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ひきこもりアメリカ体験記【パート1】:米国の洗礼

 

NYCタイムズスクエア  撮影:山添博之

文・山添博之

2023年9月20日から約5週間アメリカとカナダを一人旅していました。


前回の私の記事で書きましたように、約10年間の重度のひきこもり状態を経験した者として、約3年半前にSNSやYouTubeで英語の当事者発信を開始し、海外のひきこもり達との繋がりを沢山作ってきました。加えて、海外を放浪し、海外のひきこもりたちと実際に出会ってきました。


今回の記事においては、このアメリカ旅において体験した印象的な事、アメリカのひきこもりとの出会い、英語発信で繋がったその他の人々との出会い― などについて書いてみます。

 

10年の重度ひきこもり経験者が米国へ・・

私はアジアの発展途上の国々やロシアやヨーロッパの国々・・・様々な国を一人で放浪してきましたが、今回のアメリカ旅においては出発前から今までにない特別な不安を感じていました。なぜなら、近年のアメリカから国際ニュースを通じて伝わる情報は非常に不穏なものが多いからです。


相次ぐ銃の乱射による無差別殺傷事件、ドラッグの蔓延、人種差別、暴動、ヘイトクライム、巨大な貧富の格差、大量のホームレス、急激な物価の上昇などなど・・・。それに加え、現在は日本円の価値が米ドルに対して急激に下がっており、日本円を使う者からすればアメリカの商品は非常に高価になっています。物や場所によりますが、大雑把に言わせて頂くならば、だいたいの物が日本より2-3倍程度の値段がします。


しかし、アメリカは未だに世界で最も大きな経済力や軍事力があり、文化も含めて世界に対して非常に大きな影響力がある国です。なので、死ぬまでにアメリカを体験してみたい、また、英語発信により繋がったアメリカ人たちと実際に出会いたい。そのような想いもあり、多少の困難は覚悟し、もう帰ってこれない可能性も受け入れ、訪れることにしたのです。

アメリカの洗礼

サンフランシスコ国際空港から市内を繋ぐ電車 BART  撮影:山添博之

サンフランシスコ国際空港に到着し、入国審査をパスした後、市内に向かう電車に乗ると、最初のアメリカの洗礼を受けることになりました。ある駅で黒人の女性が大きなスピーカーを持って車内に入ってきたのです。そして、大音量で音楽を聴きながら"タバコのようなもの"を吸い始めました。次第に車内には煙が充満していきました。匂いは明らかにタバコではありません。周囲の乗客はあれは”大麻”だと言っていました。周囲の乗客はただ笑っており、彼女は特に他の乗客から注意されることもありませんでした。


カルフォルニア州で大麻の所持や使用などが合法化されたとはいえ、電車の中で吸い出す人がいるとは想像していませんでした。おそらく、流石にこのような電車の一般の車両内での喫煙は違法であり軽犯罪に該当するのだと思いますが、乗客たちは大して気にも留めていませんでした。人々にとっては大した事ではなかったのです。


サンフランシスコの中心部にはあちこちに沢山の大麻販売店がありました。それは日本の大都市におけるコンビニのように、ランダムに5-10分くらい街を歩いていると、1〜2の販売店を新たに発見してしまうようなレベルです。とても沢山あるのです。街を歩いていると、歩きタバコならぬ「歩き大麻」を行っている人にも頻繁に出会いました。アメリカでは大麻の合法化が進んでいることは知っていましたが、ここまで人々の生活や街中に広く大麻が浸透していることに驚きました。


サンフランシスコ以外にも、その後に訪れたニューヨーク市、トロント(カナダ)、ロサンゼルスなどの大麻の購入や所持や使用などが合法化された州の大都市の中心部には同じように、*沢山の大麻販売店があり、街中ではあちこちから大麻の香りがしていました。


*参考までに : 2018年の調査によるとカルフォルニア内に大麻販売店は*1110店舗あるとされる。これはカルフォルニア内のマクドナルド(2023年1月において1218店舗)と同じくらいの規模感である。

 

*参考資料:Locations of licensed and unlicensed cannabis retailers in California: A threat to health equity?

 

 

街にあふれる大麻販売店の一例 撮影:山添博之

*注意:日本人が大麻の購入や所持をする事は、それが例え海外であっても日本の法律によって禁止されている事に留意が必要です。

 

銃撃事件に遭遇

私はサンフランシスコの中心部にある予約していた安い宿泊施設に向かいました。ホテルに続く道を歩いていると、頻繁に車のクラクションや怒鳴り声が聞こえました。道にはゴミが散乱しており、周囲の建物の壁はスプレーで落書きがされていました。ホテルの入り口周辺にはホームレスの人達がたむろしていました。


私は宿泊費がとても安かったのでこのエリアを滞在地に選んだのでした。ホテルの受付は防弾ガラス越しでした。ネットで繋がっているアメリカ人たちが言うにはサンフランシスコの中で特に危険な地域であるとの事でした。夜になると、私の部屋に面するストリートから大音量の音楽が聞こえるようになりました。そこにたむろしている人たちが騒いでいました。そして―


「パパパパパパ・・・」


という連続した乾いた破裂音がしました。それはゲームや映画などで聞く「あの音」にそっくりでした。私がカンボジアを放浪していた時に軍隊の人に射撃させてもらったライフルの音にも似ていました。何事か理解し、直ぐにスマホの録画スイッチを押し、その音を録音することに*成功し、それを現地の人に確認してもらうと、やはり、それは銃声であるとの事でした。

 

銃声が聞こえたストリートを部屋から見下ろす 撮影:山添博之

*動画はこちら:https://hiroshiyamazoe.com/gunshot

 

その後、救急車や警察が来ることもなかったので、特に事件には発展しなかったようです。おそらく、路上にたむろする人々が銃をただ空中に乱射して騒いで遊んでいたのでしょう。

 

大量のホームレスたちの中で

私のホテルの周囲のみならず、アメリカの都市部においてはホームレスを頻繁に見かけました。路上にテントを張っている人、地べたに段ボールを敷いて寝ている人など・・・。ロサンゼルスにおいてはホームレスの人々が数千人住んでいるといわれる「スキッドロウ」という地区も訪れました。

スキッド・ロウ (ロサンゼルス) 写真1 撮影:山添博之

この地区は「車で走行中に赤信号になっても止まるな」などと言われるほどの超危険地帯なのですが、現在のアメリカを知るために、また、「Hikikomori」というキーワードとこの地区に強い関連性があると以前から考えており、そこを訪れる必要があると感じ、訪れたのでした。


その地区のストリートには沢山のテントがありました。路上の地べたに直接寝ている人も沢山おり、横にはしばしば注射器が置いてありました。おそらくヘロインなどの鎮静効果の強いドラッグをやり、グッタリとしていたのだと思います。


アメリカではヘロインや処方薬の鎮痛剤を含めた「オピオイド系」のドラッグが蔓延しています。この種の物質の中毒になれば、呼吸抑制により命を失いかねません。2021年に米疾病対策センター(CDC)が発表したところによると、米国の薬物過剰摂取による死者は年間10万人を超えており、その大半は「オピオイド系」のドラッグによるものだそうです。


彼らを見ていて、怖いとは思いませんでした。不快な気持ちにもなりませんでした。ただ、涙が出そうになり、心が引き裂かれるような思いがしました。この文章を書きながらも彼らの事を思い出し、泣いてしまいました。ホームレスになるまでにそれぞれ様々な経緯があり、様々なタイプの人がいるでしょうが、基本的に彼らは儚く、弱い存在であり、アメリカ版のひきこもりのようでもあり、また、長年重度にひきこもって社会のレールから逸脱した自分にも似ているようにも思い、親近感すら感じたのでした。


様々な理由から社会の中に組み込まれず、疎外された状態のまま放置されているという意味で彼らはひきこもりの相似形だと思います。私のところに寄せられてくる海外のひきこもり達の体験談を読むとドラッグ中毒となった経験がある人が珍しくなく、彼らの姿を、スキッドロウのホームレスの中に見た気もしました。

 

 

スキッド・ロウ (ロサンゼルス) 写真2 撮影:山添博之

留意しておきたいのは、このような状態からリカバリーしていく人も多くいる事です。おそらく、多くの日本人からすると、彼らは「人生が終了した人」と映るかもしれません。ネット上でこの地区が「ゾンビタウン」(失礼なネーミングだと思います)などと呼ばれているように。


しかし、私が出会ったヨーロッパの人達もドラッグ経験がある人が沢山いますが、彼らは日本の一般的な人以上にこの世界で活躍をしている人達でもありました。例えばスペインで出会ったポルトガル在住のアイルランド系イギリス人は若い頃にヘロインを含めて様々な薬物を体験してきたそうですが、今はその悪癖を絶ち、家族を持ち、国際的な大企業に勤めています。


アメリカの著名人たちも過去にドラッグ中毒者であった人が珍しくありません。ドラッグ中毒やホームレスもひきこもりと同じく、多くの場合、人生における一時的な状態に過ぎないのだと思います。

 

私の「アメリカ観」壊れる―文化的衝撃体験

今まで私が紹介してきた場所は、飽くまでもアメリカの大都市の中心部にある治安の悪い地区の世界です。街の郊外や、小規模な都市、村などを訪れると全く違う世界がありました。


私はホテルのあるサンフランシスコの中心部から少し外れた場所を訪れてみました。フィッシャーマンズワーフ、ヘイトアシュベリー、ツインピークスなど・・・そして気付きました。これらの場所には都市中心部よりもずっと平和で整然とした世界が広がっていたのです。家族を連れて談笑している人が沢山おり、店員さんはとても友好的だったり、笑顔で挨拶をし雑談をしてきたりします。


サンフランシスコは人種的にとても多様です。統計によると白人が約30%、アジア系が約30%、ヒスパニック系が約30%、黒人+その他が約10%。サンフランシスコの郊外の場所を訪れ、様々な人種や民族が談笑しながら行き交う様子を眺め、多様な背景を持つ人々が平和的に共生するなんて美しい街なんだと感動を覚えた程でした。


広大なアメリカには様々なタイプの田舎町がありますが、ニューヨーク州の北西部のモンロー郡にある村を訪れ、カルチャーショックと共に私の「アメリカ観」が壊れました。私はその村において、英語発信で繋がっていたBさん夫妻の家の地下室に8日間無料で滞在させて頂いたのですが、このような雰囲気の地域社会が実在したとはこの時まで知りませんでした。

 

ニューヨーク州モンロー郡にある村の商店街 撮影:山添博之

この村は整然としており、人々は友好的で、日本の平均的な街よりも遥かに安全だとすら感じました。この村の住宅エリアには、殆ど完ぺきに手入れされた芝生のある広い庭と2階建てのガレージ付きの小綺麗な一軒家が延々と並んでいました。人々は部外者の私にも笑顔で挨拶をしてきます。Bさん夫婦はまるでこの地域全員と友人であるかのように、出会う地域の様々な人に声をかけたり、かけられたりして談笑をします。


私がBさんにスーパーやカフェに連れられて行くと、頻繁にBさんの友人や知人と出会い、挨拶したり、握手をしたり、ハグをしたり・・・。彼は特にお金持ちでもなく、社会的地位が高いわけでもなく、有名人でもないのですが、地域の人々からとても愛されており、地域の人々も地域の人々から愛されているようでした。このような雰囲気の地域はひきこもり経験者で内向的な私のようなタイプには合わないように思われるかもしれないですが、そうでもありませんでした。


日本の地方には様々なタイプの村があるでしょうが、基本的に、閉鎖的で陰湿な雰囲気が醸成されている傾向があるように思います。しかし、このアメリカの村の人々は、性格がオープンで、明るく、村全体が友愛に満ちているような雰囲気なのです。


でも、決して彼らは「地域社会で生きる者の義務として常に隣人に愛想よくし、仲良くしなくてはならない」という義務感からそのように振舞っている感じではなく、いつも自然体であり、内発的に「自分がそうしたいからそうしている」という感じなのです。だから、ここでは私も自然と他者に友好的な気持ちで話しかけてしまいます。


大都市部で私が体験してきた大麻が蔓延する街や、銃撃事件や、大量のホームレスの人達・・・などは飽くまでニュースやドキュメンタリーで学んできた事の延長線上にあるもので、むしろ、この村の様子の方が私にとって遥かに衝撃的だったのでした。


どのような原理でこのような地域社会が形成されるのだろうかと考えましたが、一つは宗教が大きな役割を果たしているようです。

 

B夫妻と訪れたプロテスタント教会 撮影:山添博之

 

日本にも宗教はありますが、多くは形骸化しており、地域の人間関係を支えるような役割を殆ど果たしていないと思いますが、統計によれば、アメリカでは無宗教者が30%程度いるものの、キリスト教の力が未だに強く、全人口の60-70%を占めており、日曜日になると各地のキリスト教会で礼拝が行われています。


私がお世話になったBさん夫妻も日曜日になると家族でプロテスタント系の教会に礼拝に赴き、そこで地域の人々と交流します。多くの人々と握手し、ハグし、語り合います。日本においては学校や職場にしか「居場所」が存在しない人々の孤独が問題視されていますが、このような形の「居場所」がこの村にはありました。


教会以外にも、Bさん家族と一緒に収穫祭、ファーマーズマーケット、ラグビーの試合・・・様々なイベントに参加しましたが、それらの場所でも沢山の彼らの友人知人と出会う事になりました。この村では様々な場所やイベントが、人々の繋がりを保持し強化する機能をしっかりと果たしていました。


もちろん、このような地域にも様々な問題が潜んでいるのだと思いますが、少なくとも、異国から来た部外者で、お金を全く払ってもいない私に食事や滞在する場所を提供し、更に、私を車に乗せて周辺地域への旅行体験も与えてくれたBさん夫婦や、私にとても友好的に接してくれた彼らの友人や知人や地域社会の人々の存在は、国際ニュースで学んでいたネガティブなアメリカ観を良い意味で壊しました。


私はこのアメリカ旅を通じ、様々な地域を巡りました。ロッキー山脈にある町や村、コロラド州の自然、大都市やその郊外。それぞれに特色があり、更に、都市内部においても地区によって雰囲気は大きく変わります。

 

ロッキー山脈に位置するかつて炭鉱業が栄えた町 撮影:山添博之

冒頭で触れたように、日本からニュースを通じて知るアメリカは悲惨なものです。相次ぐ無差別殺人、銃犯罪、ドラッグ問題、大量のホームレス、ヘイトクライム・・・。それは、真実ではありますが、同時に、メディアは視聴率を稼ぐためのセンセーショナルな情報ばかりを報道し過ぎる傾向が強い為、私たちは過剰にネガティブな情報ばかりが蔓延する環境におり、そのネガティブ情報の濁流に日々浸っていると、まるで世界は悪で覆われているかのように錯覚してしまうという傾向がある事に注意が必要です。


実際は、ニュースで知るアメリカは広大なアメリカの一側面に過ぎず、混乱や憎悪や貧困や病や暴力で全体が覆われた国では決してありませんでした。

 

一人の人間として・・・

もう一つ、アメリカの様々な場所に滞在し、様々な人に出会い、気付いた事があります。これは少し抽象的なレベルの事であり、上手く伝えられるか自信がありませんが、書いてみます。


それは、アメリカにおいては人は社会的地位や所属集団ではなく、個性に注目される傾向があるという事です。アメリカは相手の社会的地位や所属集団がどうであろうとも、まず、フラットに一人の人間として尊重しながら接するという傾向が日本よりも強いと感じました。


私のように部外者で人種や民族が違っていても、仲間のいない一人旅であっても、多くのアメリカ人はオープンに友好的に接してくれました。たまに酷い対応をされる事もあります。しかし、その場合においても、私の個性が見られ、どんな個人であるかを評価された上でされた対応という印象がするのです。つまり、フラットに個人性をしっかり見て対応される傾向があるので、ある意味怖くもあり、酷い対応をされた場合の精神的ダメージは大きいのですが、逆に好意的に接して貰うと、自分の存在を純粋に肯定してもらったような嬉しさがあります。

 

農地を走るトラクターの荷台にて 撮影:山添博之

反対に日本においては、個人性よりも所属集団や社会的地位などが重要度が高く、それらの要素によって人間としての評価が決定される傾向が強いように思います。だから、例えば、日本で駅などにおいて数多くの見知らぬ他者とすれ違っても、まるで自分が「透明人間」になったかのように、彼らに対して自分自身がまるで存在していないかのような印象を受けます。日本はお互いの所属集団や社会的地位などの背景を知らない場合、お互いが「何者でもない人」として背景のように映る傾向が強いのだと思います。


しかし、アメリカだけに限らないですが、ヨーロッパを含めた欧米の国を旅していると、知らない人が話しかけてくることなど日常茶飯事で、例え話しかけられなくても、知らない人が小さな気遣いをしてくれることが頻繁にあります。例えば、商店などのドアを開ける必要がある時に、先に通る人が私のためにドアをしっかりと開いて支えてくれていたり・・・。


或いは、欧米において商店でレジ打ちをする人たちの中には、ガムを嚙みながら、他の従業員と雑談しながら、座りながら、音楽を聴きながら、スマホを弄りながら仕事をしている人たちがいます。彼らは悪態を付いている雰囲気では決してなく、ただ、人として無理のない自然な働き方をしているように見えました。このような欧米の商店においては店員の方からカジュアルに話しかけられる事も良くあります。営業目的の仕事上の会話というわけではなく、雑談目的という形で自然と話しかけられるのです。店員は「ロボット」ではなく人間であり、客も「神様」ではなく人間であるわけですから、これが本来の自然な形の働き方であると私には感じられました。


要するに、相手の背景に関わらず、役割に関わらず、個性を持った人間としてフラットに尊重される傾向が強い文化であると感じました。そのような形の倫理観が文化のベースにあるからこそ、差別が起こると重大な問題として人々に認識され、社会問題と化しているわけで、そのような倫理観がそもそも薄く、差別が問題視され難いが故に、差別が少ない事に表面上されている日本の状況とは根本的に違っているように思いました。


私はこのような文化的傾向を持つ欧米の国々で様々な人と出会い、彼らから相手の個性を尊重し、自分の個性も尊重される事の素晴らしさを教えて頂きました。その経験が、日本においても、孤独状態を抜け出し、人間関係を構築していこうと行動を起こす原動力となりました。


この最後の章は少し抽象的なテーマになり、上手く伝わったか分かりませんが、人間関係の在り方を考える上で何かのヒントになるかもしれないと思い、パート1の記事の最後に書かせて頂きました。


次回は、英語による当事者発信を介して知り合ったアメリカ人のひきこもり当事者を含めた「アメリカでの様々な人たちとの出会い」について書いていきます。

 

山添博之(ヤマゾエヒロシ)

1984年生まれ。10代前半からイジメに起因する重度なひきこもり状態を約10年間経験する。その後、就労し自立するが、32歳頃に仕事を辞め、単身ひきこもり生活者となる。

32歳以後は海外旅の楽しさに目覚め、海外一人旅を頻繁に行うようになる。現時点で計14ヶ国を放浪。同時に「Hikikomori」をキーワードとし、インターネットで世界に向けた発信を行いながら、海外ひきこもり達と交流の輪を広げて行き、彼らの為のオンラインコミュニティを運営するように。

来月(2024年1月)は新宿と北千住で「居場所」を開催予定。詳細はこちらのリンクにて

筆者に関するオンライン記事や筆者のSNSへのリンクは以下を参照のこと。

週刊女性PRIME記事: https://www.jprime.jp/articles/-/19770


プレジデントオンライン記事:
https://president.jp/articles/-/55007


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