ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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【NHKハートネットTV朗読記事】人とつながる最初の一歩「銀の匙をもて」 ひきポス2号「こうして人とつながった」より

(文・さとう学)

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www.hikipos.info

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ある日、新世界のとびらを開いた。

 きっかけは兄からもらったおさがりのVAIO。そこから世界は広がったんだ。当時のネット世界は今よりもアングラ臭が漂っていたけれどそれがまた心地よかった。戦後まもないころの闇市のようでリアルから逃げ出してきた人たちが多かったと思う。 

 

 今のように洗練されたサイトなんてほとんどなかった。個人サイトが乱立するブログなき世界。まだ、ユーチューバーもいない混沌とした時代だった。

 

  大航海時代のコロンブスのように僕はネットの海を航海した。何度も座礁しかけたよ。アダルトサイトが僕の行く手を阻もうとするんだ。人魚の甘美な歌声に誘われてその場から抜け出すことは容易ではなかった。でも、いくたの困難を乗り越えてたどり着いたんだ。僕と同類がいる世界に。

ネットの中に同志を見つける

 ひきこもりの生態は未知な部分が多い。僕は厚労省の定義ではひきこもりにあたるけれど、現実では同種に出会ったことはなかった。皮肉なことに、僕らは出会えないような性質を持っているから。

 

だけど、ネットの世界ではたまに見かけた。彼らの中には自らのホームページを作っている人もいて、時々日記を書いていた。家の中で親とはち合わせにならないように涙ぐましい工夫をしている人もいれば、将来を悲観している人もたくさんいた。

 

 彼らの日記は僕を慰めてくれた。現実では決して出会うことはない人たちのいろいろな思いにふれ、勇気づけられたんだ。苦しんでいるのは自分だけじゃないと思えた。だけど、ひきこもり当事者のホームページはすぐに閉鎖されてしまう。

 

  理由は、何となくわかる。毎日が昨日の繰りかえしだから。その昨日は何もない不毛な一日。将来に展望なんてあるはずもない。日記帳を引き裂くように彼らはホームページを消去したんだと思う。そんなことをしたって絶望は消えやしないのに……。

呪文のように病名が飛び交う

 あるひきこもりのホームページに巨大メンタルサイトのリンクが張られていた。そこをたどると、多くの生きづらい人たちがいた。彼らは頻繁に掲示板やチャットで会話をしていた。

 

呪文のような病名や薬名が飛びかっており、死をほのめかす者も少なくなかった。最初は、戸惑ったし怖かった。だ けど、人間慣れるもので気づいたら僕も彼らの輪に飛び込んでいた。

 

 僕はネットではなぜか女性だと勘違いされていた。ハンドルネームが女性でも通用する名前だったからかもしれない。会話のときの一人称が「私」だったのもあると思う。女性だと思われるとなぜか優しくされた。男ってちょろいよね。僕も男だけど。

 

でも、今になってふと思った。もしかしたら、〝彼ら〞の中には男性だけでなく女性もいたのかもしれない。 いっぱい食わされたな。

 

  彼らから精神科や薬についていろいろ教えてもらった。僕も精神科に偏見があったんだ。レクター博士みたいに拘束衣をつけられるんじゃないかってね。だけど、彼らの話を聞くとそういうのはレアケースで多くは風邪をひいたときに内科に行く感覚のようだった。 

電話のかけ方がわからない

 当時の僕は、外を出歩くことすら困難だった。日中に外出するなんて正気の沙汰じゃない。人々の視線にさらされてまるで逃亡者のような気分になるんだ。他人はそこまで君のことを気にしないって? いや、気にするんだって。ここはニューヨークじゃないんだぜ。極めて均質化された社会なんだ。しかも、僕はそんじょそこらの人とは放っているオーラがちがう。 AI搭載の不審者解析カメラならすぐに僕を検出すると思う。誓ってもいい。

 

 外出するとしても人目を避けられる夜間にかぎられる。それでも人の笑い声は気になるし若者の存在は僕にとって脅威なんだ。怖さもあるんだけど自分が失ったアオハル(青春)を持っているからだと思う。それに嫉妬し、気が狂いそうになった。

 

  僕は小学生のころから不登校だったので、大人になるまでに獲得するであろう文化資本がないんだ。たとえば、電車の乗り方やファミレスでの会計の仕方がわからない。だから、一人で病院に行くということができないし電話もかけられない。

 

 だから、母親に頼んだんだ。精神科に連れて行ってくれと。母は保健師なんだ。一般の人より医療に詳しいはずだろ?でも、断られた。あんなところに行ったらよけいに悪くなるってね。

 

姉はソーシャルワーカーなんだ。一般の人より福祉に詳しいはずだろ? だけど、何もしてくれなかった。

 

父は博士号を持っているインテリなんだ。だけど、優生思想の持ち主。「障害者なんて本来淘汰されるべき」と言うんだ。我が家のトランプは相当やばいんだ。

プリズンブレイク

 家族という列強に囲まれた僕が取った手段は、暴力だった。市報に掲載された「ひきこもり相談を受けつけます」という文言をたまたま目にしたのがきっかけだった。これを逃したら一生家という監獄にいると思ったんだ。

 
 母はかたくなに外部の専門機関に相談をしなかった。そんな母を殴りつけてようやく保健所に電話をかけさせた。僕は外の世界に行くために罪を犯したんだ。見えない鉄格子を壊すことでようやく平成の座敷牢から抜け出すことができた。まさにプリズンブレイク。38度線を越えた気分だった。 

 

 そのあとはとんとん拍子に事は進んだ。保健所から精神科医と保健師がやってきて、医療につなげてもらうことができた。そして、保健師にひきこもりの自助グループをつくってくれないかと頼んだんだ。半年後に実現した。イッツ・アメージング!

 

その自助グループには、市や県の職員、臨床心理士のサポートがあった。それに加えて、三人のボランティアもいた。手厚すぎる支援だと思う。当初、その自助グループに参加した当事者は僕も含めて三人だったから特にね。

 

 積極的にどんなことをしてほしいか発言した。ほとんどが実現した。まさにオーダーメイドの支援で理想的だった。世の中、あらゆるヒトやモノやコトが奇跡的に組み合わさることってあるんだよ。それが悪い方向にいけば誰だってひきこもるんだと思う。もちろん、君だってね。

待つより動くことで

 これは県の職員が言っていたことだけど、役所というのは要望が出されたら何らかの回答をせざるを得ないんだって。もちろん、要望を出したからと言って百パーセント通るわけじゃない。

 

でも、出さなければ絶対通らない。相手がこちらの状況を忖度(そんたく)していろいろやってくれるなんて思わないほうがいい。君だって今の仕事で手一杯なのにわざわざ仕事を増やしたいと思うかい?  そういうことさ。

 

 どこかからマザーテレサのような人がやってきて助けに来てくれるなんて幻想を抱かないほうがいい。僕だって新垣結衣のような支援者がやってきたら秒速でひきこもりから抜け出す自信はあるよ。でも、実際ガッキーのような人は現れなかった。これが現実。悲しいけどね。

 

  僕は何とか外の世界につながったのかもしれないけれど、新たな問題も発生した。障害者枠で働いていた職場でパワハラにあったんだ。弁護士に相談したほどだよ。今でも立ち直れていない。また、父とのトラブルで医者から世帯分離を勧められたことだってある。家族の存在は、毒にも薬にもなると思ったよ。

銀の匙をもて

 絆(きずな)という言葉がある。だけど、絆はほだしとも読むんだ。ほだしとは手かせ足かせのこと。絆(きずな)の名の下に人を束縛することもある。ひきこもりへの道は善意で舗装されていることだってあるんだ。だから、ゆるいつながりを複数もったほうがいい。強いつながりは人をしばるから。

 

 僕が外の世界につながれたのはただの運だと思う。タイミングが合わなければ実現しなかった。だけど、一本のスプーンで刑務所を脱獄する囚人のように常に機会をうかがっていた。自分が冤罪だと信じていたからね。君も万が一のために胸にスプーンを忍ばせておいたほうがいい。そう、できるなら銀の匙をね。決して手放してはいけないよ。いつチャンスが訪れるかわからないのだから。

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