« ときどき私は、光と液体を写真に撮り、のちに画像編集ソフトで加工して、このような抽象作品をつくっています。 »
文・ぼそっと池井多 / テルリエンヌ
<プロフィール>
ぼそっと池井多 : 日本の男性ひきこもり、55歳。
テルリエンヌ : フランスの女性ひきこもり、38歳。
「テルリエンヌの場合 第1回」からのつづき・・・
28年前のオタク生活
ぼそっと池井多: あなたはオタクなの? アニメとかすごく好きですか。
テルリエンヌ: はい、じつはわたし、オタクなんです。子どものころ、日本のアニメをたくさんテレビで観ながら育ちました。1990年、10歳のころからマンガを読んでいます。
当時はまだ、フランス語に訳されたマンガがなくって。他のオタク友達と会ったり、日本語のマンガを買おうと思ったら、そういう特別な書店へ行かなくてはなりませんでした。
ぼそっと池井多: それじゃあ、あなたはそんなに早くから日本語を勉強し始めたわけだね。なんという英才教育だ!
テルリエンヌ: そうです。書かれている日本語がわからないから、必死で意味を知ろうとしました。わたしはまた、初期の任天堂のビデオゲームもよく知ってます。今日にいたるまで、わたしのマンガやビデオゲームへの情熱は続いていて、いまだに楽しんでいます。それらに出てくるキャラクターのフィギュア(*1)も集めていて、フィグマ(*2)とかねんどろいど(*3)を日本から個人輸入してるんです。
わたしはアニメやビデオゲーム、映画などが元になっているアイドルやバンド、ボーカロイド(*4)などの日本の音楽もよく聴きます。日本のオタク文化は、わたしの子ども時代にたくさんのものをもたらしてくれました。そういうものがまったくないフランス文化の中では、わたしは自分を見いだすことがむずかしかっただろうと思います。
ぼそっと池井多: 私は日本人だけど、日本のそういうオタク文化とかぜんぜん知らないんだよね。私自身はむしろフランス文化に惹かれていた。フランス映画とか、文学とか、絵画とか……
テルリエンヌ: なぜあなたは日本人なのに、オタク文化を知らないのかしら?
ぼそっと池井多: なぜって、それはたぶん、私の原家族と教育背景に関係してるね。私の母はものすごい教育圧力をかける人だったから、私は子どものころ、マンガやアニメを観たり読んだりすることを禁じられていたんだ。母は、マンガやアニメを観ると子どもはバカになる、と信じていたようだ。
そんな教育の結果、私はマンガやアニメのことは何も知らない大人になってしまった。オタク文化の話は、なんだか私の知らない国の未知の文化について聞かされているようだよ。
あなたは、オンラインゲームもやるの?
テルリエンヌ: いいえ、わたしはオンラインゲームはやりません。なぜならば、ゲームを通じて他の人たちとやりとりしなければならないからです。これがわたしには難しいの。何年か前、実際にやってみたことがあるけど、わたしの持っている困難のために、他の人たちはわたしを拒絶しました。それが、ものすごいトラウマになっているんです。
あなたの場合、マンガもアニメも観なかったら、同じ世代の少年たちと共通の話題がなくて、彼らの間に入っていけなかったんじゃないですか。
ぼそっと池井多: まったくそのとおりですね。私は友達と、…とくに同世代の同性の友達と遊ぶということを学ぶ機会がなかったです。そのことは、ひきこもりとなった私の人生に長らく影響しています。
大人になってからも、他の大人の男性と話す共通の話題がなかなか見つけられない。私には、クルマもスポーツも、麻雀も性風俗店も、何も話したいことがない。私は、世の男性の大多数が興味を持っている問題に関心が持てないんです。私のものごとへの感じ方は、むしろ女性に近いような気がするのです。だから、女性といっしょにいるときの方が、私は自分の好きな話ができる感じです。
ところが、どうやら私は外見的にごっつくて男性的であるらしい。自分ではあまりその気はないんだけど、筋肉質であるとか、髭(ヒゲ)が濃いとか、少なくとも線が細そうではないので、女性たちがこわがって近づいてこない、ということがよくあります。こうして男性とも交われない、女性には相手にされない、というのが私が孤独になるパターンでした。
テルリエンヌ: あなたは、LGBTですか?
ぼそっと池井多: いいえ、そうとは思いません。しょっちゅう女性に恋してますから。
テルリエンヌ: それが、あなたが孤立していった、たった一つの理由かしら?
ぼそっと池井多: いや、たった一つではないでしょう。他にたくさんの理由があります。
たとえば、幼少期に私は何回も引っ越しをしました。また、母が虐待的で過干渉でした。私の母は、いっしゅのエリート意識を持っている人で、ひとの悪口しか言いませんでした。近所に住んでいる人たちや、そこの家の子どもたちをみんな、いつも馬鹿にしていました。だから、私も近所の子どもたちと遊ぶ機会が少なかったのだと思います。
このことは、私がどこへ引っ越しても、結局そこに精神的な根を生やせなかったことと関係しています。今に到るまで、私には自分の根を張った「ふるさと」がないのです。そのため私は、いつも旅をしているようです。私の人生そのものが放浪です。
あなたはどんな子ども時代でしたか?
両親との関係
テルリエンヌ: わたしは1979年にパリで生まれました。そして、フランスの首都圏イール・ド・フランスの郊外、オーベルヴィリエで育ちました。でも、なぜか子ども時代のことをあまり憶えていないんです。
数少ない記憶をたどると、うつ病気質でアルコール依存だった母によって、酒場を連れまわされていたことを思い出します。
わたしの両親はわたしを愛してくれたのでしょうが、彼らの育て方はとても不器用だったのだと思います。あなたの場合と同じように、わたしの母もなにやら自分がえらいと思っていたようです。エリート意識を持っていました。母はわたしに、彼女のような下級労働者になってほしくないと思ったのでしょう、わたしに勉強すること、他の子どもたちよりも成績が良くなることをさかんに強いていました。
ぼそっと池井多: ああ、あなたもか…。
テルリエンヌ: でも、わたしの母は、わたしがアニメを観ることを禁じたりはしませんでした。わたしの両親は、彼ら自身がさっき話したような日本マンガの専門店へ出かけ、わたしにお土産にマンガを買ってきてくれたりしました。
わたしは一人っ子でしたが、つい二、三年ほど前、じつは義理の兄がいるのだと知りました。でも、その兄とも、すぐに連絡はとだえてしまいました。わたしは人間関係を持続できない人なので。
ぼそっと池井多: あなたは小学校では優秀な児童でしたか。
テルリエンヌ: 小学校のころも、なぜかわたし、よく憶えてないんです。でも、小学校の成績はずっと「ふつう」でした。わたしが学校のことで問題を持ち始めたのは、中学校以降です。
わたしが行かされたのは、とても厳しいカトリックの私立の学校でした。学校が厳しいだけじゃなくて、そのうえ母もわたしに多大な要求をしました。わたしの宿題は、母がやっていました。
ぼそっと池井多: ああ、それ、それ。私の母も、私の学校の宿題をやってしまいました。私が母に「手伝って」と頼んだわけではないのに。
母は、学級担任に良い印象を植えつけたいあまりに、私の宿題を母自身でやっていたのでしょう。何のための宿題、何のための学校か、わかりませんよね、まったく。私という存在は、母が小学校や学級担任に対して自己顕示するための道具でしかなかったのです。
テルリエンヌ: ほんとにね。わたしはまた音楽学校にも行かされたの。7年間、ピアノをやらされてたんです。あのころは、ほんとうに悪い記憶しかありません。わたしの問題が表に出てきたのは、まさにそのころです。わたしは、わたしの悪い成績を責め立てる両親と学校の先生を、つとに恐れていました。また、14歳ごろから、わたしは学校でいじめに遭いました。
病的で暴力的な絵ばかり描き続けた
ぼそっと池井多: なんとお気の毒…いじめに遭うのはつらいことです。私もいじめに遭っていたから、よくわかります。あなたが行った中学校は、私立というと、女子校だったの?
テルリエンヌ: いいえ、共学の私立でした。わたしは4歳から19歳まで二つの私立に行ったわけだけど、両方とも厳しいカトリック系でした。クラスの女子たちは、わたしをバカにしてからかい、さかんにいじめました。でも、そのうち男子までいじめに加わるようになっていきました。なぜなら、わたしはサッカーが好きで、へたな男子よりもサッカーが上手だったから、それで男子がムカついたのです。
こうして14歳ごろ、わたしはタバコを吸うようになりました。
ぼそっと池井多: なぜ、そんなに早くタバコを吸うようになったの?
テルリエンヌ: なぜって、わたしは、わたしをいじめるグループに入れてほしかったんです。同じ悪いことをすれば、いじめをやめて、グループに入れてくれるかと思って。
ぼそっと池井多: ああ、なんとも悲しい話だ。孤立を避けるために、共同体のなかで居場所を獲得しようとして、人はよく自分をわざと貶めるけれど、それはほんとに悲しいことだよね。
テルリエンヌ: 高校で、わたしの成績は壊滅的なまでに下がっていきました。でも、両親が望んでいたので、なんとか学校はやめないで続けました。そのころになると、少し友達ができるようになりました。でも、学校の教師たちとの関係では、悪い思い出しかありません。彼らの中には、わたしは勉強すればできるようになると信じているのがいて、さかんに「なぜもっと勉強しない」とわたしを尋問する教師がいました。
ぼそっと池井多: 才能ある子どもというものは、ある意味、虐待に遭いやすいですよね。なぜならば、大人たちがその子に自分を投影してしまうからです。私自身もへたにできた子どもだったから、それゆえに虐待された側面があります。その結果、大人になってからずっと慢性的なうつ病者として、社会に出られないひきこもりとなっているのです。
テルリエンヌ: わたしには絵画の才能がありました。美術の時間は、わたしが熱心にやった唯一の科目でした。そのおかげで、わたしはのちに大学で視覚芸術の学士号を得られました。
ぼそっと池井多: なるほど、芸術の才能があったんですね。その時代、あなたはどんな絵を描いていましたか。
テルリエンヌ: わたしは、ひたすら病的で暴力的な絵を描いていました。何枚も、何枚も…。あなたと同じように、わたしもうつ病だったのだと思います。
ぼそっと池井多: 暴力的な絵を描いていた、と。あなたは、そのころ何か暴力を受けていましたか。たとえば、男性からの暴力とか。
テルリエンヌ: 男性からの暴力といえば、父親です。わたしが思春期になってからというもの、父はしょっちゅうわたしを怒鳴りつけていました。実家を出て独り暮らしを始める29歳まで、わたしはずっとそういう父親の暴力にさらされていました。
でも、同世代でいうと、わたしに暴力を加えてきたのは、男性よりも同性である女性です。わたしはお転婆で、ボーイッシュでした。マンガやビデオゲームも、男の子が好むようなものばかりが好きでした。わたしは今日にいたるまで、女性との関係性の持ち方に問題を抱えています。この特性のために、わたしの人生はむずかしくなっている、といっても過言でないでしょう。
...「テルリエンヌの場合 第3回」へつづく
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