文・岡本圭太
2023年、この12月に本を出すことになった。
タイトルは『ひきこもり時給2000円』(彩流社)。この一風変わったタイトルの由来は、本の中身を参照していただきたいが、本のジャンルとしては、ひきこもり体験者によるエッセイ集である。
僕自身がひきこもっていた当時の生活や心情、親との関係、働くまでの道のり。そしてその後について。長年書き溜めた文章をベースにしながら、一冊の本にまとめた。
『ひきポス』に投稿させていただくのは初めてだが(創刊時からずっとフォローはしていたが)、今回、出版に至るまでの経緯を書いてみたい。
もしかしたら、今後、同様に当事者手記の出版を考えている方にとって、何かの参考になるかもしれないと思うから。あとは、多少の宣伝も込めて。
先に自己紹介を。
僕は大学での就職活動で躓き、22歳から25歳までのおよそ3年間、社会から撤退した生活を送った。25歳でひきこもりから抜け出し、30歳でアルバイト就職。25から30歳までの5年間は、精神科への通院やカウンセリング、デイケアやひきこもりの当事者グループなどへの参加と運営を通して、少しずつ社会参加を進めていった。
「働かなければ=ふつうになりたい」という焦りは常に心の中にあったけれど、働くことへの怖さゆえに、実際に仕事に着くまでには5年の月日を要した。面接も怖かったし、履歴書の空白も怖かった。みんなが異口同音に口にするように。
32歳でフルタイムの仕事にかわり、仕事のかたわらで、神奈川県にある支援団体の月刊通信に文章を寄せたり、2015年の4月からは、『不登校新聞』で連載を持たせてもらったりしてきた。まあまあぼちぼち、自分なりのペースで。つまり、文章を書くのはけっして初めてではなくて、半分趣味というか、生活の一部みたいなものになっていた。
一度目の出版企画
今から10年前の2013年、それまでに書き溜めた文章を書籍化する話が持ち上がった。支援団体の月刊通信は、ひきこもっているお子さんを持つご家族や児童相談所の職員など、たくさんの読者がいたが、読者からの評判は概ね好意的なものだったし、通信への連載もその時点で60回近くになっていたので、「以前のエッセイも読んでみたい」という新しい読者からの希望もあった。みんなにある程度まとまった量のものを読んでもらうためには、本にするのが最適であるという判断があった。
でも、当時の自分は、自分の書いた文章が商業出版の水準に足るのかどうか、自信が持てなかった。しかしながら、周囲の人からはしきりに出版を勧められたし、そう言われてまんざらでもない気持ちもあったので、そのプロジェクトに乗っかることにした。
当時、企画に入ってくれた編集者の提案で、1冊の書籍にする前に、もっと小さな冊子を作ることになった。1冊500円(ワンコイン)で買えて、電車の中でさらっと読めるような、手軽な冊子だ。1冊あたり、エッセイが7本入る。それで感触を見てみようということだったのかもしれない。プロのデザイナーやイラストレーターも入って、なかなか本格的な話になった。
「限定500部」と銘打った冊子は順調に売れて、Vol.2、Vol.3、Vol.4と巻数を増やし、4冊目が出て、いよいよ書籍化……となったタイミングで、企画自体が暗礁に乗り上げた。その詳細はここでは記さないけれど、僕ひとりの力ではどうしようもない出来事だったし、「まあ、そんなものかな」という、妙に諦めのよい気持ちも手伝って、出版の件は宙に浮いたまま、どこかに消えて流れてしまった。
いちど止まった車輪というのは、よほどのことがなければ動かない。企画は風化し、誰も書籍化について話をしなくなった。そしてそこから、8年の月日が流れた。
転機
転機が訪れたのは2021年。
11月に石川良子さん(社会学者)の本が、翌12月には林恭子さん(ひきこもりUX会議)の本が、ともにちくま新書から刊行された。石川さんも林さんも、ともに20年来の知り合い(友人)である。自分の身近な人たちが相次いで出版したことで、「出版」という行為がだいぶ身近なことに感じられた。簡単にいえば、「あのふたりにできるのだから、自分にもできるだろう」。まあ、そういう感じ。そう言い切れるだけの自信と根拠は、2013年からの小冊子の作成で、いつのまにか身についていた。
そしてちょうど同じ頃、べつのふたりの友人から、さかんに出版を勧められた。「どうして圭太くんが本を出さないのか理解できない」と。場所は錦糸町の居酒屋。両脇に座るふたりから、ステレオで「出しなよ!」と言われたことで、僕の中の何かが揺れた。そうだ、出していいんだ。マテリアルは本にして数冊分はあるわけだし、自分の文章を世に出したい気持ちもある。あとは編集者とのご縁だけだ。そこをどうするか?
そういう経緯でスイッチが入った僕は、そこで感じたことをFacebookに投稿してみた。「出しなよ!」と言われてその気になったはよいが、「具体的にどうすればよいか」がわからなかったので、まずは自分の気持ちを口にしてみたわけだ。口に出せば何かが動くかもしれない。言わなきゃ始まらない。そう、僕はわりかし、言霊の力というものを信じている。
Facebookに自分の気持ちを投稿したところで、目に見える何かが起こるということはなかった。どこぞの出版社さんから、「岡本さんの原稿を弊社で出版してみませんか?」なんていう都合のよい展開には至らない。当たり前だ。だが、それまで漠然としていた自分の思いを文章にして投稿してみたことで、自分の素直な気持ちに気づくことができた。そこは地味に大きかったように思う。
その後は、ふだんからお世話になっている支援者の男性に相談してみた。この人はその1年前に著書を出版している。「Aさんは、どういう経緯で出版に至ったんですか? 実は僕も、本を出したいと考えているんですが」。
すると彼は、われわれの共通の知人である編集者の名前を出してこう言った。「だったら、Bさんにそれを相談してみたらいいんじゃない? Bさんは編集者なんだし、編集者っていうのは、本を作りたがってる人たちなんだからさ」
「ああ、そうか」と、妙に納得した僕は、とある場所で一緒に仕事をしているBさんに相談した。ポートフォリオ代わりに自分の4冊の小冊子を持参して、「こういうものを以前に作ったのですが、商業出版で通用すると思われますか?」と。こういうのはプロの意見を聞いたほうが話が早い。少し日が経ってから、Bさんからの返事。いけると思います。うちの出版社で出しましょう。細かい表現は覚えていないが、だいたいそんな感じのニュアンスだったと記憶している。そしてその翌月から、出版に向けての打ち合わせが始まった。あとはもう、流れと勢いである。「どこの会社から出したい」とか、そんな贅沢は考える必要もなかった。
自分の思いを口に出す
「こんど本を出すことになりました」と伝えると、「岡本さん、どうやって出版社に売り込んだんですか?」と、たまに聞かれる。だが僕の場合、上に記したような経緯を経たというだけで、みずから出版社に「売り込む」という作業はしなかった。というか、「売り込む」といっても、そもそも売り込み方がわからなかった。いったいどこに向けて、何をすればよいのか? そんなことができるだけのバイタリティーも装備していないし、自分からアピールするのも苦手な性格である。
でも、不思議なご縁で人とつながったこと。タイミングの波を逃さなかったこと。そして、自分の思いを口に出して発信したこと。この3つが今回のカギだったように思う。ひきこもって社会から撤退した生活を送ると、人とのご縁や関係はどうしても薄くなりがちだが、こういう「つながり」があると、世の中はずっと生きやすくなる。そこは実感として感じている。今回の件がそうであったように。
この本にはさまざまな内容を盛り込んだ。自身の体験談だけではない。恋愛、家族、友人、親戚、親との関係。医療、きっかけ、人並みの経験をしていない自分に仕事なんて務まるのか、この社会への違和感。そしてもちろん、仕事の話も。消すことのできないブランクを抱えたまま働き続けることのある種のしんどさ、そしてそれを支えてくれたもの。立ち読みでもかまわない。ぜひいちど、手に取ってみてほしい。あとのことは、そのあとで考えればいい。
ともあれ、このような経緯で、今回、本を出版するに至った。今回書いた話が誰かの役に立つのかどうかは僕にもわからない。次の誰かの出版にはつながらないかもしれない。
でも、仮に「出版」という形を取らなくても、今回のこの文章が、誰かの何かを揺らすことはできるかもしれない。もしそれが叶ったならば、こうして書いただけの甲斐はあったのかな、と思っている。
岡本圭太 https://hopehills.jimdofree.com
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