不登校
(文 喜久井伸哉) 「子どものことがわからない」とき、親はどうすればいいのでしょうか。今回は不登校とひきこもりの経験者が、「親にしてほしかったこと」を伝えます。 「寄り添う」だけでいいのか 子どもが引きこもっているとき、多くの親は、どうしたらい…
「不登校」最終解答試論 喜久井伸哉 かつては「学校恐怖症」や「登校拒否」だった名称が、なぜ「不登校」になったのか。言葉の歴史をたどることで、現在の「不登校」論の問題点を探ります。(全3回 /文・喜久井伸哉) 「不登校」の名称の歴史 類語・関連語小…
(文 喜久井伸哉) 「子どものことがわからない」とき、親はどうすればいいのでしょうか。今回は不登校とひきこもりの経験者が、「親にしてほしかったこと」を伝えます。 そもそも「わかる」ことが不思議 「子どものことがわからない」という親御さんの声が…
「不登校」最終解答試論 喜久井伸哉 現代の日本では、「学校に行かないこと」や「学校に行かない子ども」のことを、「不登校」と言っています。しかし私が幼少期から学校に行かなかった体験は、この言葉におさまるものではありません。「不登校」をめぐる調査…
喜久井伸哉 「不登校」最終解答試論③ はじめに行為ありき (ゲーテ『ファウスト』) 私は幼少期に、「学校に行きたいけど行けない」身体に見舞われた。 自分の意思は「行きたい」と思っているのに、行為は「行けない」状態になる。 「行きたいけど行けない」…
喜久井伸哉 「不登校」最終解答試論② おお、友よ、このような響きではない!もっと心地よい歌を、もっと歓びにあふれた歌を、歌おうではないか(ベートーヴェン「交響曲第九番」) 私はこれから、自身に起きた「不登校」のことを、語ろうと思う。 しかし、語ろ…
文 喜久井伸哉/「不登校」最終解答試論① 小中学生の「不登校」は24万件を超え、近年増加を続けています。これは一般的に「問題」と考えられていますが、歴史的に見ると、「子供が学校へ行かないこと」は珍しくありませんでした。今回は、あまり語られること…
(文 喜久井伸哉 / 画像 Pixabay) 社会人は〈雑談〉が9割 〈雑談〉さえうまくできれば、どんな社会でも生きていけると思う。 私は筋金入りの「不登校」だが、大人になった今、必要だと思うのは「学力」よりも「雑談力」だ。 世の中で働く多くの人にとって…
今回は、劇団俳優座の舞台『猫、獅子になる』のレビューをお届けします。作品の主役は、中学の頃のトラウマをきっかけに、長年自室に引きこもっている50歳の女性。「ひきこもり」の物語を、「ひきこもり」の経験者が読み解きます。 ※公演初日の11月4日の回を…
私は、自分で選んでいないものによって批判されてきた。 「不登校」がそうだった。「ひきこもり」がそうだった。「ゲイ」がそうだった。 どれも自分では選んでいないが、私は「不登校」として育ち、「ひきこもり」として過ごし、「ゲイ」として生きてきた。 …
(文・喜久井伸哉) 2022年8月8日、中井久夫氏が亡くなられた。88歳だった。 私は一読者に過ぎず、面識もないが、この場を中井氏の記念とさせていただきたい。 私はライターとして、何度か著名人への取材をしている。 仕事を始めたとき、願わくば取材したい…
(文 キクイ シンヤ/ Photo by Pixabay) ※記事の一部に性的な表現を含んでいます。ご了承ください。 ひきこもりを表す写真とは もし「ひきこもり」を写真で表すとしたら、どんな一枚になるだろうか? 参考として、世間の「ひきこもり」のイメージ画像を見て…
コロナ禍によって、子供たちの学校生活は一変しました。「修学旅行に行けなかった」、「部活の大会が中止になった」など、多くの声が上がっています。しかし不登校・ひきこもり経験者のキクイさんは、「本当に失われたもの」は他にあると主張。本当の「喪失…
「遊ばない」ためのテレビゲーム 私にとってひきこもりは、「社会からの孤立」の問題ではない。 「〈喜び〉からの孤立」の問題だ。 私は長いあいだ引きこもっていて、「自分は喜びを感じてはならない」と思っていた。 「不登校」のころからそうだ。 同級生が…
自分を受け入れられない 私は、自分が良い人間になれると思っていた。 働いて、親孝行をして、恋愛や結婚をして。 本当はもっと、幸せに生きていけたはずだと思う。 しかし半生をふり返ってみると、どれもうまくいかなかった。 私は世の中から孤立して、引き…
中学二年生のとき、学校で突発性難聴の症状が出てしまって倒れたことがあった。そのときに母が迎えに来てくれたときの第一声は「お前のせいで皆勤じゃなくなった」。それから皆勤賞が憎い。学校に行くだけで賞をもらえるのなら、生きているだけでも認められ…
ひきこもり経験者による、約1000文字のショートショートをお届けします。〈生きづらさ〉から生まれた小さな世界をお楽しみください。 山本朝子版画集『人と風景と、出会う』より 透明人間になるための学校で、ぼくは劣等生だった。 学校では毎日、うまく透明…
(文・写真 喜久井ヤシン) 死ぬ理由 2004年。私は17で死ぬつもりだった。 8歳でガッコウに通わなくなり、社会とのつながりは弱かった。 ほとんど一人きりで過ごしてきたため、同世代との会話経験さえ少ない。 「母親」にあたる人との関係は失敗し、同じ家に…
不登校やひきこもりの子をもつ親にとって、テレビゲームは悩みの種です。「ゲーム脳」や「ゲーム依存」の報道を聞いて、子どもの将来を心配している人も多いでしょう。今回は、「十代のころゲーム漬けだった」という当事者が語ります。「子どもがゲームをし…
今回は、2020年にオープンしたTDU・雫穿(てきせん)大学のご案内です。学生の豊(とよ)さんは、不登校やひきこもりを経て、雫穿大学に入学しました。「大学」といっても、フリースクールのようなNPOとして運営されているため、一般的な意味での「学歴」に…
〈生きづらさ〉は言葉になりがたく、人に伝わりづらい。難しい言葉をたくさん使っても、うまく語れるとは限らない。なので今回は試しに、算数を使って説明してみようかと思う。 私が学校に行かなくなったのは8歳のときで、「算数」も「数学」も、ほとんど習…
北海道札幌の中心街から1時間、石狩市在住の女性ひきこもり経験者のり子さん。第1回は、家族のケアを担ってきた女性当事者という視点で語っていただきました。
今回は、ひきこもり当事者のために作られていた雑誌『Hiki♡Com`i(ひきコミ)』を紹介します。 『ひきコミ』は、不登校情報センターの活動から生まれた雑誌です。 サブタイトルは「不登校、ひきこもり、対人不安の人から発信する個人情報誌」。 2000年12月の…
今回は、2000年代前半に発行された「ひきこもり当事者のための雑誌」3点を紹介します。まだ「ひきこもり」という言葉が広まったばかりの時代、当事者たちは何を考え、何を発信していたのか。知られざる「ひきこもり」の歴史を発掘します。 Ⅰ 2000年創刊の文…
(文・杉本しほ) 11月11日、わたしは転校した。「ポッキーの日だから」と隣の子がポッキーをくれたからよく覚えている。 「杉本志穂です。兵庫県明石市からやってきました。よろしくお願いします」と自己紹介したにも関わらず、担任の先生は「杉原さん」と…
2020年1月。福島県郡山市にて「大人のひきこもりの話を聞く日 中高年・長期ひきこもりについて考える」と題したイベントが行われました。 開催したのは、これまでイベント企画などの経験皆無の中高年ひきこもり当事者、ともやんさん。 第1回の今回は、ひきこ…
(文 信田風馬) 今回は、不登校経験者の信田風馬(のぶた ふうま)さんの当事者手記をお届けします。信田さんは十代の頃から、大勢の前で自身の体験を語ってきました。しかしある時から、「不登校」にふり回されてきた自分に気づき、うまく語ることができな…
(文 喜久井ヤシン 画像 Pixabay) 助けになった「サードプレイス」 私は十代のほとんどの期間、「不登校」であり「ひきこもり」だった。 現在は仕事をしているが、たまに不登校に関するイベントへ行くことがある。 そのさい、私が経験者だとわかると、悩み…
(絵 まる 文 喜久井ヤシン) Reach Out (2020年) 今回は、十年以上のひきこもり経験をした、まるさんのイラストを紹介します。 まるさんは小学校6年で不登校になって以来、長いあいだ部屋に閉じこもり、家族とも会話をしなかったといいます。 以下は、まる…
While the lives of normal people are shaken, there is no fundamental change in the lifestyles of hikikomori and futoko. The hikikomori way of life, which has little direct interaction with others, could be the future standard of living.