(文・湊 うさみん)
ひきこもりにはある種の才能・いいところがあります。
「何の才能もないから仕事に就けずにひきこもってるんじゃないか」と思う人もいるでしょうが、労働につながることだけが才能ではないはずです。
私の考えるひきこもりのいいところとは以下の三つです。
・少ないお金でヒマをつぶせる
・底辺にいるのであとは上がっていくだけ
・社会的弱者のことを気遣うことができる
貧乏暮らしでもへっちゃら
睡眠時間が8時間、食事やお風呂を1時間と考えると一日15時間ものヒマがあります。
ゴールデンウィークなどで一週間の休みをもらった人もいるでしょう。その間、「お金もないし何もやることがなくて退屈だ……」となってしまった人はひきこもりには向いていません。
数か月単位、場合によっては何年、何十年単位で休みがあるのがひきこもりです。時間の潰し方のプロと言えるのではないでしょうか。
私はひきこもって8年ほどになりますが、全然退屈していません。
「wikipedia見てたら10時間過ぎてた」「ネットゲームは一日14時間」「一日三冊本を読んだ」「考え事してたら五時間経ってた」「寝すぎて月曜日をすっ飛ばして火曜になってた」
こういったことはざらにあります。
ここでのポイントは「お金を使わずにヒマを潰す」ことです。出かける場所なんて山ほどありますし、お金を使っていいのであればいくらでも時間を潰せます。
お金を使わずに何千・何万単位の時間を潰すことができる。それがひきこもりです。
なぜか最底辺に位置してしまっている
ひきこもりの一般的なイメージとしては「働かずになまけている人たち」といったもので、社会の底辺扱いされます。
働いていないだけなのになんで底辺になるのかは疑問ではありますが、この底辺という位置、案外悪くないのかもしれません。
これ以上下がることがなく、上がっていくだけ。
社会人なら転職して収入のいいところ、好待遇の会社、上場企業などひたすら上を目指して邁進します。
自営業なら売り上げを伸ばすために日々奮闘努力を続け、従業員を擦り切れるほどこき使って、自分自身も睡眠時間を削って頑張る。
働いているとそういった努力をしないと下に落ちてしまいます。
しかし、ひきこもりはずてにこれ以上、下がない状態ですから、いくらサボっていても現状維持で済みます。
カテゴリが違っても同じような境遇
練馬ひきこもり殺人事件のときは、加害者のほうに「よくやった」という声が挙げられました。
相模原障碍者殺傷事件のときも、加害者を英雄視する声が多くありました。
「ひきこもりも障碍者も働いておらず、社会の役に立たないから死ぬべきだ」というのが一部の人が考えている思想です。
私は社会的弱者をそういう目で見る人間にはなりたくないなと思います。
ひきこもりの人はホームレスや障碍者、生活保護、ワーキングプアなどの人たちにシンパシーを感じるのではないでしょうか。
この人たちに共通する人は、「自分の意思でそうなったわけじゃない」ということ。大なり小なり努力して、自分の人生を良くするつもりだったけれど、運が悪くてこの結果。
なんで自分がこうなってしまったんだろう、というやりきれなさ。ひきこもりに、他の社会的弱者の人たちにも共通した思いです。
弱い人の気持ちがわかり、思いやれることは人として素晴らしいことではないでしょうか。
社会的にはクズかもしれませんが、人間的には最高だと私は思います。
どぶねずみみたいに美しくなりたい
写真には写らない美しさがあるから
~THE BLUE HEARTS「リンダ リンダ」~