インタビュー・翻訳・構成 ぼそっと池井多
編集 アルメル・エトゥンディ
・・・「エトゥンディの場合 第1回」からのつづき
ひきこもり脱出の秘儀
ぼそっと池井多 さっき「ひきこもりを克服した」って言ってたけど、どうやったの。
エトゥンディ おれは瞑想によってひきこもりを乗り越えたんだ。おれは自分が乗り越えた方法で、今ひきこってるダチを助けたいと思ってる。
彼らはときどき、どうやって自分のひきこもり生活を変えられるか、とおれに聞いてくる。そこでおれは、こう言ってやるのさ。
「変えようとしちゃいけない。変えようとするときに邪魔になっているものに、社会から後ろ盾を与えさせない、ってことに尽きる。いちばん大切なのは、お前をひきこもらせているものとの調和を確立することなんだ」
とね。
おれは、人々を助ける必要性を感じている。おれのダチだけじゃない、全世界の人々をだ。それがおれの哲学だ。だから、おれは「オクシド・ルーメン」という人道主義協会を設立することにしたんだ。
ぼそっと池井多 へえ、よくわかんないけど、なんかすごいね。
でも一方では、私は人を助けるっていうのは、そんなに簡単なことじゃないと思うよ。
ところで、きみがひきこもった理由は何だったのかい。
エトゥンディ うーん、そいつはちょっと話せねえな。ごめんよ、ブラザー。あまりにも話が長くなりそうだから。でも、いくつかポイントだけかいつまんで話そう。
まず人間ていうのは、生まれながらにして自由で平等だ。人種や、肌の色や、文化や、宗教や、性別などによって違いは起こらない。
それから人間は生まれながらにして善良なのだ。社会が我々を悪くしているだけだ。
なかにはおれたちを、ただ利用しようとする人間もいる。経済的な搾取、あるいは性的な搾取。そういうやつらは生きるエネルギーの吸血鬼であり、精神の奴隷商人なのだ。
でも、おれたちは幸運にも、生まれながらにして、死ぬまで、見えない攻撃から俺たちを守ってくれる精神的免疫機能というものを持っている。そのことを、人はとかく忘れがちだ。
ほんとうだよ、ぼそっとさん。すべての恐怖はエヴェリッシュだ。
ぼそっと池井多 エヴェリッシュって何?
エトゥンディ 悪い精神、暗闇につながってる、ってことだ。
ぼそっと池井多 なるほど?
そんでもって、どうやら、きみがひきこもりになったたくさんの理由が、きみの頭のなかで複雑にからみあっているようだね。それはそうだろう、ほとんどのひきこもりの場合、きっかけは一つじゃなくて複雑だ。ほんらい我々はひきこもりになった理由なんて、簡単に答えられないものなのだろう。
だけど、私の場合は、何度もメディアなどに同じことを訊かれて、そのたびに「もっとわかりやすく説明しよう」とあがいている間に、だんだん私がひきこもりになったきっかけが説明として磨かれてきて、わかりやすくなってきたよ。
エトゥンディ ひきこもりになった経緯を、ほかの人に説明するのはむずかしいよな。
だからこそ、ひきこもりを実際に経験した者以上に、ひきこもりに関して理解できるやつはいないんだ。
ぼそっと池井多 私の場合は、だから当事者発信をしているともいえる。
ひきこもりとして生き延びる
ぼそっと池井多 ところで、カメルーンでは、ひきこもりはどうやって経済的に生き延びてる?
エトゥンディ おれのひきこもり友達のうちの一人は、音楽プロデューサーになりたいらしい。でも、今のところ彼はソング・ライター止まりだな。彼は最近、ほかのアーティストのために曲を書いてやって、金ももらったそうだ。そういう金で彼は生き延びているらしい。
もう一人のひきこもり友達は働いてない。でも、彼は楽器を練習してる。彼は、兄弟姉妹といっしょに家に住んでる。兄弟姉妹が彼を経済的にも面倒みてる。彼らの両親は遠くの田舎の村に住んでる。
ぼそっと池井多 なるほど。けっきょく、福祉政策はないけれど、彼らは喰っていくのに困ることはないのだな。
エトゥンディ おれは、彼らを、おれが作る人道主義協会でスタッフとして雇い入れようとして交渉してるところだ。
ぼそっと池井多 へえ。きみの活動がうまく行くといいね。
もう一つ質問がある。きみも、きみの二人のひきこもり友達も、きみの国ではいわゆる上流階級かい。
エトゥンディ いいや、おれたちはみんなこの国では中流階級だな。
ぼそっと池井多 きみの国では、中流や下流の階級の人たちにもたくさんひきこもりがいると思うかい。
エトゥンディ ああ、中流にも下流にもたくさんひきこもりはいるだろうよ。でも、おれたちは実際に彼らを見ることはないね。だって、そうだろ。ひきこもりっていうのは、外に出たがらないからひきこもりなのであって、ひきこもっている間は外から見つけることはできないじゃないか。
ぼそっと池井多 よくわかるよ。それはひきこもりに関する世界的な真実だろうね。
ひきこもりは、社会の他の人たちに存在を知られたくないものだよ。たとえば、私は日本の首都、東京という大都市でひきこもっているわけだけど、私の近所は誰も私がひきこもりであるということを知らない。だって、私がいっさい近所づきあいをしないから。きっと近所の連中は、ここに何年もおかしな中高年の男が住みついて、夜も昼もブラブラしてるらしい、と思っているだろうね。
私は、私をふつうの人の社会へ戻そうとする人たちを拒んできた。だって、私はこうやってGHOというひきこもりの世界的ネットワークを作り、私なりに世界中の他者とつながっているから、人とのつながりはそれで十分だと思うからだ。
これが私なりの社会への参加の方法であり、社会の一部として生きる道であって、彼らのやり方で一般社会へ投げ戻される必要などまったく感じていない。そんなのは真っ平ゴメンだ。
エトゥンディ 激しく同意だよ、ぼそっと。おれもひきこもりのダチに言ってやってるんだ。
「ひきこもりだからって、人生で成功できないわけじゃないぜ」
とね。
「お前が解決や成功を見つける場所は、いわゆる社会の中だけとは限らない」
とも言ってやってる。
あんたの言ってることも、結局そういうことだ。社会に復帰することは、ひきこもりの「解決」や人生の「成功」のための、たくさんあるパターンのうちの一つにすぎないってことだ。いわゆる「ふつうの人たち」はこう信じてる。
「もし社会へ復帰したら、お前は自由だぞ、どこでも行きたい所へ行けるぞ、それ以上『社会復帰しろ』と圧力をかけるような奴らに、これ以上囲まれることなく生きていけるぞ」
とね。
ぼそっと池井多 そうだ。でも、それは解決や成功のパターンのうちの一つでしかないってことなんだ。
うーむ、きみとの会話はたいへん面白い。世界中の人々は、
「アフリカというのは心の開けた人たちの住んでいる大陸で、そんなところにひきこもりなんか居ない」
と信じている。
たとえば、しばらく前にフランスに拠点をおく国際放送が私たちHIKIPOSのことを放送したものだから、世界中から私たちメッセージを送られてきたことがある。その中で、アフリカからコメントを送ってきた人がいて、
「おい、お前たちはそんな日本みたいなゴミゴミした、閉鎖的な風土の中で生きているからひきこもりなんかになるんだぜ。おれたちの大地アフリカへ来い。そうしたら、ひきこもりなんか一日で治るから」
などと言うんだな。
私は、「なんかこいつ、あやしい」と思ったものだ。
エトゥンディ 「アフリカ社会では、みんな開かれた心を持っていて、そこにはひきこもりなんかいない」
ということは、確かによく言われる。
でも、それは本当じゃない。アフリカのひきこもりは、ただひきこもっている生活を表に出さないだけだよ。
分け合って生き延びるアフリカ
ぼそっと池井多 その言葉、情報量たっぷりだ。私は世界中の人にきみのその言葉を聞いてもらいたい。
カメルーンの中流階級の家族は、働かないひきこもりを家族の中に養っていて、経済的には大丈夫なのかい。それで家族はやっていけるの。
エトゥンディ あのな、ブラザー。……
アフリカっていうのは、あんたらが考えているほど貧しさと人間関係において厳しい場所じゃないんだよ。
アフリカでは、たとえあんたに自分で喰っていく稼ぎがなくても、おれたちの文化があんたを飢えさせておかないんだ。わかるかい。
食べるものがなくなったら、遅かれ早かれ家族や親類なんかがみんなで食い物を持ってくるよ。自然に助け合うんだ。そうかんたんには飢えない。
これは、カメルーンだけでなく、サハラ砂漠以南のアフリカの国すべてにおけるおれたちの文化と伝統なんだ。おれたちの祖先が代々、有形無形に子孫に伝えてきたことなんだよ。
「もし近隣に飢えた者、乾いた者がいたら、食べ物を与えよ。水を与えよ」
とね。
だから、アフリカではいちいち金を払ったりしないで、ごく自然にものをあげたり、もらったりしているよ。それでみんな生きてるんだ。
先進国のあんたらに比べたら、おれたちは貧しいかもしれない。でも、まだ分かち合えるだけのものは持ってる。
ぼそっと池井多 すばらしい。資本主義の奴隷になっていないわけだ。
よく「『部族』『酋長』といった語を使ってはいけません、未開な地を差別するみたいだから」なんてことをいう学者先生がいるんだけど、アフリカを「未開だ、遅れてる」と考える頭そのものが差別的なのだと思う。つまり、「差別的だ」という学者先生のなかに差別があるのだろう、と。
資本主義の奴隷になっていないことは、はたして「遅れている」のだろうか。私は必ずしもそうは思えないんだよ。
それは、私たちひきこもりが、無益な競争をする社会に出ていかないだけの賢さを持っている、と解釈できるのと同じであって、アフリカは先進国のように殺伐とした資本主義社会へ出ていくことから、賢くもひきこもっている結果が、そういうふうにお金を介しなくても社会が動いていく仕組みだったりするのではないかな。
エトゥンディ でもな、カメルーンも急速に経済発展している。だからヨーロッパとか北アメリカの生活様式がどんどんおれたちの生活に流入してるんだ。でもその一方で変わらないものがある。いま言ったようなおれたちの伝統と心だ。こういうものは深く広くアフリカの地に根差しているんだ。
まあ、たしかに働かないひきこもりが一人、家族にいたら、家族はそいつをお荷物や邪魔者に感じるときもあるだろうよ。
「そんなところでグズグズしてないで、さっさと金を稼ぎに行け」
などというわけだ。
でも、しばらくするうちに自然にそいつを受け容れるものだ。だから、もしあんたがアフリカで稼ぎがなくて、ひきこもっていたとしても、まわりの人間とつながりがあるかぎり、アフリカでは飢えて死ぬことはまずない。生き延びられるよ。
ぼそっと池井多 きみの言葉を聞いていて、とても感動したよ。語ってくれて、どうもありがとう。我々にとっては貴重な話だから、この会話を編集して記事にさせてもらうよ。
エトゥンディ お、そいつはいいね! ひきポスでおれの言葉を読むのを楽しみにしてるぜ、ブラザー。ひきポスは、ここアフリカでも知られているからな。おれの話を聴いてくれて、ありがとうな!
(了)
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< プロフィール >
アルメル・エトゥンディ
元ひきこもり・現ひきこもりサポーター
人道主義協会 オクシド・ルーメン(#OCCIDO LUMEN)代表理事
カメルーン (西アフリカ)
< インタビュアー・プロフィール >
ぼそっと池井多 :まだ「ひきこもり」という語が社会に存在しなかった1980年代からひきこもり始め、以後ひきこもりの形態を変えながら断続的に30余年ひきこもっている。当事者の生の声を当事者たちの手で社会へ発信する「VOSOT(ぼそっとプロジェクト)」主宰。
facebook: vosot.ikeida
twitter: @vosot_just
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