「不登校」最終解答試論 喜久井伸哉
現代の日本では、「学校に行かないこと」や「学校に行かない子ども」のことを、「不登校」と言っています。
しかし私が幼少期から学校に行かなかった体験は、この言葉におさまるものではありません。
「不登校」をめぐる調査や報道も、この言葉が用いられているせいで、実情とへだたりのある結果を生んでいると思います。
かつては「学校恐怖症」や「登校拒否」だった名称が、なぜ「不登校」になったのか。
言葉の歴史をたどることで、現在の「不登校」論の問題点を洗い出します。(全3回 /文・喜久井伸哉)
「不登校」の名称の歴史 類語・関連語小辞典①
- 休み(やす-み)/ 休む(やす-む)
- 欠席(けっせき)
- 怠学(たいがく)/ 怠休み(なまけやす‐み)/ truant(トゥルーアント)
- 非行(ひこう)
- 長期欠席(ちょうきけっせき)
- 学校ぎらい(がっこう-ぎらい)
- 学校恐怖症(がっこうきょうふしょう)/ School phobia(スクールフォビア)
休み(やす-み)/ 休む(やす-む)
昔も今も、「学校に行かないこと」を「休む」と言います。
これは基本的な言葉なので問題にされていませんが、実は奇妙な表現ではないでしょうか。
子どもが家で真剣に学んでいても、別の場所で貴重な実学を得ていても、学校に行っていなければ「休んでいる」と言われるのです。
個人の内情と関係なく、社会的に使われるのは「休む」という言葉です。
しばらく前に、「育休」のことを「育業」に改称すべきだという主張がありました。
「会社に行かないのは育児という大切な仕事のためであり、休んでいるわけではない」という、まっとうな主張です。
SF小説の『1984』では、特定の言葉の意味が、政府によって恣意的に変えられています。
「平和」や「自由」など、国民にとって重要な言葉が、元来の意味から改竄(かいざん)されていました。
現代日本の「休む」という表現も、個人が社会にとって都合の悪いことをしているときに使われていないでしょうか。
思想家のフーコーは『狂気の歴史』によって、「狂気」という一つの言葉が、時代によって異なる使われ方をしていることを論究しました。
それと同様の手法で、現代には「休みの歴史」という書物が書かれるべきなのかもしれません。
なお学校=スクール(school)の語源は、古代ギリシア語のスコーレ(schole)にあります。
意味は暇・閑暇。
古代ギリシアにおいて、労働は奴隷の仕事であり、市民は政治や軍事をつかさどっていました。
しかし平和なときには「暇」があり、プラトンのアカデメイア(紀元前387年)のように、学問を突き詰めていく場が生まれたのです。
語源上「暇を休む」ことが問題だとされているのが、現代の「不登校」論の奇妙さです。
欠席(けっせき)
「欠席」は「学校に行かないこと」を指す基本的な言葉です。
当然のことですが、「欠席」は「出席」の誕生、つまり学校の創設と同時にありました。
世界最古の成文法バビロニアのハムラビ法典のなかに、すでに子どもを学校に行かせない親に対する罰則規定が記されています。
レオ・カナー(『児童精神医学』 医学書院)によると、古くから「学校頭痛(school headach)」・「重宝な頭痛 headach of convienience」という言葉がありました。
紀元前四世紀テオフラストスの著書『人さまざま』にも、特定の行事の日に子どもを休ませれば、学校への寄付の額が少なくてすむため、親が子どもを欠席させた、という話が出ています。親が子供に仮病を使わせていたわけです。
怠学(たいがく)/ 怠休み(なまけやす‐み)/ truant(トゥルーアント)
イギリスでは、19世紀後半に義務教育制度が敷かれました。
学校へ行くことが一般化していくなか、出席を怠る男子生徒のことを「怠学児(truant)」と呼ぶようになります。
もっとも、義務教育が根付いていたわけではないため、「怠学児」当人に「学校を怠けている」という意識があったかどうかは疑問です。
「truant」は元々「乞食の集まり」を意味する古いフランス語からきており、16~17世紀には、悪党の行為という含意があったといいます。
なお「登校拒否」の概念の嚆矢となった論文が『怠学研究への一寄与』(ブロードウイン・I・T 1932年)であり、「怠学」を主題にしたものでした。
ブロードウィンは怠学とは異なる特徴を持つ長期欠席者について記述しており、これが今でいう「不登校」にあたります。
戦後の日本でも、学校に行かない子供を「怠学児」や「怠休み」と言いました。
「怠け」とみなされていたため、80年代までは「首に縄をくくりつけてでも学校に連れて行く」という指導が常態化していたのです。
管理を徹底することで校内暴力を押さえつけた「成功例」の影響もあり、「治療」のためならどんな手段でも公認されるという状況が生じていました。
ひきこもりの文脈とも関わってきますが、1988年の大手新聞に、『30代まで尾を引く登校拒否 早期治療しないと無気力症に』という記事があります。
これも「学校に行かないこと」を「怠学」とみなす認識と、地続きにあったといってよいでしょう。
非行(ひこう)
イギリスでは「怠学児(truant)」に対応するため、「無断欠席生徒補導員(truant officer)」がいました。
これは義務教育のような社会の規範に従わない、「非行少年」への対処だったといえます。
日本でも、50年代後半から60年代は少年の非行が多発しており、「学校に行かないこと」は非行の一種とみなされていました。
長期欠席(ちょうきけっせき)
現在文科省は、「年間30日以上の欠席」を「長期欠席」としています。
「長期欠席」の調査の開始は1966年で、90年までは「年間50日以上の欠席」と定義としていました。
50日から30日への変更は、92年から学校が週休二日制となり、登校日数が減ることを予期したためではないかと言われています。
「長期欠席」は、欠席の理由を問わずに集計されています。
それに対して「不登校」は、定義に欠席の理由が含まれており、病気や経済的要因を除いています。
そのため、「不登校」の方が「長期欠席」よりも狭い定義となっています。
学校ぎらい(がっこう-ぎらい)
1966年、文部省が学校基本調査を始めたとき、長期欠席の理由を分類しました。
しかし「病気」や「経済的理由」などの中で、特定の理由のない長期欠席にあてはまる名称ができていませんでした。
そこで文部省は「心理的な理由による長期欠席」という項目を作成。その項目の名称が「学校ぎらい」でした。
現代の「不登校」にあたる用語です。
なお当時は、医師の診断書が作成された長期欠席が「病気」に分類されていました。そのため「不登校」の統計と「学校ぎらい」の統計は一致していません。
1998(平成10)年からは項目名が「不登校」に変わり、「学校ぎらい」は使われなくなりました。
当時の記述を読むと、「学校ぎらい」は「登校拒否」以上にネガティブな含意があるようです。
平井信義の『学校嫌い』(1975年)は、学校に行かない子どもたちが「自己中心的」であり、「自我が未成熟」だと苦言を呈しています。
『このままの状態が続けば、二十一世紀の日本は、精神的に虚弱な大人たちに支えられることになり、何らかの危機的場面に遭遇すれば、もろくも衰退する危険性のあることを予言しておきたい』と、「学校ぎらい」が国家的な危機であると警告しています。
この平井は、法務省の登校拒否調査に深く関わった医師であり、「登校拒否」に対する行政の認識とも結びついていました。
学校恐怖症(がっこうきょうふしょう)/ School phobia(スクールフォビア)
「学校恐怖症」が、「不登校」の直接的なルーツとなる言葉です。
1941年、アメリカの研究者のA.M.ジョンソン(Jhonson,A,M,)によって、「学校恐怖症(School phobia)」が論じられました。
フォビア(phobia)=恐怖症は、特定の物事や状況に対して、合理性を超えた極端な恐怖心にとらわれる心理現象のことです。
「ホモフォビア(homo phobia)」の場合は、「同性愛恐怖」だけでなく「同性愛嫌悪」などと訳され、同性愛を非難したり攻撃したりする者に使われています。
ジョンソンは当初、学校に対する子供のフォビア=恐怖症が起きているととらえました。
しかし研究を進め、学校に行けないのではなく、家から離れられないところに問題があると方向転換します。
ジョンソンは親との「分離不安」が生じているせいで、子供が登校不能になると結論づけました。
この精神分析が50~60年代の日本で受け入れられたことで、学校に行けないことは子供に「原因」があるという考えが広まっていきます。
そのため「スクールフォビア(School phobia)」は適格な名称でないとして、60年代には、「スクールリフューザル(school refusal)」ないし「リフューザル・トゥ・アテンド・スクール(refusal to attend school)」が使われます。
これが翻訳され、90年代まで主流となった「登校拒否(school refusal)」の名称が生まれます。
佐藤修策の『登校拒否の子』(1969年)では、「学校恐怖症」をこのように説明しています。
『学校恐怖症は登校刺激に不合理的な不安を示して登校を拒否する。情緒障害的な行動異常である。子どもが示す不安ないし恐怖は学校を中心に明確に指摘されることもあるが、そうでないときもかなり多い。また指摘された理由(たとえば、勉強ができない、委員にされる、先生がこわい)も、聞く人、場所、時に応じて変転し、一定しないし、また子どもが指摘したといっても、客観的に確かめ得る場合は少ない。その存在を確かめて、関係者がその除去に努めても、事態は解決されない場合が多い。』
理由がはっきりせず、欠席する「原因」がなくなっても、事態が変わらないと述べられています。「行動異常」などの認識は誤ったものでしたが、現在の「不登校」と変わらない事象が確認されていたといえるでしょう。
➡「不登校」の名称の歴史②
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文 喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。 ブログ https://kikui-y.hatenablog.com/entry/2022/09/27/170000