(文・南 しらせ)
あの時あの場所で私が興味本位であの冊子を手に取らなければ、知らなくてもいい現実を知らなくて済んだのにと後悔している。でもそれはいつかは知らなければいけない現実でもあった。
学生時代の同級生の近況を知る
ある日、私が地元の図書館に本を返しに行った時のことである。中高生向けに地元企業とそこで働く社員を紹介する冊子が並んでいたのを目にし、私は興味本位でそれを手に取った。
どうして私がそんなことをしたかというと、冊子に学生時代の知り合いが掲載されていないか、少し気になったからだ。
私は中学では途中から不登校、高校も休みがちでかつ帰宅部だったので、学生時代の人間関係はとても狭かった。部活動もやっていなかったので先輩・後輩のつながりもほとんどなく、同級生も同じクラスで出席番号が近い数人くらいしか名前と顔を覚えていない。
「だからまさか知り合いなんていないよな」と冊子のページをめくっていくと、中学と高校それぞれでクラスが一緒だった同級生が二人、企業の代表として立派に紹介されていた。その二人はクラスで私の一つ前の出席番号の人だったので、さすがに顔と名前を覚えていたのだった。
「まじか……」と私は呟いて、目の前が真っ暗になった。
私は「ただ社会を外側から眺める側の人間」
私が高校生の時は大学紹介のパンフレットで、その大学に通っている学生が語る大学生活についての記事を読んだ。大学生の時も就活サイトで、企業で働く先輩の一日の過ごし方の記事を読んだ。勉強や仕事のやりがい、プライベートの過ごし方などがきれいな言葉や写真でつづられていた。私が今回手に取った冊子も似たようなものだった。
私は昔からこうした冊子などの小さな窓から、大人の世界を、次に私が進むべき世界をこっそり眺めていた。そして自分もいつかそちら側の「他者から見られる世界」に行かなければと感じていた。別に自分が媒体で特集されて、周りからちやほやされたいというわけではない。ただ彼らと同じ世界で、私も生きていかないとダメなんだと自分に言い聞かせていた。
しかし来年で30歳になる私はまだ、「ただ社会を外から眺める側の人間」のままだった。ひきこもっているから「社会を内側から眺めている」という方が正しいのかもしれない。どちらにしても私は社会の枠からはみ出した人生を送っていた(いる)ことを今回の出来事で改めて実感させられたのだ。
私は永遠に誰かに見られる側の世界には行けない。このままずっと社会を小さな窓から眺めるしかないのか。そう思うととても悲しく悔しくて、自分に怒りが湧いてきた。
自分の止まったキャリアと無慈悲に進む現実
今回の一件で私が一番ショックだったのは、「知り合いの同級生が地元で働いている」という事実だった。また紹介されていたうちの一人は、出産を経験し親になっていた。同じ地元でも、彼らは私とは全く違う世界を生きていた。
ひきこもっていてもTVをつければ自分と同年代や年下のタレントやアスリートたちが活躍しているのは分かるし、それを見て時間は進んでいるんだなと感じることはあった。
ただ彼らは私の知り合いでもないし、「TV業界は特殊な世界だから」と自分に言い聞かせて心の安定を図ることもできた。けれど「過去に自分と面識がある人間が立派に働いている。また親になっている」という事実は、TVの何百倍も自分が社会から置いていかれているという現実を私に突き付けた。
学生時代にたまたまとはいえ同じ教室で、私の一つ前の席に座って同じ授業を受けていた彼ら。机を囲んで一緒に昼食を食べて、会話をしたこともあった。私の記憶の中ではいつまでも学生服姿だった彼らが、今は会社の制服を着て働いているなんて。信じられない。信じたくない。けれどそれが現実。
自分の人生(キャリア)が学校を卒業してからほとんど変わっていない事実と、そんなことはお構いなしに進む現実の時間との狭間で、誰にも知られない涙がぽつりと零れた。
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執筆者 南 しらせ
自閉スペクトラム症などが原因で、子ども時代から人間関係に難しさを感じ、中学校ではいじめや不登校を経験。現在はB型作業所に通所中(ひきこもり生活は6年目)。