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ひきこもり界隈が戦場と化さないために:台湾の映像作家 盧德昕との対話 第5回

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文・盧德昕 & ぼそっと池井多

 

 

<プロフィール>

盧德昕(ル・テシン):台湾出身。現在、南カリフォルニア建築協会で修士として勉強するかたわら、ロサンゼルスで映画制作に関わる。日本のひきこもりを題材とした映画作品Last Choice/もがきを製作中。その他、創作活動は出版、著述、映画、空間デザイン、イベント企画、美術展など多岐にわたる。
盧德昕ホームページhttps://lutehsing.com/

ぼそっと池井多 :日本出身。ひきこもり。当事者の生の声を自分たちの手で社会へ発信する「VOSOT ぼそっとプロジェクト」主宰。三十年余りのひきこもり人生をふりかえる「ひきこもり放浪記」連載中。

 

 …「第4回」からのつづき

  

ひきこもりと症状

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盧德昕 私にとってのひきこもりの定義は、
より「症状」に近いものです。

ひきこもりは、うつ病や強迫性障害や恐怖症といっしょに起こります。

ふつうの人々とひきこもりの間のもっとも大きな違いは、この症状が働いているか働いていないかで査定される、ということです。

たとえば、あなたは自分の部屋にひきこもっていても、働くことはできる。あなたは主に部屋の中にいるが、ときどき出かけ、夜には運動にも出かけるフリーランサーだと考えることもできる。しかし、もっと基本的なことは、あなたはそうはできない、もしくは社会の中に入っていくことに抵抗をおぼえる、ということです。

だからあなたは職場では働いていない。
社会は、あなたは生産的でない、というかもしれない。

こういう定義は、ひきこもりにあてはまると思いますか。

私の理解には、もっとよい説明があると思いますか。

 

Last Choice(2018) Opening Scene Cut A from 盧德昕 on Vimeo.

 

ひきこもりと精神医療

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ぼそっと池井多 あなたの定義案は、ひきこもりの理解に前進をもたらすものだと思います。

しかし、「ひきこもり」とは、病気の診断名ではなく、状態像の呼び方です。

「ひきこもり」と症状を強く結びつけてしまうと、「ひきこもり」が診断名だと誤解する一般人が増えてしまうことでしょう。

じつは、これはずっと前からひきこもり界隈に存在する問題の一つです。

「ひきこもり」を診断名と見なすのが危険である理由は、もし診断名ならば、それは病気だから、「ひきこもり」は精神医療で解決するものだ、と安易に考えられていくからです。

じっさい過去に、ひきこもりの状態にあった子が、「解決」を望む親によって精神病院へ強制的に入院させられるといった悲劇が何件も過去に起こりました。それは、ひきこもり当事者の観点からすれば、人権侵害以外の何ものでもありません。

確かに、現実的には日本のひきこもりの、少なからぬ部分が精神医療を受けています。しかし、「すべての」ひきこもりではない。そこが重要です。

また、ひきこもりでない人たちも、精神医療を受けています。ということは、ひきこもりと精神医療の消費者はまったくイコールではない。ひきこもりは、精神科の患者の真部分集合でもない。

たとえば、ひきこもりのかなりの部分が貧困層ですが、
「ひきこもりは貧しい」
と一般化することはできません。一部に富裕なひきこもりもいるからです。それと同じように、傾向と同一視は注意して分けなければなりません。

もし私たちが「ひきこもりは症状が伴う」と定義すると、一人の人間がひきこもりかどうかを決定するのは精神科医ということになります。ここにも、新たな危険があります。
私のように、精神医療からさんざんひどい目にあってきた人間から言わせてもらえば、精神科医にそのような強大な権力を与えてしまうことは危険です。

私は、自分の主治医を見てきていますから、精神医学の傲慢さをよく知っています。

精神分析は、社会通念とは異なったものの見方をするので、その論拠には、一般人の目に見える証拠を提示しなくてよいことが多いです。そのことを利用して、精神科医の中には、社会通念的な根拠もなしに多くのことを直観的に断言し、政治的な発言までやってのけてしまう者もあります。一部の精神科医は、現代のシャーマンのようになってしまっているのです。

だから、私は精神医学に、医学の枠外で大きな力を与えることを警戒します。そのため、私たちの議論が最初に戻ってしまうとあなたは思うかもしれませんが、さっき申し上げたように、私は、

ひきこもりであると自認している者がひきこもりだ」

と考えています。

これは一種の同語反復であって、定義としては使えないかもしれませんが、私はあえてこの考え方を採用しています。

あなたのように考えるならば、私は自分をひきこもりと呼ぶ必要はないかもしれない。私はときどき部屋から出て、夜には運動にも行きます。私は無職かもしれないが、ひきこもりではないかもしれない。

さらに私はメディアに記事も書いています。このことからも、私はひきこもりでないかもしれない。しかし私は、いまの自分はひきこもりであるとのアイデンティティを選びます。

いま、ひきこもりは社会的に弱い立場に置かれています。
ひきこもりは差別され、軽蔑され、見下されています。
だから私はあえてその立場を取ります。
私はひきこもりです。

こういう思考経路は、母に虐待されつづけた私の成育歴から来ているものかもしれません。

 

 

 

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盧德昕「公衆浴場」

「ニセひき問題」という不毛な宗教論争

盧德昕 わかりました。では、あなたはひきこもりの定義は人によって異なると思うのですね。

ぼそっと池井多 そうですね。ひきこもりに関して、共通の定義をつくるのはとても難しいです。ひきこもりの定義をめぐる議論は、私たちひきこもり界隈で、もう十何年も潜在的に続いています。いったん表面化したら、まるで宗教論争のようになっています。

みんな、それが厄介な話題であると知っている。だから、私たちもみな、安易にはこの問題に立ち入らない。もし誰かがひきこもりの定義の問題を語り始めたら、必ずやその延長線上で、
「お前はひきこもりじゃない」
「彼はニセひきこもりだ」
といった話になるに決まっています。

私たちのあいだでは
「ニセひき問題」
と呼んでいます。

それは、このうえなく非生産的で、混乱をもたらします。それに火がついてしまうと、私たちのひきこもり界隈は戦場と化するでしょう。だから私たちは「ひきこもりの定義問題」は厄介な問題として、あまりお互い立ち入らないのです。

盧德昕 そうですね、ある人はひきこもりの資格があるかどうか
という競争になってしまいますものね。


ぼそっと池井多 そうです。そこで出てきてしまうものは、競争であり、差別です。

「あいつは部屋から週2回出てくる。オレは週1回しか出てこれない。
だから、オレの方がひきこもりだ」

といったバカバカしい比較が横行するようになるでしょう。

さきほどあなたは、いつの日かひきこもりが社会から差別されない日が来るかと問いかけていました。

ひきこもり同士の内部で差別が始まったら、元も子もありません。

 

人は誰しも至適な人生を歩む

盧德昕 もしあなたがひきこもり当事者として他のひきこもりたちに語るとしたら、あなたの考えや理念を届けるためになにか簡単な言葉はありますか。

ぼそっと池井多 簡単かどうかはわかりませんが、こういうことをお伝えしたいです。

人は誰しも、意識的に、あるいは無意識的に、どのように生きるかを
たくさんの選択肢の中から採用しているものだと思います。

言葉を変えれば、みんな知ってか知らずか、その人に与えられた条件をすべて汲んで、そのうえで至適 (optimal) な人生を歩んでいるのではないでしょうか。

さきほど私は、自分は信念をもってひきこもりになったのではない、
と申しました。ひきこもりになろうとしたわけではない、と。

それは、ひきこもりになるという意識的な決定をしたわけではないけれども、私の無意識が、私の意識よりも私のことを知っていて、私を現在ある私に導いてくれ、その結果にいま私はとりあえず満足している、と言い換えることができます。

さらに、ひきこもりが社会で不当に扱われているのを知って、なおさら私は自分はひきこもりであるとのアイデンティティを進んで取るようになっています。

こうしたことは、「選ぶ」という一つの動詞に押しこめて表現するのには無理があります。

「私はひきこもりとなることを選んだのか」。

そういう聞かれるなら、答えはイエスでありノーです。
そして、それは矛盾していないのです。

だから、もしあなたが今日ひきこもりであるなら、おそらくあなたにとってのおすすめは、この世界の中でひきこもりであることが今のあなたにとって最良の道であることを認めることでしょう。

私自身をふくめて私たちは、ひきこもりであることを採用している自分にもっと自信を持つ必要があります。

たとえあなたがいつの日がひきこもりを脱したいと考えていても、
まずはそうした自信を持つことが出発点なのではないでしょうか。

 

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映画「Last Choice / もがき」予告編B

Last Choice (2018) Trailer Cut B from 盧德昕 on Vimeo.