2022.06.16 15:00更新
文・ぼそっと池井多
先週6月8日、東京・江戸川区が令和3年度に実施した大規模なひきこもり実態調査の結果が報道された。(*1)
*1. 東京 江戸川区 ひきこもり大規模調査 “40代が最多”
NHK NEWS WEB 2022年06月08日 16時38分
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20220608/1000080741.html
調査方法が人々の耳目を引いた。
およそ70万人の区民のうち、14歳以下は不登校の情報が把握できているとして除き、15歳以上で給与収入で課税がない人や介護や障害など行政サービスを利用していない人がひきこもりの可能性があるとして、このおよそ18万世帯、246,847人に質問用紙を郵送し、回答がなかった世帯には直接訪問して回答を求めたのだという。
少なくとも江戸川区に住む 23,296人 が直接訪問を受けた計算になる。
直接訪問はアウトリーチと呼ばれ、ひきこもり当事者たちのもっとも嫌う行政からの接触の仕方である。
あえてその方法を採用し、
「顔の見える大調査」
「調査を通じてつながる 」
などと、専門家が「解説」で絶賛している(*2)。
*2. NHK NEWS WEB 2022年06月08日 16時38分 太字は引用者
思えば「顔が見える」も、「つながる」も、言葉の響きはよいけれど、ひきこもりがゾッとするほど嫌いなことではないだろうか。
一人のひきこもり当事者として公開されている報告書(*3)を、今日から3日連続の3回シリーズで読んでみることにする。
今回の江戸川区の調査をもとにしながらも、その背景なども考えていきたいので、調査内容から少し脱線することがあるかもしれないが、ご容赦いただきたい。
*3. 江戸川区 令和3年度ひきこもり実態調査の結果報告書
https://www.city.edogawa.tokyo.jp/e042/kenko/fukushikaigo/hikikomori/r3_jittaichosa.html
ひきこもりの原因をめぐる問題
まずは「ひきこもったきっかけ」についてである。
当事者にとっても、また周囲の家族にとっても、ひきこもった原因は初期にはわからないことが多い。
私の知るかぎりでは、原因は下の図のようにいくつか複数が異なる層に潜在していて、それらが掛け合わさって発火すると、ひきこもるきっかけになるものだと思う。
ひきこもってすぐ話せる原因は、主に直近の失敗体験や労働条件など、社会性が強くて語りやすい原因に限られ、それらは表層部に位置している。
いっぽう、その人にしかわからない複雑な事情のように個人性の強い原因は、もっと深くに封じこめられ、それが言葉にできるまでには十年以上かかったりする。
長い時間をかけてようやく語れる深層の原因は、自己肯定感が育てられない家族構造や成育歴など家庭内の問題であることが多い。
それらは何か事件のように時間的に「点」として起こったものではなく、いわば「線」として、幼少時につねに環境として周囲に在ったものなので、かえって他者へ伝える言葉を得ないのである。
しかし、今回の調査における対象者のひきこもり期間は、6ヵ月未満から10年以上にまで及んでいるので、深層原因にたどりついている長期の当事者も多いと考えられる。
ところが、「ひきこもったきっかけ」を尋ねる質問にはそういう回答が選択肢に用意されていない。そこは、次のようになっている。
かろうじて、
「友人や家族との人間関係がうまく行かなかった」
という選択肢があり、それがいちばん近いと思われるものの、たとえば被虐待的な家族構造などはとうてい「人間関係がうまく行かない」といった程度の言葉で表わせるものではなく、別の選択肢が必要である。
それに「友人」と「家族」を同じ「人間関係」ということでまとめられてしまったら、不適切な養育などを訴えることはできない。
逆に「友人」との人間関係のほうは、「友人や家族との人間関係がうまく行かなかった」の他に、
「学生時代にいじめがあった」
「学校になじめなかった」
「職場になじめなかった」
など3つもオルタナティブな選択肢が用意されている。だから表出しやすいだろう。
逆にいうと、このような質問設定が「その他」という回答がダントツの1位となっている理由ではないだろうか。回答結果を見てみよう。
46%、すなわち半分近くの当事者が「その他」を答えている。
この中に、ひきこもりのきっかけを家族に見いだす回答群が隠されたのではないか、と私は推測する。
ひきこもりを考えるときに、家族は非常に重要だ。なぜ、いちばん大事な要因を曖昧にぼかす質問に設定しているのだろうか。
うがった見方だと言われるかもしれないが、私はこれを、原因を家族問題に帰する調査結果が公的機関から出てくることを調査企画者が恐れたからではないか、と疑うのである。
責任要素の混同
第二に、今回の調査に限ったことではないが、責任概念を深く突き詰めていないために、これは「ひきこもりの原因は家族」としたときに自己責任という結論にいたるのを過剰に回避した結果だとも思われる。
より具体的にいえば、家族の中に原因が求められることによって、
「これは家族の問題だから行政による支援は必要ない」
と言われることを避けるため、ということである。
人は誰しも、できるだけ責任を取りたくないものだ。
だから「自己責任」という語はゴキブリのように嫌われている。
逆に、人々から好かれようと思ったら、自己責任を批判すればよい。
「今度の参院選に出馬したいが、票が取れる政策を思いつかない」
と悩んでいる立候補者は、ぜひ自己責任批判をぶち上げるとよいだろう。
しかし、自己責任嫌いが高じて、やみくもに自己責任を否定する、いわば自己責任アレルギーとでもいうべき状態になってしまうと、物事が正しく見られなくなる。その時はアレルギー症状の鎮静を図らなければならない。
責任という概念のなかには有責性と可罰性がある。
たとえば、私が手をすべらせ、グラスを床に落として割ってしまったとしよう。私はグラスを割るつもりはなかったが、それでもグラスを割った責任は私にある。
グラスを割った責任は、隣に座っていた友人にはない。ましてや私の住む社会にはない。それは私の責任である。おー、いやだいやだ。
ただし、ここで責任として意味されている要素は有責性である。
さて、割れたグラスは掃除しなければならない。
後始末は楽しい作業ではない。私はそれを罰にさえ感じる。
では、グラスは私が割ったのだから、私が一人で掃除しなければならないのだろうか。そんなことはあるまい。手伝ってくれる人もいるだろう。もし逆の立場だったら、私も手伝う。
なぜならば、そこにいる誰もが手をすべらせる可能性があるからだ。そういう具合に「グラスを割る」という行為を「自分事」として捉える意識が共有されていれば、グラスを割った責任を認めても、一人で掃除させられる羽目には陥らない。
一人で掃除することが可罰性に相当する。私は有責性による責任があるが、可罰性による責任は負わなくてよい。
この喩えは、素人である私が作ったものなので、法哲学者のお眼鏡には適わないかもしれないが、だいたいの意図をつかんでくだされば十分である。
有責性と可罰性を混同すると、
「ひきこもりを家族の問題だと認めてしまうと、『じゃあ、家族で何とかしろ』ということになり、社会は何も手を差し延べず、行政は何も支援をしなくてよいということになってしまう」
という奇妙な自己責任批判が主張されるのである。
そのため、行政が税金を使って支援する論理的根拠を残しておくために、
「ひきこもりは家族の問題ではありません。社会の問題です」
などと無理やり解釈する羽目になる。
そうなると、ひきこもりの原因やきっかけが家族のなかにあるという真実は、結果として表に出てこないように調査の質問を設定しなければならないだろう。
今回の報告書の「はじめに」のなかには、こういう一節がある。
誰もが生きづらさを抱え孤立に陥る可能性を持つ社会の中で、ひきこもりに対する地域社会の意識はまだ低く、ひきこもり当事者や家族だけに責任があるとして、自分事として捉えていない社会にも問題があると思われます。このため、世間の偏見の目からひきこもり当事者や家族だけで悩みを抱え込んでしまう状況があります。(*4)
*4. 江戸川区令和3年度ひきこもり実態調査の結果報告書 p2. 太線部引用者
いっけん何気なしにスラスラと読めてしまう文章だが、しっかり読むと首をかしげる点がある。
社会のなかの個人がひきこもりを「自分事として捉えない」ことと「ひきこもり当事者や家族に責任がある」と考えることは、ちょうど「割れたグラスを掃除を手伝わない」と「グラスは自分の手から落ちた」のように、本質的にはぜんぜん別のことなのではないだろうか。
このように責任に関して混濁した思考は、今回の江戸川区の調査に限らず、近年のひきこもり支援のほぼ全般に見受けられる。
心配ご無用。ありのままに事象を眺め、責任という概念における有責性と可罰性をちゃんと分けて考えれば、行政が支援できる余地はしっかり残るのだ。
・・・第2回(6月17日配信予定)へつづく
<プロフィール>
ぼそっと池井多 東京在住の中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。著書に『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(2020, 寿郎社)。
Facebook : Vosot.Ikeida / Twitter : @vosot_just / Instagram : vosot.ikeida
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