精神を病んだ人間であったとは限らない。そう考える筆者が「生きづらさ」という語が登場する1981年以前にも遡って無差別殺傷事件の原因を考…
人生が詰んでしまった。絶望的状況。金も地位もない。 でも生き延びるために何とかしなければならない。そこで著者が目をつけたのが「言葉」だった。それも英語力を磨いてTOEICを受けるといった話ではない。ふだん私たちが使っている日常の言葉。日本語…
1981年に「生きづらさ」という日本語が誕生したころの「生きづらさ」とは、はたしてどのようなものであったのか。昭和の名優、高倉健のセリフにそれが語られている!?
「生きづらさ」という語彙は日本語にしかない。「生きづらさ」は普遍的ではないのか。昔から「生老病死」という。生きることが苦しみなのは人間の宿命のはず。でも、それと今の「生きづらさ」は同じものなのか。