(文・杉本しほ)
11月11日、わたしは転校した。「ポッキーの日だから」と隣の子がポッキーをくれたからよく覚えている。
「杉本志穂です。兵庫県明石市からやってきました。よろしくお願いします」と自己紹介したにも関わらず、担任の先生は「杉原さん」とか「杉山さん」とか間違えて呼んでくる。なんだこの人。わたしの名前、担任のくせに杉しか覚えてないのかよ。それが第一印象だった。
あっけなく次の日、わたしのからだは布団の中で硬直して一向に動きもしなかった。おじいちゃんが「今日は休むんか?」と、聞いてきて、こくりと頷いた。
そうすると、昼の三時を過ぎたらLINEがたくさん来た。転校先のクラスメイトからだ。「あ、昨日、LINE教えたの忘れてた。こんなの教えなかったら良かった」そう思いつつ、見ると、心配するメッセージがたくさん来ていた。
この先生のクラスに入ると、どんな子でも学校に行けるようになるらしい。いったい、どんな秘策を使っているのだろうと不思議だった。
男の子が休んだ日に分かる。「えー、本当は言うなと口止めされてるんですが、言っちゃいます。〇〇くん、学校に行きたくないそうです」
クラス中で「えー!」や「なんで?」という声が、ザワザワと湧き上がる。
「まあ、でも、俺が言ったところで、威圧するだけじゃん。だから、お前らが連絡してやって。よろしく」
先生はこうしているだけだった。
きっと、わたしのときのそうしたのだろう。
ほかの先生より、ずっと生徒のことを考えていると思った。今までは不登校を悪いことだと認識して、まるで排除するように行動する先生たちばかりだったから。でも、この先生は違う。
不登校はだれにでもなるもの。学校は楽しければ来るもの。行くか行かないかは生徒の自由。
そう考えているのが、伝わってきた。
「なあんだ、学校は怖い場所じゃないんだ」
優しくしてくれるクラスメイトのみんなと接していると、自然と学校への懐疑心が消えていった。誕生日会を開いてくれたり、ユニバーサルスタジオジャパンに遊びに行ったり、みんなでお昼ご飯を食べたり、みんなでわいわいと行き帰りを過ごしたり、学校に行っていて青春を過ごしたのは初めてだった。
ところが、翌年、四月。その先生のクラスではなくなった。わたしはクラスが学年がひとつ上がって高校二年生になった。その瞬間、また不登校になった。あの先生のクラスにいると学校に行けたのに、なぜ行けなくなったのか、自分でも不思議でしょうがない。
だけど、たった三ヶ月間だけでも、青春を味わえて良かったと心底感じている。今日は久しぶりにそんなことを思い出した。
二十三歳のわたしは、こころの体調が悪くて、完全復帰できていない。でも、いつか先生のような不登校で悩んでいる子に希望と安心を与えられる存在になりたい。そう思っている。