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ひきこもりアメリカ体験記【パート2】:米国での出会い

 

筆者と米国のひきこもりD君 アメリカで最も標高の高い町Leadvilleにて

文・山添博之

 

第1回目はこちら

www.hikipos.info

 

2023年9月20日から約5週間アメリカとカナダを一人旅していました。

 

前回の記事においては、旅の全体的な印象について書きましたが、今回は旅を通じて出会った人々や、彼らと過ごした日々について書いてみます。

 

私は約10年に及ぶ重度で長期のひきこもり経験者として、YouTubeで英語発信を行ってきました。

その活動を糸口にし、様々な国の人々とのインターネット上の繋がりを作ってきました。海外を放浪する際にはその繋がった人々と実際に出会い、一緒に旅し、時には同じ屋根の下で日々を過ごしてきました。

 

私はイジメのトラウマから来る対人恐怖があり、新たな人と出会う時には毎回、嘔吐しそうなほど緊張しています。

相手がどんな人であっても自分一人で引き受けて対応しなければならない・・・それは怖い事ですが、異国での出会いはそのような負担を遥かに超えて大きな恵みをもたらしてくれました。

 

米国旅で出会った地元の人々と食事 撮影:山添博之

毎回、覚悟はしています。差別的な扱いを受けたり、犯罪に巻き込まれたり、ひょっとするともう帰ってこれないかも・・・と。

しかし、運が良いだけかもしれませんが、今まで異国で出会った人々は素晴らしい人々ばかり。友達になれる事が光栄であると感じるほどの人々ばかりだったのです。お陰で、今回も実り多き旅となりました。彼らに心から感謝をしています。

 

今回の旅において出会ったのは主に3名ですが、彼らの家族や友達とも出会い、沢山の人々と交流をしました。アメリカ人のひきこもりとも出会いました。では、彼らについて書いていきます。

 

①Bさん [ニューヨーク州モンロー郡]

Bさんは私のYouTubeでの英語発信を通じて繋がった人です。2-3年前から私の動画にコメントをしばしばくれるようになりました。

彼の母親がひきこもり状態であることから、私のYouTubeチャンネルに興味を持ち、やり取りをするようになったのです。やがてFacebook上で友達になり、頻繁にメッセージ交換をするようになり、親交を深めて行き、今回のアメリカ旅においては彼の家に滞在させて頂くことになったのです。

 

Bさんは40代中盤。ニューヨーク州モンロー郡の一軒家で奥さんと娘さんと一緒に暮らしており、職業はソーシャルワーカー。この地域において様々な障害を持つ人々の生活支援を行っています。

奥さんも40代中盤。スピーチセラピスト(言語聴覚士)をされています。娘さんは13歳で最近、この地区のジムナスティックス(新体操)の大会で準優勝をされたそう。

 

Bさん夫妻が無料で提供してくれた地下室 撮影:山添博之

彼と彼の奥さんは地下室を8日間私に無料で提供してくれました。更に奥さんのアメリカの家庭料理を毎日振舞ってもらい、更に彼のプリウスで周辺の地域の様々な場所に連れて行ってもらいました。大変親切にして頂いたのです。

それらを詳しく書いていると長大な文章になってしまいますので、下記に印象に残った出来事を幾つかに絞って挙げることにします。

 

地域の中はBさんの友人だらけ

私はBさん、時には奥さんや娘さんとも一緒に周辺の様々な場所を訪れました。カフェ、スーパー、博物館、お祭り、湖、山、森・・・。すると頻繁にBさんは友人にばったりと出会い、ハグしたり、握手したり、談笑します。地域中に彼の友人がいるようでした。

 

彼は特に著名人ではなく、一般の人なのですが、地域の人々から愛され、彼も地域の人々を愛している事が彼や彼の周辺にいる人々の様子から伝わってきました。このような「古き良きアメリカ」的な共同体の姿は現代の日本に生きる者にはとても新鮮で眩しく映ったのでした。

 

地球市民的大家族

Bさんの奥さんが作ってくれた家庭料理をみんなで一緒に 撮影:山添博之

Bさんは金髪碧眼の白人なのですが、彼の姉妹たちは国際結婚をしており、親戚にはとても多様な人種がいます。アフリカ系、南米系、アジア系・・・。この前送ってくれた収穫祭の家族写真はまるで国際会議のように色々な肌の色をした人が同じテーブルを囲んでいました。

この点を考えると、彼の家族は50年代のアメリカを舞台にした映画にあるような「古き良きアメリカ」的世界観より更に価値観がアップデートされているかのようです。言わば、「新しき良きアメリカ」という感じです。

 

国際ニュースにおいては差別問題が頻繁にクローズアップされています。しかし、このように異民族・異人種に対し寛容で友好的な社会は確かに存在しており、それは、このアメリカ旅で訪れた場所や、出会ってきた人々を見る限り、決して例外的なものではないと感じました。

 

オープン&フレンドリーな人々

私はBさんの家族と沢山の友人に出会ったのですが、彼らは異国から来た異人種で何者かよくわからない私に対してとてもオープンでフレンドリーに接してくれました。彼らの態度に私は感動し、嬉しくなり、日本のこと、旅のこと、国際情勢のこと等、沢山のことを彼らと英語で話しました。

 

ある時は、地元で有名なカントリーシンガーの家に招かれました。彼の屋敷は広大で、家の内部はアンティーク家具で彩られ、まるでどこかの欧州の王族の王宮のようでした。ピザを振舞ってもらい、スタジオに案内されたり、ギターにサインをさせて貰ったり、アメリカの伝統的なお菓子である焚火とマシュマロとクラッカーを用いた「スモ」の作り方を教えてくれたり・・・。

 

Bさんの知人シンガーの王侯貴族の邸宅のような住処 撮影:山添博之


Tシャツや彼がリリースしたCDもプレゼントしてくれました。お金を一切払っておらず、しかも異国から来た異人種で部外者の私を招いてこのような待遇をする彼の姿勢は、この地域に住む人たちの寛容で開かれた精神性を示す一つの象徴のように感じました。

 

Bさんや彼の周辺の人々は私に沢山の学びや気づきや喜びを与えてくれました。彼らに心から感謝したいと思います。(Bさん家族は近く東京を訪れる予定。再会が楽しみです。)

 

記念にギターにサイン 撮影:山添博之

 

②元ひきこもりSさん [ニューヨーク州ニューヨーク市]

ニューヨーク州ニューヨーク市では30代後半のフランス系アメリカ人のSさんと出会いました。私と同年代です。彼の腕にはクールで鮮やかなタトゥーが入っていました。とても気さくでフレンドリーな人でした。

 

彼は数年前に自動車事故に遭い、体を痛め、仕事が出来なくなり、暫くひきこもり状態になっていた事から、私のYouTube発信に興味を持ち、メッセージをくれるようになりました。今はひきこもりから脱し、アイスホッケー場のメンテナンスの仕事をしているそうです。

 

彼とはマンハッタンのセントラルパークで出会いました。公園を散歩したり、カフェで昼食を食べたり、彼のお気に入りのバーでカクテルを飲みながら色々と話しました。彼とのある会話が印象に残っています。

 

マンハッタンにあるSさんのお気に入りのバーにて 撮影:山添博之

 

ある時、私はSさんにこう聞きました。

 

「発展途上国を旅していると、お金も地位も無く日々を必死に生きている人たちがいるけど、彼らの多くは笑顔で満ち充実した人生を生きているように見える。重要なのはお金や地位じゃなくて良い人間関係なんじゃないかな?彼らは助け合いの中で生きているから―」

 

すると、彼は言いました。

 

「Hiroshi知ってるか?人が金持ちになるのは問題を少なくする為じゃなく、”増やす”為なんだよ」



「確かに」と思いました。お金を沢山持てば資金管理が必要になるし、大きな屋敷に住めば多くのメンテナンスや清掃が必要になり、その為の人を雇えば人材管理などが必要になる・・・。

財物のみならず人間関係も含めて持つものが増えれば増えるほど、元来は問題が限定されていたのに、どんどんと問題が増えていく。反対に、かの発展途上国の人々のように持つものが少なければシンプルで直線的な幸せを得られる。

この視点は重要だと感じました。特に、多くのものを持つ人に対する嫉妬を和らげるために。

 

前回の記事で書いたように、近年のアメリカでは幾つもの州で大麻の売買や所持が合法化されています。その影響に関して彼に聞いてみました。彼は言いました。

 

「アメリカの若者は大麻が全面的に禁止されていたとしてもどうせ使ってしまう。みんな学校でやるんだ。高校とか大学で。だから、合法化して表で売買して税金を取れるようにした方が良い。その方が、マフィアの資金源にもならないし、品質が安定して変な健康被害が減って良いんだよ。」

 

Sさんとセントラルパークを歩きながら 撮影:山添博之


なるほど。革新的でありながらとても合理的な考え方だと思いました。アメリカの大都市に住む彼からは、Bさんとはまた違った視点から様々なことを教えてもらいました。彼は日本に来たがっており、今度は東京で会う約束をして別れたのです。

 

③米国のひきこもりD君 [コロラド州デンバー]

コロラド州デンバーでは20代前半のメキシコ系アメリカ人のひきこもり青年D君と出会いました。D君は大学生でしたが、心身の状態を崩し、ひきこもりとなり、今はアートセラピーを受けながら療養しています。十数年前、ご両親は彼と彼の兄弟姉妹を連れてメキシコのチワワという都市から移民として米国にやってきました。

 

夜のコロラド州デンバーの中心部 撮影:山添博之

 

D君もYouTubeチャンネルを運営しており(彼の動画には100万回再生を超える動画も)、Hikikomori繋がりで私のYouTube動画に2-3年前からコメントをくれるようになり、次第に仲良くなって行きました。彼は以前に東京に遊びに来ており、その際に3-4日間一緒に過ごしたこともあります。

 

彼は躁うつ病を患っています。うつの時は無気力で何も出来なくなりますが、躁の時は「俺は神だ!」と思うほどに自信に満ち、己が無敵であるという想いに駆られ非常に無謀な事をしでかしてしまうそうです。その結果、過去に3回ほど精神病院に強制的に入院させられていたそうです。今は躁うつ病の症状を和らげる為にリチウムを毎日飲んでいます。私が彼と出会った印象は落ち着いた思慮深い青年という感じで、危険な事をするような人だとは感じませんでした。

 

D君や彼の家族と周辺地域を旅しました。ロッキー山脈、アスペン、コロラドスプリングス、レッドロック・・・etc。これらについて詳しく書くと、長大な文章になるので、Bさんの章と同じく幾つかの要点に絞って書きます。

 

アメリカンドリーム

デンバー国際空港に到着すると、D君と彼の姉とその旦那さんが一緒に迎えに来てくれました。まず驚いたのは彼のお姉さんはまだ20代なのに「TESLA Model Y」に乗っていた事です。550〜700万円程する高級車。住んでいる場所は丁寧に手入れされた大きな庭付きの広いリビングのある奇麗な一軒家でした。D君はそこでご両親と一緒に住んでいます。

 

D君のお姉さんが運転するTESLA Model Yに乗って 撮影:山添博之

D君の姉夫婦は新築の別の住居に住み、その家もまた広々とした奇麗な一軒家でした。移民の方には様々な状況に置かれている人たちがいるでしょうが、少なくともメキシコからやってきたD君家族は平均的な日本人よりもよっぽど豊かな生活をしているようでした。

 

D君の家ではお母さんがメキシコ料理を作ってくれました。タコスやメキシカンライスやメキシカンサラダなど。花やアンティーク調の家具で彩られた豪華で整然としたダイニングの大きなテーブルでご家族と一緒に食べました。お母さんが気を使ってお箸を私に渡してくれました。そうすると、お父さんに「君はそんな変なものを使って食べるんだな」と笑われてしまい、自分が何か奇怪な文明からやってきた人間に思えて少し恥ずかしくなりました。

 

後にお母さんに教えてもらったのですが、故郷のメキシコのチワワでは非常に貧しい生活をしていたそうです。ここアメリカに来て必死に働き、このような豊かな生活を手にし、アメリカンドリームを叶えたのです。

 

州や街によってバラツキがあるものの、一般的にアメリカの賃金は日本よりも遥かに高く、普通に働き続ければ日本よりも豊かな生活を送れるようになる土台があるのだと思います。移民は「貧しい人々」だというステレオタイプな見方がありますが、アメリカにはD君の家族のように、平均的な日本人よりはずっと裕福な移民の人々が沢山いると思われます。

 

プレーリードッグの巣穴

僕とD君と二人でデンバーの自然の中をハイキングしている時に、大きなネズミのような変わった生き物を見つけました。彼らは巣穴の近くに立ち、甲高い特徴的な声で鳴いていました。良く見ると周辺に沢山の巣穴がありました。

 

巣穴らしき穴の付近に二本足で立つ不思議な生き物 撮影:山添博之

 

D君があの生き物はプレーリードッグだと教えてくれました。そして、この周辺に散らばる巣穴は無数の地下トンネルで繋がっているのだと教えてくれました。彼らは大規模な地下世界を作っているのです。その構造は、ひきこもりながらも国際的に繋がった私たちの在り方を想起させました。そして、以下の事を思いました。

 

対人恐怖、社会不安障害、回避性人格障害・・・的気質を持つひきこもりであるのに、人々との交流を避ける精神的傾向があるのに、D君と僕は「普通の世界(職場、学校、地域社会での人間関係など)」とは別の文脈で繋がった。「Hikikomori」という言葉がまるで魔法のように作用し、本来は繋がり得なかった回路を繋げたことによって形成された文脈が繋がりを創生し続け、想定外に豊かな可能性に開かれた。

実は、ひきこもりは、人々と繋がりたくないと考えているわけではなく、飽くまで「普通の世界」の文脈において繋がる事を避けているのであり、違った形の、彼らにとって魅力的な文脈においては幾らでも他者と繋がって行けるのでは?

 

プレーリードッグの巣穴の仕組みをD君に教えて貰い、そのように考えが派生していったのでした。

 

D君の家族の中で

D君と彼の家族と触れ合ってきて最も印象に残ったのは、D君は家族から愛され、冗談を言い合ったり、ハグし合ったり・・・家族の中でとても和気あいあいと過ごしているという事です。ひきこもりであるという事で家族から排除されたり、恥だと思われたりしているような印象は微塵も感じませんでした。

 

お母さんとハグをするD君 撮影:山添博之

D君の家族の彼に対する態度から、本当の家族愛とはこのようなものだろうと学んだ気がしました。日本の家庭のように、子供がひきこもること程度で機能不全に陥ってしまうような脆弱な傾向にある関係とは違い、力強い結束に基づく家族愛を感じました。

 

移民の家族はコスモポリタンな傾向が強いようです。例えばD君の親戚は故郷のメキシコはもちろん、ヨーロッパや沖縄にもいます。私は20代の頃、南米から来た労働者と共に働いていましたが、労働者として外国に出ていく彼らのバイタリティや知性は凄まじいものがあるなとリスペクトしていました。D君のご両親のように本国を去り、他国で働き続け、家族を養い、立派な家まで建ててしまう力強さ。

 

加えて、彼らは多くの場合、複数の言語を扱える能力があります。D君と彼の家族の場合は英語とスペイン語を流暢に駆使します。英語とスペイン語という二大国際言語を流暢に使えるという能力の高さは特筆すべきものだと思います。

日本は移民をあまり受け入れたがらない傾向がありますが、彼らのような様々な意味でポテンシャルが高い存在こそが衰退していく今の日本には必要なのだろうと彼らと接していて感じた次第です。

 

荒涼とした大地が果てしないコロラド州の風景 撮影:山添博之

D君とその家族から多くの事を学びました。D君と彼の姉と旦那さんは近いうちに東京に遊びに来たいと言っており、再会が楽しみです。

 

出会いを通じて感じたこと

外国を放浪し、様々な人々と出会い、このように多くの学びや実りがありました。

 

私は小学校を卒業してからは殆ど学校教育を受けず、約10年間重度のひきこもり状態となり、地域社会での人間関係は消え、家族の中でも孤立し、今から約10年前に家族と完全に縁が切れ、頼る人も組織も無く、孤独に根無し草のように生きてきました。

 

でも、このような素晴らしい異国での出会いや経験は、そのような人間であるからこそ、与えられた恵みであるのかもしれないと思っています。なぜなら、日本という小さな島国、いわばガラパゴス的社会に適応すればする程、世界から閉ざされて行く傾向があるように思われるからです。

 

日本の独特な世界に順応して行くことは、まるで、先細りする塔の中を登って行くかのように、世界から切り離された狭い独自の世界に閉じこもっていくかのようでもあります。日本に十分に適応し、安住したなら、リスクを負って外部の世界に何かを求めて出て行く必要性が、無くなってしまいます。

 

そのような観点から考えた場合、日本で「普通」とされる人々の方が、実はひきこもり傾向が強い可能性があり、むしろ日本の「普通」から排除されてしまう人々の方が、日本の外側にある広大で豊かな世界に繋がる潜在性を秘めていると言えるのではないでしょうか?

 

ロッキー山脈のマルーン湖にて 撮影:山添博之

 

海外を放浪しているとき、パスポートを破り捨てて、不法滞在者として生きようかと夢想する事が良くあります。日本人であることも捨てて、何もかも捨てて・・・。(もちろん、そんな無謀で迷惑なことは実際にはしませんが)日本が恋しいだとか、帰りたいとか、そのようなことは感じません。日本に帰らず、一人で異国の地にずっと住む事になっても構わないです。

 

なぜなら、個人的な人間関係が無い根無し草同然であった私にとり、インフラさえ整っていれば何処に住んでも、基本的には特に変わらないと感じるからです。孤独・孤立状態にある人々が大量にいる現代の日本にあっては私のように感じる人が多いのではないでしょうか?

 

加えて、長期間の海外放浪から帰ってくると、日本が異国であるかのように感じられることに気付きます。今も「日本という異国」に滞在しているような感覚があります。日本が唯一無二のホームであるという認識が自分の中に無くなったのです。日本は自分にとって「絶対的」な存在ではなく、代替可能な「相対的」な存在に過ぎないと認識の変容が起きました。

 

しかるに、今の私は日本の「普通」に適応できないという程度の事はそれほど深刻な問題ではないと捉えるようになりました。日本の外の広大な世界には様々に違った形で生きている人々がおり、日本に適応して行くのみが正しい生き方であるはずがないと考えるようになったのです。もっと自由で多様性に開かれて良いと。この実感は、私の心に憑りつき呪縛していた「こうでないといけない」という怨念のようなものを弱め、心を自由にしてくれました。

 

東京の風景 撮影:山添博之

多くの気付きを与えてくれた今回の旅。出会った全ての人たちに心からの感謝を捧げ、私のアメリカ体験記を終えたいと思います。

 

山添博之(ヤマゾエヒロシ)

 

1984年生まれ。10代前半からイジメに起因する重度なひきこもり状態を約10年間経験する。その後、就労し自立するが、32歳頃に仕事を辞め、単身ひきこもり生活者となる。

 

32歳以後は海外旅の楽しさに目覚め、海外一人旅を頻繁に行うようになる。現時点で計14ヶ国を放浪。同時に「Hikikomori」をキーワードとし、インターネットで世界に向けた発信を行いながら、海外ひきこもり達と交流の輪を広げて行き、彼らの為のオンラインコミュニティを運営するようになる。

 

国内では、約5カ月前から都内において、ひきこもりを対象とする「居場所」に参加するようになり、最近は自身でも「居場所」を開催するようになる。

筆者に関するオンライン記事や筆者のSNSへのリンクは以下を参照のこと。

 

週刊女性PRIME記事: https://www.jprime.jp/articles/-/19770

プレジデントオンライン記事: https://president.jp/articles/-/55007

Twitter(X): https://twitter.com/hiroshiyamazoe

Website: https://hiroshiyamazoe.com/