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【小説】憂鬱な空と色とりどりの傘達【後編】

Image Ishizaki Morito with GPT4o




※この物語はフィクションです。過激な表現や性的な内容も含みますので、苦手な方は閲覧をご遠慮ください。

 

憂鬱な空と色とりどりの傘達 : A meleancholy sky and colorful umbrellas.

著 西野 績葉

 

www.hikipos.info

 

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【後編】

 

僕の親ってのいうのは、どうやら、とても苦労した人だったらしい。

断片的にしか情報は伝わっていないのだが、それを断片のまま書くとすれば、こうだ。

戦争が終わった時、やっと和暦が二桁になろうか、って頃。

曰く、その頃、物はなく、食料も乏しく、家の中には雪が降ってきた。水を汲みに川までいかねばならなかった。
十四で妾になれと言われた。それはとてもできることではなく、行為の直前となって相手の家を飛び出した。
曰く、母親は自分の稼いだカネを兄弟の学資金のため、もっていった。
曰く、初めて結婚した人は暴力男で、元々右の耳は聞こえがわるかったというのに、左の耳の鼓膜さえも破られた。
補聴器生活。人工鼓膜。何度にもわたる手術。
四度目の手術。すべて嫌になり、逃げ出して、草むしり。
ストレスから解放されたからか。それで一旦よくなる。

それでも、補聴器。機械も古い。聞こえない。半端に聞こえる。
歪んでいく性格。大きな声。他人の気持ちを想い量る能力の欠如。

やっと手に入れた幸せな結婚生活。

トラックの運転手との生活。
その男も脳卒中で死亡。
そして母はノイローゼを発症。
精神病院に、母の兄弟が、母を、入れた。
その後それでも手に入れた、生命保険の仕事。

足が棒になるまで営業。
知り合いの所で出会った十一も若い男——
だが性格が合わない。性格が合わずとも、なんだかんだ、幸せもある日々。
でもやはり、出て行く決意。

チューリップが咲くまでいろよと引き留められる日。
それで、籍もいれずにできた子供が僕。
できて、生まれて、それまでは、人が変わったようによくする父親。
生まれて数年すりゃ、またギャンブルに走った。

結局母子家庭。

息子が学校に上がってみれば、世界は変わっていた。

高度成長も終わっていた。
バブルも弾けた。
子供は熾烈なイジメに遭った。

己の価値観と違う価値に世界は染まってた。
若い担任。周囲の若い親。
やまないイジメ。
学校へ、生徒への介入。つまり軽く暴力。
転校。転校。転校。転校。また転校。

やっとまともな第五学年。

安住の地は故郷の田舎だったのか?

それまで細々と、子供がせがむからと、半分は自分だって楽しんでいた、内縁の夫、つまり父との関係。それもまあ腐れ縁として続く。

そんな時だ。
昔から時々、懇意にしていた、夫の隣のじいさんが死んだ。
その娘に、内縁であれ、一応は距離をとってうまくやってた男を寝取られた。

それで本当に壊れてしまったんだ。

静かに、壊れていった。

誰かが、私を、陥れようとしている。盗聴されている。息子の友人は何か黒い、闇の組織のスパイに違いない。

息子はそのころ反抗期に入ろうかと言うとき。
変わっていく息子に、社会の価値観を身につけていく息子に、耐えられなくなっていく。

反抗し、引きこもっていく息子。

想うようにならない世界。

呪縛。呪い。一見平和な時があっても、そんなような日常。

僕が、断片的にでも知っている事は、これくらいだ。

結局、肋骨が数本折れたが、内臓には深刻なダメージも受けずにすんだらしかった。 肺が片方潰れかけたというが、発見が早かったので、命に関わるものではないのだとか。

聞いた話だが、救急医療というのは、自殺未遂の患者が運ばれてくる率は、とても高いらしい。自分もその中の一人だった、ということだ。難儀な仕事だな、と同情はする。自分を壊そうとするのも人だ。それぞれに理由がある。それが納得できない理由だとしても。

僕は、家を飛び出し、親戚に資金援助を受けて引きこもっていた。

社会に適合しようと試みることだって、もちろん何度もあった。

しかしそのたびに挫折した。どうも僕のいる世界というものは、持てるものはより、持ち、持てないものは、よりはぎ取られていく、そういう所らしい。

常に子供の頃の経験や、親の事や、過去様々あったトラウマが足を引っ張った。ゲームマニアは、時代とともにネット依存になり、NTTのテレホーダイのせいで昼夜は逆転した。

定時制高校に通いながら、うまくいくかと思われた時もあったが、そのとき好きだった子が親友に寝取られたような、そして自分がやけになって別の女とくっついたというような、そんな事もあった。

やがて、胸が苦しく。不安か、焦燥か、原因のよく分からない、胸の痛み。締め付けられように苦しくなっていった。そして精神科に行くことになる。

憂さ晴らしに始めた事が、PCでやる創作活動だった。

アパートに引きこもって絵を描いた。音楽を作った。プログラミングみたいなこともやってみた。結果だけがほしくて、作る過程は自分なりの物だった。だからとてもじゃないが、人前に出して恥ずかしくないものはできなかった。
アパートに引きこもって、寝る間も惜しんでひたすらパソコンをやる。そういう生活を続けていた。

一般的な引きこもりというのは、他人との接触を避けたがるものらしいが、僕の場合はネットを通してむしろ知人は増えていった。

そんな風にして、引きこもっている中でできた彼女が、早紀だ。

自殺未遂をして入院したからって、何かが変わったというわけでもない。僕にとって彼女が大切な存在なのは確かだし、今はどうせいつか人は死ぬのだから、それなら生きてみようと思っている。死にたい衝動に時折悩まされながらも。

気がつけば、早紀が隣で果物を剥いていた。白い部屋。病室。まだ少しアバラが痛む。自業自得だ。
「ホントに心配……したんだからね?」
少し拗ねたようにして喋る彼女は、けっして美人ではないが、幻想の中には無い何かが、確かにここにある、と認めることはできる。

「すまなかったよ」

軽く笑って見せる。

病院でずっと寝ていて、時間はあまりあるくらいにあった。動けないから、何かを考えて過ごすことが多かった。そんな合間に思ったことがある。
自分たちがここにいることは、やはり奇跡なのかもしれないと。
世界は今や、何をするのにも必然性を必要としているのかもしれないが、僕らがここにいることは、本質的に何の必然もなく、蓋然性の低いものだ。
この宇宙が生まれ、そして地球が生まれ、生命が生まれ、受け継がれていく。
ここまででも、天文学的な確率だと言うことは、中学生だって分かる。

だが僕らは、さらに何万世代もの生殖活動の結果、どうやら皆、たまたまこの時間にいるらしい。
そして、出会った。この世界で。

「ただ、ここにいて何が悪いんだろう?」
呟く。
「いいんじゃないかな。あたしはうれしいよ。創馬がいてくれて。いてくれるから」

そして何かを交わす。
好意や、悪意。言葉や感情。思想、たくさんの何か。
人が人である何かが失われていく世界の中で、それでも交わろうとする。

そして僕と『君』が違うということを、また、突きつけられる。

「いいのかな。居ても」
「いいんだよ」

人類が向かおうとしている先が、少しづつ、それでも均一になっていく、違うということを、拒絶した世界、皆、同じだから安心できる世界なのだとして、その世界では一体何か、語れる事があるというのだろうか? 違いは常に意識され、些細な事に目がいくようになる。そして反発して、同じようになることは嫌だと、また言うようになるんだろうか。

そうやって制約と葛藤が連綿と続いていく。でも、僕らは、いつも救われたくて仕方がない。

『安心できる事』を探し、信じ込み、逃げる人もいる。
だが、僕がそれを選択すれば、親と同じ事になるのだ。

「ただ、ここに居てもいいって、認められなきゃ、悲しいよ」
「それが、できないことだったとしても? 誰かの犠牲の上に成り立っていても? それは欺瞞じゃないの?」
「あたしは、難しい理屈はわからない」
そんな風に前置きして、彼女は言った。
「でもあたしは、創馬に居てほしい。ずっと居てほしい」
人は案外、理屈など必要としてないのかもしれない。
「二人でいたい。一緒にご飯をたべたり、お風呂にはいったりしたい」
情に流されて、一時の感情にまかせて、生きていたいのかもしれない。
「それでなんとか生活できて、子供ができて、私たち二人をみて、その子が笑ったら」
だから、もし世界から、すべての意味が、意味をなさなくなっても、
「きっとそれは、幸せだと思う」
それはもしかしたら、幸せなことかもしれない。
「そのために、あたしは、がんばれる」
「……ああ、もしかしたら…………そうなのかもしれない」
昼も下がり始めた病室の窓から、外を見てみる。
憂鬱な空の下にちらほらと雪が降る。
色とりどりの傘達が、窓の下で咲いていた。

〈私〉は、原稿を目の前にしていた。

ここは、公園だった。

五月、緑の多い、公園だった。
手にしていた、小さなノート型パソコンの画面をのぞき込む。
違うんだ。そうじゃない。
本当は、自分が決めることだったのだ。
私は自分が消えたかった訳じゃないはずだ。ただ世界が憎かっただけなんだ。でも世界を滅ぼす事なんてできないから、自分が滅べばいいと思っただけだ。
だが、滅ぼす事は出来なかった。怖かった。
友人に叫んだんだ。つい、かっとして言ってしまった。
『そんなに死にたきゃ、死ねばいいだろ、何をグダグダやってんだよ』
そんな言葉を言うべきではなかった。人一人が、言葉という道具で、与えうる影響力の強さを、理解していなかったんだ、私は。
友人は死んでしまった。彼は私にこう言った。

『おまえに言われても説得力、ねえよ』

喧嘩など、したことがなかったんだ、今まで。
心が優しい奴だった。だが、弱くもあった。

人はみな、弱さを持って居るものだ。その弱さを、〈僕〉と〈私〉は否定したくない。
だが……。
私が当時体たらくな状態だったから、私は、親友一人救えなかった。ならば、変わりたい。人を救いうる人間に、変わりたい。変わるためには、行動と言葉を、変えなければならない。行動、しなければ、ならない、のだった。
ぽつり、と。
雨だれが、私の頬をつく。
「やはり、天気予報は、あてにはならんな」
私は、ノート型パソコンを閉じた。
手にしていた、傘を持って、歩く。
色とりどりの傘達が、周囲に咲いていた。

注:この小説は2003年にXEREさんによって作られた同名の曲「A meleancholy sky and colorful umbrellas」のイメージをカバーしたものです。