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「ひきこもり」の定義を再考する 井口(仮)さん当事者手記 第2回

素材:PhotoAC /  画像作成:ぼそっと池井多

・・・第1回からのつづき

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文・井口(仮)

 

『ひきこもりの定義』

 

ひきこもりの問題が語られる際、

「ひきこもり」の定義に対して、

不満を感じていました。

 

例えば、

ひきこもりの問題についての第一人者である斎藤環さんの定義は、

「(自宅にひきこもって)社会参加をしない状態が6ヶ月以上持続しており、ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」

というものです。

 

また、

厚生労働省は、

「様々な要因の結果として社会的参加(義務教育を含む就学、非常勤職を含む就労、家庭外 での交遊など)を回避し、原則的には6ヵ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態(他者と交わらない形での外出をしていてもよい)を指す現象概念」

と定義しています。

 

この2つの定義には、

当事者の主体性と経済面が表現されていないことが共通しています。

 

僕はそれが不満でした。

 

上の2つの定義にも関わらず、

ひきこもり当事者の多くは完全に自宅に引きこもっているわけではなく、

外出をしている、

という事実が分かったり、

厚生労働省の定義には

「(他者と交わらない形での外出をしていてもよい)」

という文言が加えられているものの、

他者と交わっている場合は定義から外れてしまうという不都合が生じます。

 

自分自身の状況に照らし合わせてみても、

上の2つの定義では自分の状況を表すことができません。

 

そのため僕は、

より現実に即した「ひきこもり」の定義を考えました。

 

僕の考える「ひきこもり」の定義は、

「社会生活に困難を感じており、
切実な問題に取り組んでいるが、
経済のサイクルから外れている状態」

というものです。

 

僕の例で言えば、

「社会生活を困難にしている主な原因である、
視力矯正の不具合(切実な問題)に取り組んでいるが、経済のサイクルから外れている(その取り組みによって収入が得られていない)状態」

ということになります。

 

また、

「初めての求職活動をした際に利用した就労支援機関から不適切な対応を受け、
その経験を伝えようとして葛藤したり行動したり試行錯誤している状態」

も、

「社会生活を困難にさせている主な原因である、
支援機関で不適切な対応を受けたことに取り組んでいるが、
経済のサイクルから外れているため
その取り組みによって収入が得られていない状態」

というように表現できます。

 

「僕以外の例ではどうだろうか?」

と考えてみました。

 

いじめを受けたのが理由で、

学校に行けなくなくなり、

勉強に支障が出て、

それが理由で進学や就職をする上でも不利に働いてしまったような場合、

「社会生活を困難にさせている主な原因であるいじめを受けたことに取り組んでいるが、
経済のサイクルから外れていて、
その取り組みによって収入が得られていない状態」

というように表現できます。

 

その場合、取り組み方は人それぞれだと思いますが、

いじめを受けて嫌な想いをしたことによって、

様々な葛藤をしたり、解決策を試みているかもしれないし、

いじめをした側の人たちへ復讐をしようとしているかもしれません。

その内容についてはここでは問いません。

 

他にひきこもりの例として語られる、

親との葛藤や、

コミュニケーションに対して苦手意識を感じていること、

社会で働く自信がないこと、

身体的な不具合や病気を抱えていること、

など、

社会生活に困難を感じさせている、

様々な状況や状態に、

僕の考える「ひきこもり」の定義は当てはまると思います。

 

そして、

僕の考える「ひきこもり」の定義は、

現状に即しているだけでなく、

もう1つメリットがあります。

 

それは、

ひきこもり当事者のサポートがしやすい、

ということです。

 

よく、

ひきこもり当事者に対して、

何をして良いのか分からない、

という声があります。

 

それに対して就労支援を行うことや、

心理的なケアを行うこと、

などのサポートしかないことへの批判がありますが、

僕の考える「ひきこもり」の定義では、

そのような不都合はあまり生じないと思います。

 

なぜなら、

当事者が取り組んでいる、

切実な問題に取り組むことと、

経済のサイクルに入っていくことをサポートする必要性を、

検討することができるからです。

 

繰り返しになりますが、

僕の例で言えば、

社会生活を困難にさせている主な原因である、視力矯正の不具合(これが「切実な問題」にあたります)に取り組むことと、

視力矯正の不具合の改善に取り組むことで収入を得ていくことにつなげることをサポートすること、

などです。

 

実際には、

サポートステーションなどの厚生労働省から委託されている支援機関や、

自治体の保健所や社会福祉協議会や、

役所の相談窓口などで、

「視力矯正の不具合については協力できない」

と、

サポートを受けることを断わられ続けてきました。

 

このように切実な問題の解決をサポートから切り離してしまい、

たらい回しにする傾向には、

日本人特有の問題があるのかもしれません。

 

しかし、

そのような問題も、

「ひきこもり」の定義を変えれば解決され、

適切な支援を行っていける可能性があります。

 

このように、

より現実に即した「ひきこもり」の定義を考えることによって、

より有意義で、

適切な結果を導くことができます。

 

当事者の人も、

家族などの関係者の人たちも、

支援者や専門家の人たちも、

一度、

僕の考える「ひきこもり」の定義である、

「社会生活に困難を感じており、
切実な問題に取り組んでいるが、
経済のサイクルから外れている状態」

を取り入れて、

困難を抱えている当事者に何ができるのか、

考えてみるというのはいかがでしょうか?

 

きっと、

今までとは違った世界が開けてくると思います。

 

・・・第3回へつづく

 

 

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