文・まさと
編集・ぼそっと池井多
ヒーロー重圧とは何か
日本の女性学の先駆者である上野千鶴子が、
「女性はヒーローが好き」
と言っていたことがあります。
ヒーローが好きなのが女性ならば、ヒーローであらねばならないのが男性であり、それが男の生きづらさの一因ではないでしょうか。私はこれを「ヒーロー重圧」と名づけてみました。
私は少年時代、問題行動が多い小学生でした。
当時の私はヒーロー重圧をあまり感じておらず、日ごろのストレスといえば、
「担任の先生に怒られるのは嫌だなあ」
といった程度のことであり、あまり生きづらさはなかったように思えます。
しかし小学6年生になった時に精通を体験したら、仲が良かった同級生の少女に対する意識が劇的に変わってしまいました。それがおそらく私の初恋で、この時にヒーロー重圧を感じたのだと思います。
「問題児のままでは彼女に相手にしてもらえない」
と苦しんでいた時に、親から強制的に中学受験のための進学塾に入れられました。
「塾で良い成績をとり、目指す志望校に合格すれば、自分は彼女にふさわしい男になれるのではないか」
と考え、それをモチベーションとして一生懸命勉強しました。勉強ができるのはヒーローだと思ったんだと思います。
でも、中学受験には失敗し、彼女は転校してしまいました。
こうして私は地元の公立中学に進学したのですが、受験を経験した生徒は公立校ではいい成績をとるのですね。成績に順位がつけられ、上位者の名前が張り出される環境では、勉強ができる男子はヒーローだったんだと思います。
「過重労働から死んでしまう」と脅える
ヒーローは心地いいものです。教師は誉めてくれるし、女子の多くは好意的にあつかってくれます。
その一方で、落伍する恐怖に苦しみました。成績が悪くなったら、もう見向きもされなくなる、もうヒーローではなくなるんじゃないかと、テストの前は必死で勉強しました。
行く先は、いい大学からいい会社。
当時、会社員の過労死が社会問題になってきていました。テレビでは、
「24時間戦えますか」
と歌う栄養ドリンクのコマーシャルがしょっちゅう流れてました。
そこで私は「過重労働から死んでしまう」という未来に脅えるようになりました。同時にヒーローであることに汲々としている自分がつまらない存在に思えてきたのです。
「もっとユニークでありたい」
と思ったのですが、その方法がわからない。アイデンティティー・クライシスでした。成績を取り繕うことにだけ意識が向き、高校受験を突破するのに肝心なモチベーションがない、という状態になりました。
ろくに受験勉強をしないで高校に進学したため、高校ではすぐ落ちこぼれました。恐れていた落伍が現実化したわけです。その状態は居心地の悪いもので、教師は偉そうに人格否定までしてきました。とても嫌でした。
異文化に触れて救われる
そのようなときに、英語研修でオーストラリアの家庭にホームステイする機会に恵まれました。日本に閉塞感を感じていたときに、開放的に人生を楽しんでるステイ先の家族に救われ、私は、
「外国語大学に進学して国際感覚を身に付けよう」
という目標を持つようになりました。
そのころ私が憧れていた国々は、貧困をものともしないでエネルギーに溢れるインドやラテン諸国でした。当時円高で、スペイン語学科に合格すると航空券が買えて、十分なドルがもてる貯金がありました。大学が始まるまでひと月ぐらいあったので、その間に単身インドを旅しました。
大学生活が始まったとき、私はインドで真っ黒に日焼けしていました。
中学時代は「ユニークな存在になりたい」とアイデンティティー・クライシスに陥っていたのですが、大学のキャンパスでは「インド帰りの変人」というユニークな存在になりました。
目標をもって入学したので、スペイン語と英語をちゃんと身に付け、バイト代は海外への貧乏旅行に費やしました。スペインの国立大学の男子学生寮にも滞在して、国際感覚のようなものも身に付けました。そのころの同級生は、私は永遠の放浪者であって就職活動はしない、と思っていたようです。大学生活には重圧はなかったのですが、落伍する恐怖に駈られて、私は就職部に相談に行きました。
落伍する恐怖に駆られて落伍する
その結果、モーレツ社員じゃないとたちまちリストラされてしまうようなタフな会社に入社してしまいました。中学時代に脅えていた「過重労働から死」というパターンが現実に起こっていました。
落伍恐怖から選んだ進路だったので、仕事もやる気が出ませんでした。
「出世してヒーローになったところで苦しむだけだ」
という思考回路も出来ていました。
「自分は職場で叱責されているダメ社員で、そのうち会社が私を破滅させようと動いている」
という妄想にかられるようになり、これで私には精神分裂病(*1)の診断がつきました。このため強制入院させられて退社し、日本の新卒一括採用からの終身雇用という企業社会のレールから落伍したのです。
*1. 現在は統合失調症という。
ヒーローは簡単に落ちこぼれる
「ヒーロー重圧に生きづらさを感じている」
と私が思う社会一般の例をあげていこうと思います。
私の年代は正社員になれるのは大卒の2人に1人という時代でした。一流企業に内定が取れた学生はヒーローでした。彼らはヒーロー重圧を一身に受けて、必死で働く人が多かったようです。
私が30代の頃、「はたらきマン」というドラマがヒットしました。
「モーレツ社員の生き方に共感して、必死でヒーローの座を守ろうとしているんじゃないかなあ」
と人生を降りてしまった私は痛々しいと思いました。
現代は45歳定年制を主張する経営者がもてはやされる時代です。本当に正社員というヒーローの座を守るのは大変で、40代でリストラされる人も多いようです。
リストラされた多くはヒーローでない自分を受け入れられず、ひきこもりになり、なかには自殺してしまう人もいます。落伍恐怖と言いましたが、ヒーローはヒーローであるがゆえに簡単に落ちこぼれてしまうのです。
そう考えると、地べたを這うように生きたほうが楽だと思います。
家庭でも、男はヒーローであろうとがんばります。夏休みに家族を海外旅行に連れていくのは、それで家族のヒーローになれると思ってのことではないでしょうか。
会社員は一週間の夏休みをとるのが大変です。自分の業務をやりくりするために、ひごろの残業を重ねた末に、同僚に頭を下げて、それでようやく夏休みが取れるのです。
休みが明けると、フライトの疲労と時差ぼけの体調不良をかかえて職場に戻り、休み中にたまった仕事に追われます。それでも男は家庭で邪魔物にされているのが現実のようです。
高額納税者のスポーツ選手が引退後、覚醒剤事件を起こしました。
冒頭に挙げた上野千鶴子はこれを聞いて、
「なんて男性は生きづらいんだろう」
と衝撃を受けたそうです。
現役時代、番長と呼ばれ、男らしいヒーローの自意識が高い人に見えました。女性はヒーローが好きだそうだから、女性関係がワイルドと噂されていました。女性はそのようなヒーローは、順風満帆で幸せだと思うようです。ですが、先にも述べたように簡単に落伍してしまうのです。番長の好敵手だった投手は引退後自殺しました。
今の上野千鶴子は老後問題のエキスパートのような存在です。老人男性が「自分は町内会の役員だ」とアピールして、「社会に役立つ存在だ」と主張すると、彼女は、
「役に立たないと生きてたらダメなのか」
と眉をひそめます。
彼女は、男性は高齢になってもヒーローであろうとすることが理解できないようです。
欲もなく重圧もなく
最後に私自身の現在をお話ししましょう。
その後、私は重度の統合失調症で二度の長期入院を経てひきこもりました。県がNPOにニート支援を委託する施設が近くにできる、というニュースを見て、そこでお世話になることにしました。
そこは就労を目指す施設で、私は障害者雇用で働くのがいいと指導されました。そこで障害者手帳、年金など利用できる福祉制度は全部利用し、仕事も見つかり社会復帰しました。
今はもうヒーロー願望もなく、欲自体もほとんどない状態です。とうぜん人と競争する気もなく、自分の仕事を正確にやっているだけです。すると、評価もされました。
統合失調症の陰性症状も過酷なエクササイズと食事制限で克服しました。仕事の貢献度もあがったのですが、給与面も仕事もステップアップさせてもらえなかったために不満と不安が渦巻きました。
貯金もできたので、いまは退社して学び直しをしています。ミニマムな生活にしたために完全に自分が把握できている感じがして、ヒーロー重圧もありません。
「自殺するのは悔しいなあ」
と思うだけで無意味に生きています。
それで結構満足していて、お釈迦様に憧れている毎日です。
(了)
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