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デビュー50周年! 中島みゆきの世界 23歳で「時代」を発表してから半世紀・唯一無二の〈音楽と文学〉が生み出した偉業

 

23歳で「時代」を発表してから半世紀

シンガソングライターの中島みゆきが、デビュー50年を迎えた。
EPレコード「アザミ嬢のララバイ」をリリースしたのは、1975年9月25日のこと。
同年12月21日には「時代」がリリースされた。
「まわるまわるよ 時代は回る 喜び悲しみくり返し」という、印象的なリフレインのある曲だ。
この曲を生み出したのは、若干23歳の時だった。
現代で20代前半~半ばのシンガーソングライターというと、Ado(22)、なとり(24)、imase(25)、Vaundy(25)らがいる。
いずれも傑作を発表しているが、あらためて考えると、中島みゆきの成熟ぶりが際立ってくる。

 

ざっくりと、キャリアを振り返ってみよう。
76年には、研ナオコへの提供曲「あばよ」がオリコン1位を獲得。
77年には自身の「わかれうた」でも1位を獲得した。
以来、『3年B組金八先生』の挿入歌で、「シュプレヒコールの波……」のコーラスが響く「世情」や、「闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう……」と歌う応援歌「ファイト」など、後世に残る名曲を生み出していく。

オリコンランキング1位獲得作品としては、81年に「悪女」(3週連続)、94年に「空と君のあいだに」、2003年に「地上の星」があり、「70年代から2000年代の、西暦の4つの10年代で1位を獲得」という偉業を成し遂げている。

ちなみに、ももいろクローバーZへの提供曲「泣いてもいいんだよ」が2014年に1位を獲得しているため、「作詞作曲者としての1位獲得記録」は、2010年代も含めた「5年代連続」だ。
今の時代に「1位」と言っても、何のことかわからなくなってしまったが、かつて「オリコン1位」といえば、日常的にテレビやラジオを視聴する人なら、誰もが耳にするような大ヒットを意味した。

また、特筆すべきは「糸」(92年初出)のカバーの多さだ。中島みゆきのことを知らなくとも、「糸」は誰もが聴いたことのある有名曲となっている。
ドラマやコマーシャルで使われている曲も多く、中島みゆきの音楽は、長年にわたり世の中を彩ってきた。

一つだけ付け加えると、79年に自身が歌った「ルージュ」も見逃せない。
「ルージュ」は、フェイ・ウォンが92年に中国語(広東語)で発表したことで、アジア全域に波及する社会現象を巻き起こした。
中島みゆき作曲の歌はアジア圏で人気が高い。中国の周辺国のみならず、東南アジアから西はトルコまで、多様なアーティストがカバーしてきた。
特に90年代において、中島みゆきは「アジア圏で最大級の作曲家」だった、と言っても過言ではない。

 

2025年現在の活躍

中島みゆきは、今もなお新作を発表しつづけている、現役のアーティストだ。

アルバムとしては、2023年に『世界が違って見える日』がある。
吉沢亮主演のテレビドラマ『PICU 小児集中治療室』主題歌の、「倶(とも)に」などが収録されている。

 

2024年には、岡田麿里監督のアニメ映画『アリスとテレスのまぼろし工場』の主題歌「心音」があった。


www.youtube.com

制作は、『呪術廻戦』や『チェンソーマン』を手掛けた「MAPPA」によるもの。
これまでの中島みゆきのイメージを更新するような、ハイクオリティなアニメーションのMVとなっている。

 

今年、2025年には、工藤静香への提供曲「海燕(かいえん)」が発表された。


 

工藤静香には、作詞のみの提供を含めて、過去24作もの提供曲がある。
「慟哭(どうこく)」、「黄砂に吹かれて」、「FU-JI-TSU」などに連なる、名コンビの新作だ。

今年の冬には、中島みゆき自身の新曲のリリースも予定している。
キャリア45枚目となるアルバムの発表も、そう遠くないだろう。

 

文学者としての中島みゆき

「作家」としての活躍もある。
今年の4月には、谷川俊太郎との対談や関連する作品を集めた『終わりなき対話 やさしさを教えてほしい』(朝日出版社)が出版されている。

谷川俊太郎は、2024年に92歳でこの世を去った詩人で、中島みゆきは、デビューする前から強い影響を受けていた。
本書は「作家」同士の対談を載せるとともに、両者の作品を交互に載せることで、新たな味わいを創出している。

「時代」や「糸」で知られるとおり、中島みゆきは、優れた歌詞=詩の書き手として評価が高い。
2022年に出た「にほんの詩集」(角川春樹事務所)のシリーズの創発には、『中島みゆき詩集』が含まれている。
『谷川俊太郎詩集』・『長田弘詩集』とともに出版されたもので、アーティストとしては別格の扱いだ。

にほんの詩集 中島みゆき詩集

 

歌詞集ではなく詩集としても、2020年に『四十行のひとりごと』(道友社)を発表している。
過去には小説や絵本を出版したこともあり、「作家」としての活躍も見逃せない。
(個人的には、どうかキャリアを振り返る自伝を出してほしい、と思っているが。)

歌詞を集めた『中島みゆき全歌集』が継続的に出版されていたり、作品が現代詩のアンソロジーに収録されたりと、一人の「詩人」として支持を集めている。

 

音楽家が文学者として評価される、ということに、ピンとこない人がいるかもしれない。
だが、2016年にボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したように、近年はアーティストが「作家」として評価を受けるケースが増えている。
もともと、「文学」は音楽的な口承や朗読によって伝わるものだった。
西洋には吟遊詩人の歌や道化師の風刺詩の伝統があり、日本にも、琵琶法師の語りや能楽の台本が、「古典文学」として残っている。
「文学」と「音楽」は、歴史の上ではセットだった時代が長い。

1990年代以降は、ヒップホップのラッパーたちが、世界の「詩」のあり方を変えた。
2パック、ジェイ・Z、エミネムなど、韻を踏んだ長文の歌詞を「詩」ととらえるなら、現代は史上もっとも「詩」が人口に膾炙(かいしゃ)した時代だ、とも言える。
ラッパーのケンドリック・ラマーは、2018年にピューリッツァー賞の音楽部門を受賞した。
ピューリッツァー賞は「アメリカでもっとも権威のある賞」と言われており、音楽部門は、主にクラシック作品に授与されてきた。
多弁なラップアルバムが受賞するのは史上初のことで、音楽における言葉の力が、文化的な評価を獲得した証左と言えるだろう。

ピュッリッツァー賞受賞作『DAMN.(ダム)』

音楽家に対する受容の変化は、20世紀に「文学」の定義が広がったことも影響している。
20世紀初頭からはじまった、ジェイムズ・ジョイスやフランスの作家たちの試みをはじめとして、現代文学は、「なんでもあり」の様相を呈している。
かつての王道の「文学」といえば、人生と向き合う青年が、哲学的な言葉遣いで苦悶するものが多かった。
それが今では、テレビのトーク番組、買い物のためのメモの切れ端、SNSのやりとりまで、ありとあらゆる「言葉」が取り入れられている。
さらには音声や動画など、「文学」は特定の文章表現にとどまらないものとなった。
ボブ・ディランへのノーベル文学賞は、「文学」の定義拡大を代表して贈られた、という面もあったのではないだろうか。
そして、もしも日本語の音楽家=文学者の代表を選ぶなら、個人的には筆頭が中島みゆきだ、と思う。

 

中島みゆきは「暗い」のか?

中島みゆきには、「暗い」イメージがまとわりついている。
アルバム『生きていてもいいですか』(80年)収録の「うらみ・ます」や、『私の子どもになりなさい』(98年)収録の「命の別名」などは、たしかに暗い。
タイトルからして、すでに暗い。
重厚なイメージが、ファンを離さない魅力になっているが、それが同時に、気軽に聞けないようなハードルの高さも生み出している。
とはいえ、1975年デビューのアーティストとしては、必然的な「暗さ」だった、と言えるのではないか。
デビューする直前の時期、日本の音楽業界を席巻していたのは、現代よりもはるかに「暗い」曲だった。
今でも比較的知られているのは、藤圭子の「夢は夜ひらく」(70年)や、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」(74年)あたりだろうか。

それが、10年もすると劇的に「明るい」曲が増えた。
80年代前半には、ランキングの上位をピンクレディー、キャンディーズ、松田聖子といったアイドルの曲が占め、マイケルジャクソンの『スリラー』(82年)や映画『フラッシュダンス』のサウンドトラック(83年)など、洋楽のアルバムが大ヒットを飛ばした。
バブル期を前に盛り上がっていく日本社会が、急速に「明るい」流行歌の時代にシフトしていった。
他の音楽がコントラストを生み出したことで、実際以上に中島みゆきの音楽が「暗い」イメージに傾いた、ということもあるのではないだろうか。
付け加えると、72年にデビューしたユーミンをはじめ、女性のアーティストが好対照に「明るい」イメージを発していたため、中島みゆきの「暗さ」が余計に目立った、という影響もある。

 

公平にながめるなら、フォークソング的・歌謡曲的な「暗い」音楽は、中島みゆきのキャリアのうち、ごく一部分だけにすぎない。
80年代前半には、比較的軽快な曲調の「悪女」や「横恋慕」(最高位2位)がヒットしている。
アルバムの代表作と言える『寒水魚』は、82年の年間アルバムセールスで第1位を記録。
現代からすると、本作の収録曲が特に「明るい」とは言えないかもしれないが、同時代のシンガーソングライターに限れば、寺尾聡の「ルビーの指輪」(81年)や井上陽水の「いっそセレナーデ」(84年)といったヒット作があり、きわだって暗いことはなかった。

中島みゆきは、80年代にロックへの傾倒が起きている。
エレキギターやドラムを用いたバンド編成は、90年代の「浅い眠り」や「空と君のあいだに」といった結実を経て、2000年代以降も、「地上の星」や「宙船(そらふね)」を生み出していく。
98年の「愛情物語」のエコーの激しさ、2006年の「とろ」のすっとんきょうさ、2015年の「Why&No」のシャウトなどは、フォークソング的・歌謡曲的な発想からは生まれえないものだ。
あらためて聴いていくと、作風の幅広さに驚かされる。

 

最後に(余談)

「デビュー50周年で現役」、というのはすごいことだ。
そしてもっとすごいのは、「デビュー50周年で現役なのに、特別なことを何もしない」ことだと思う。
オフィシャルサイトやファンクラブの会報でも、50周年について全然ふれていない。
ユーミンが50周年の時には、記念のベストアルバムの発売があり、加藤登紀子が50周年の時には、記念コンサートが開かれていた。(そして現在の加藤登紀子は、なんと60周年記念のコンサートを開いている。)
なにげに中島みゆきと同じ月(75年9月)のソロデビューで、同時期に50周年を迎えた矢沢永吉も、全国ツアーの計画を発表している。
商業的な企画はいくらでもできるはずだが、中島みゆきにはまったくない。
所属先がヤマハだから、ということもあるのだろうか。非常に禁欲的だ。
妙なところに感心するようだが、アニバーサリーイヤーに一喜一憂しないところにも、時流に流されない強靭(きょうじん)さを感じる。
稀有なアーティストだ、とあらためて思う。

 

 


 参照
『中島みゆき オフィシャル・データブック 2020年改訂版』 ヤマハ 2020年

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喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。