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【 いまさらだけど「生きづらさ」の正体って何だ?】 第2回「生きづらさ」は変化するか

 

文・写真 ぼそっと池井多

 

 【 いまさらだけど「生きづらさ」の正体って何だ?】 第1回 からのつづき・・・

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前回に述べたように、私はまさに1981年に「生きづらさ」という日本語が誕生するとともに大人になり、そしてその4年後にひきこもったわけだが、今回は私が若者として人生と格闘していた1980年代の「生きづらさ」と、最近「生きづらさ」といわれていることの中身を比べてみたい。

 

昭和の「兄貴」、高倉健の或るセリフ

高倉健たかくらけんといえば、昭和に育った男性たちの多くが兄貴のようにあこがれた俳優である。

若い頃は『網走番外地』シリーズに代表される多くの任侠映画に出演し、やがて2.26事件で決起した青年将校の悲劇を描いた『動乱』、愚直に職務をまっとうする鉄道員を演じた『鉄道員ぽっぽや』など、ヤクザ映画以外の領域に活躍の舞台を拡げていったのだが、いずれも襲いかかるさまざまな生きづらさを噛み殺して「耐える男」を演じる姿に、昭和の男たちは自らを投影してしびれたのである。

そんな高倉健が発したセリフとして私がここで取り上げたいのは、彼の主演するヤクザ映画で有名になった、

「死んでもらいます。」

という極台詞きめぜりふではなく、英語で発した次のような言葉である。

"Try to work like a Japanese! Think about the team not yourself!"
「自分のことよりチームのことを考えて働け、日本人のように!」


このセリフが放たれたのは、リドリー・スコット監督『ブラック・レイン』(1989)(*1)というハリウッド映画であった。この作品は、高倉健の出演よりも、むしろ膀胱ガンで死期が迫っていたにもかかわらず血尿を隠して悪役を怪演した松田優作の遺作として知られている。

高倉健が演じていたのは生真面目な日本の刑事である。日米の警察が合同捜査を進めていくなかで、個人プレーが目にあまるアメリカの刑事に向かって忠告したのがこのセリフであったというわけだ。

すると、マイケル・ダグラス演じるアメリカの刑事はこう反駁はんばくする。

そのかわり日本では、新しい思いつきを持つ人間はいつも押しつぶされているんじゃねえか!

映画『ブラックレイン』における高倉健(左)とマイケル・ダグラス(右)

*1. 「Black Rain」劇場予告篇
https://www.youtube.com/watch?v=bcdsDNaGJxU


日本がバブル経済の真っ只中にあった年に公開された、わかりやすい大衆向け作品だけあって、このやりとりには当時の日本とアメリカの社会の違いがさらっと集約されている。

「社会を変えていこう」
という若者はいつの時代にも存在するだろうが、私の周囲にいたあの時代のそういう若者は、「生きづらさ」という語こそまだ使っていなかったものの、
「もっと能力ある者が能力を発揮できて、人生を謳歌できる社会にしよう」
という意味合いで「社会を変えていこう」と言っていた気がする。

やがて彼らのほとんどは日本社会に見切りをつけ、海外へ雄飛していった。
それを見て、
「海外へ行ってしまえば『能力を発揮するため海外へ雄飛した』と日本に残された人々は勘違いしてくれるだろう」
などという姑息な考えのもとに、海外へ行ってひきこもっていたのが20代の私であったといってよい。トホホ。

 

格差の拡がりにくい社会

一般に1980年代までの日本では、会社に入ってしまえば仕事ができなくても年功序列によって次第に給料はふえていった。ある意味、能力の低い人には居心地のよい会社員人生であったことは、当時のコメディアンにして歌手であった植木等の唄が物語る。

 

「サラリーマンは 気楽な稼業と来たもんだ~」 (*2)

 

 

若い頃にブラックに使われることを我慢していれば、やがて仕事ができなくても上司になり、若い者をブラックにこきつかって自分は何もせず、若い者より高い給料がもらえた。

仕事は若い頃にブラックにこき使われている間に現場で覚えていった。今でいう OJT である。
裏を返せば、就職活動をする前に人材としてスペックを高めておく必要はなかったのだ。今だったら「使い物にならない」と就職面接で切られるような、資格も経歴も実績も何もない人間のほうが、雇用者も自分の会社のカラーに染め上げていけるとして好んだのである。

学歴信仰を持つ人も多かったが、いっぽうでは中小企業や職人の世界ではこんな言葉があった。

「中卒は金の卵。高卒は銀の卵。大卒は泥の卵」

働かない人は働く家族によって守られており、働く人は家族主義的経営によって企業に守られており、企業は談合その他によって業界に守られており、業界は護送船団方式によって政府に守られているというのが社会の構図であった。
労働組合活動は現在より盛んだったが、うまく行っているところは組合が経営陣と対立するのではなく、労使協調路線でほとんど会社の一部署となっていた。いわば日本で働く人はすべて一丸となって「日本株式会社」ともいうべき巨大企業で働いているような感があった。

「経済は成長していくもの」という認識が前提で、先行投資が歓迎され経費は使い放題。監査なんて、あってないようなもの。課長ではちょっと苦しいかもしれないが、部長になれば会社の接待費で愛人を囲うことなど朝飯前だ、などと私は複数の企業人から聞いたことがある。

そのかわり会社への忠誠心が徹底的に求められた。
歴史小説家の司馬遼太郎は、
「日本の企業は、江戸時代の藩の現代版である」
と言ったが、それはまさに正鵠を射ていた。

私の父は中規模の企業の下っ端社員だったが、辞令一つであちこち飛ばされる転勤族であったために、私はしょっちゅう転校させられていた。行った先々では社宅団地に住まわされ、そこが一つの「村」になっていた。
そういった団地は、高度成長の波に乗って田畑のド真ん中をつぶして造成した敷地が多く、以前からある人間臭い自然な街の営みからは隔絶したニュータウンであった。

そこでは社内運動会や一斉清掃日など会社のイベントのたびに、社員はもちろん妻子に至るまで一家総出で朝から手伝いに駆り出されたものである。
会社で夫が上司に頭が上がらなければ、社宅団地では妻は上司の妻に頭が上がらなかった。「プライベート」 (*3)と私たちがこんにち呼ぶものはないに等しく、家の中の音も壁一枚へだてて団地の両隣の社員の家族に聞かれており、会社の生活が社員の家族の生活の隅々まで浸透していた。

 

*3. プライベート おかしな和製英語である。日本語で「プライベート」は名詞だが、英語で名詞は「プライバシー privacy」であるはずだ。英語の privateは「個人的な」という意味の形容詞であり、private(s)をあえて名詞として使うときは「陰部」「兵卒」などを意味する。

 

終身雇用が前提であるためリストラといったことはなく、よほど悪いことでもしないかぎり解雇される心配もなかった。
逆に社員の側も「待遇が不服だ」「人間関係がいやだ」といった理由で他社へ転職することなど許されなかった。いくら雇用契約書に途中退職や転職の権利が書かれていても、それはあくまでも書面上のことであり、いざ転職しようとすれば上司や同僚から裏切者のように後ろ指をさされたのである。まさに江戸時代の「脱藩者」であった。

だから、学校を出て企業に就職した時点でほぼ一生が決まった。
人生とはすなわち「会社人生」だった。寿命が短く、セカンド・ライフなどもなかったからである。

私はそのような人生に閉塞と虚無をおぼえた。今からしてみれば、そのこともせっかく大企業から内定をもらったのに、それを拒否してひきこもりとなる一因となったといえる。

 

「生きづらさ」の転換点

このように1980年代、私が20代のころは、「生きづらさ」といえば格差が生じにくい代わりに同調圧力によって個人が能力を発揮できない社会に対して若者が感じていた不全感や窒息感だったのだ。

やがて1991年にバブルがはじけ、1993年には就職氷河期が到来し、1996年には金融ビッグバンを迎え、日本はあらゆることにグローバル・スタンダードを採用せざるを得なくなった。

その結果、国際的に通用していた能力主義が日本でも人材評価の基準となる。すると格差が拡大し、やがて現在のようにそのことが若者が訴える「生きづらさ」の大きなウェイトを占めるようになる。つまり、こんにちの「生きづらさ」は自由競争からもたらされているのである。(*4)

 

*4. こんにちの「生きづらさ」は自由競争のみならず同調圧力からももたらされていると若者は訴える。しかし、ほんらい自由競争と同調圧力は反対のベクトルを向いているはずである。自由競争と同調圧力の関係については、また別の機会に考えてみたい。

 

かくして1981年に生まれた「生きづらさ」という概念も、たった40余年の間に内容が正反対といってもよいほど変わっている。

それでは、「生きづらさ」という語ができる1981年以前に「生きづらさ」はなかったのだろうか。次回はその観点から考えてみたい。

 

・・・【 いまさらだけど「生きづらさ」の正体って何だ?】 第3回へつづく

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<筆者プロフィール>

ぼそっと池井多 中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
ひきこもり当事者としてメディアなどに出た結果、一部の他の当事者たちから嫉みを買い、特定の人物の申立てにより2021年11月からVOSOT公式ブログの全記事が閲覧できなくされている。
著書に
世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(2020, 寿郎社)。

詳細情報 : https://lit.link/vosot
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