(文・湊 うさみん)
「気分が悪い」と言ってよく学校をずる休みしてました。
実際は体調万全で、どこも悪いところはなかったのですが、学校に行きたくないから仮病を使っていたのです。
内科で診察を受けさせられた時は申し訳ない気分でした。お医者さんは「うーん」という反応でした。どこも悪くないんだからそりゃそうです。
学校の先生が怖い人だったんですね。大声を出して怒鳴るというよりも、ねちねちいたぶるような起こり方をするんです。
「なんで宿題忘れたの?」
「やらなかったからです」
「それじゃ答えになってないでしょ。なんで忘れたの? ねえ?」
「…………」
「次からは忘れないで来られるの?」
「うん」
「うんじゃなくてはいでしょ」
「はい」
「本当に忘れない?」
「はい」
「先生は君に宿題やってほしいんだけどきちんと約束できる?」
このような感じです。とにかく話が長くて、怒られているはずかしい姿を他の生徒に見られなくちゃいけません。
自分に非があるのならしょうがないと思いますが、うっかりミスを怒られるとどうしようもないです。図工の時に釘を打つ場所を間違ったとか、算数の問題ができなくて何度も先生に見せに行かなきゃならないとか。
しかもすぐ怒り出すものだから、いつ何が逆鱗に触れるかわからなくて普通に話をすることすらできなかったです。今にして思えば先生に嫌われていたように感じます。無口で何を考えているかわからないのが不気味に見えたんでしょうね。
ずる休みがばれたせいで
内気な私は、図工の時間、どうやって工作をやればいいのかわからず、かといって他の生徒や先生に聞くこともできないでいました。やり方がわからないと先へ進めませんが、どうしてもわからない。
そうして毎週、図工のある日はズル休みすることになりました。聞くこともできないじ、自分でやり方を考えてもわからないしで完全に詰みだったんです。
さすがに毎週同じ曜日に「体調が悪い」と訴えては親も不審がります。もしかするとずる休みじゃないのと勘付くわけです。
そのせいで親の中では私が体調不良を訴える=仮病だとイコールで結ばれてしまったようです。
その結果、本当に体調が悪くても休むことができなくなりました。38度の熱があっても学校へ行かされたことをよく覚えています。その日はずっとグロッキーで授業どころではありませんでした。
親が言うには「高い学費を払ってるんだからちゃんと学校行け」だそうです。私はその時からずっと「なんで学校行かなきゃならないの?」と思っていました。
その「絶対に学校へ行け」のプレッシャーで不登校になることができませんでした。小学生の頃、チック、髪の毛を抜く(抜毛症)、爪を噛む(咬爪症)といった症状があったのでかなりストレスがたまっていたように思えます。
学校のストレスでおかしくなる
なんで学校がイヤなのかと言うと、目立つのが嫌いだったから。国語の教科書の朗読の日や、問題の回答をみんなの前で発表しないといけない日は地獄にいるような気分でした。
一週間くらい前から「あの日は朗読をしなくちゃいけない。いやだいやだ」と考え続け、実際にその日になると朝から心臓ばくばくです。酸素が薄くなったような息苦しさを感じていたのを覚えています。
学校へ行くふりをしていつもの時間に出て、どこかの公園で時間を潰すというのも考えましたが、通信簿でバレてしまうとわかっていたのでやりませんでした。
代わりに習い事の書道はこの方法でずる休みしてばかりでしたが、やはりバレました。
学生時代は自分を奮い立たせて無理やり学校へ行く日々でした。家に戻れば嫌いな父と兄がいます。なので安心できるのは布団の中でぬいぐるみを抱いてる時だけでした。
いじめこそなかったものの、学校に行くストレスのせいで私はおかしくなったのではと時々思います。「ちゃんと学校に行った」せいで先生も学校も大嫌いな歪んが人間になっちゃいました。
私は学校のことを「社会の歯車を製造する工場」だと思っています。私たちは工業品。でも私は不良品ででできそこない。学校での経験が今のメンヘラニートに繋がっているんじゃないかなあと思っています。
執筆者 湊うさみん
20代でドロップアウト。ニート歴10年以上のエリートニートになっちゃいました。
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