文・ドミトロH.
超訳・編集 ぼそっと池井多
逃避行の始まり
前回、第1章で書いたように、僕がひきこもっていたウクライナのヘルソン市は2022年3月2日にロシア軍によって占領されてしまった。
市民たちはロシア軍によって徴発され人間の盾にされる、との噂が流れた。だから僕たち家族は何とかしてヘルソン市を脱出し、まだロシアに占領されていない自由ウクライナの領内へ避難することに決めた。
さまざまな事情を計算して、出発は4月20日の朝6:15と決めた。でも、出発に先立っていろいろ準備しなくてはいけないことがあり、これがかなりのストレスだった。
出発の3日前、4月17日の夜に、
「逃避行の途中で泊まるところが手配できないから決行は延期する」
と父は僕に言った。
ところが翌18日になると、言ってることがコロリと変わり、
「計画通り、20日に出発しなければならない。お前のコンピュータ関係は前日の18:00までに梱包して車へ詰めておけ。早く。グズグズしてる時間はない」
と僕を急き立てた。
だから19日に、僕はまる一日かけてあちこちのコンピュータに入っていた重要なデータをすべてバックアップした。でも、18:00に終えるのは無理だった。
さらに悪いことに、車のトランクはたくさんの重くてかさばった、そして役に立たないモノであふれかえっていて、僕のコンピュータ関係のものが詰めこめるスペースなんて残されていなかった。
それでも何とか21:00までにはコンピュータを分解し、車に詰めこめるようにはした。けれど、僕のパソコンが車にうまく入らないというので父はえらく機嫌が悪くなった。しまいには後部座席へパソコンを放り投げ、
「これはお前が後ろに座って、膝でかかえてろ」
と言った。
このあと後部と前部の座席には、食料を詰めた大きなバッグを3~4個、さらに大きな水のボトルが数本運びこまれるだろうと僕はわかっていた。トランクにはもうそれらを入れるスペースはないが、父はどうしてもそれらを詰めこもうとするだろう。
また、寝坊で知られる母と妹が時間通りに起きず、出発が遅れて父が怒りだすことも予想された。そして、すでに予定より遅れているときに、パソコンを含むすべてのものを助手席に詰めこもうとすれば、父はもうカンカンに怒り出すのにちがいない。
このように僕は限界まで追い込まれた。もう頭の中が壊れそうだった。でも、なんとか怒りを抑えて、物に当たって壊したりしないようにした。落ち着いて、家族が僕に与えた唯一の解決策を消化しようとしたんだ。
パソコンという生命線を死守するために
2020年に初めてこのPCを組み立ててからというもの、僕は初めて愛用のゲーミングセットアップを解体し、CPU(*1)、GPU(*2)、RAMチップ(*3)などを取り外す必要に迫られたわけだ。この時の僕の気持ちを表現する言葉が見つからない。絶望を抱きながらも、僕はほんの少しだけポジティブなことも見いだすことができた。それは、もしまた僕たちがこの街に戻ってこれたら、CPUにもっと良いサーマルペースト(*4)を塗ることができるということだった。また、これまでCPUとGPUに塗られていたサーマルペーストは、とっても上手に塗られていたことにも気づいた。結局、CPUと冷却器なしのGPU、NVMe SSD(*5)、追加SSDは、別の古いPCから取り外して持っていくことにした。
それから僕は、新しいハルヒPC(*6)と古いノゾミPC(*7)を、爆弾やロケット弾の攻撃、火災、略奪者による盗難という3つの災いから守るために、賢い計画を立てた。
そうさ。すべてをゴミ袋に入れ、四角っぽくならないように丸く膨らませ、戦争が始まったころに隠れていた地下室に運び入れ、同じように粘着テープで口を閉じた本物のゴミの入った袋といっしょに置いておく、という計画さ。これこそが一石三鳥の解決策だったのだ。
ゴミ袋には2つの機能があった。一つは中身のコンピュータを外から見えなくして略奪者から守ること。もう一つは地下室の湿気から守ることだ。
*1. CPU コンピュータの部品。中央演算処理装置。コンピュータ全体を制御している頭脳にあたる。このあたりは自作パソコンを組み立てる人たちのオタク的な話が続いている。
*2. GPU コンピュータの部品。グラフィック・ボード。画像や映像などに特化して制御・出力するところ。
*3. RAMチップ コンピュータの部品。メモリ、メモリチップ、半導体メモリなどともいう。集積回路(ICチップ)の種類の一つで、内部にデータを保持するための微細な素子を敷き詰めたもの。
*4. サーマルペースト(thermal paste)コンピュータの中の部品の間の熱の伝導を向上させ、中で発生する余分な熱を排出するために使用されるペースト状の液体。
*5. NVMe SSD (Non-Volatile Memory Express Solid State Drive) 高性能で高速データ処理が可能なドライブの一種。
*6. ハルヒPC 日本などでPCの部品やeスポーツ周辺機器を提供する会社ハルヒ電冷の部品を多用したコンピュータか。原作者は愛用のコンピュータには女性の名前をつけて可愛がっているので、創作上のキャラクターである涼宮ハルヒに引っ掛けてある可能性もある。
*7. ノゾミPC ノゾミ・ネットワークスが提供するサイバーセキュリティ製品で機械やプラントなどを制御しているコンピュータか。ノゾミも日本の女性の名前だからコンピュータにつけられた可能性が大きい。
もし略奪者がやってくるとしたら、たぶん防犯カメラの録画を止めるためにまず電源を切る可能性がある。あるいは戦闘状態が続いていて、街全体が停電しているかもしれない。となると、地下室に侵入してきて、まず重い扉を開けて、真っ暗闇の中を懐中電灯だけを頼りに、ゴミの臭いの中で何かを漁ることだろう。そのとき彼らは言うかもしれない。
「くっせえなあ! 地下室にゴミを置いたままにしていくバカがいるかよ! 頼むぜ、まったく」
最初のゴミ袋に本物のゴミが入っていれば、それで彼らは根負けして、それ以上モノを物色するのはやめて地下室から撤退するだろう。……
僕はこんなしょうもないことに一晩中頭をつかっていた。なぜって、車のなかには僕のかわいいパソコンちゃんを詰めこむだけのスペースは残してくれないだろうと考えていたからである。その夜は2時間ぐらいしか寝られなかった。時間が足りなくて、古いパソコンを完全に隠すこともできなかった。そこで、翌日に作業は延ばすことにした。
こうして出発の朝6:00までに、僕はやらなくちゃならない全ての梱包をやり終えることができなかった。予想通りというべきか、母と妹も約束の時間に起きてこなかった。だから父はマジでキレ始めた。そこで僕も、しまいにはもう深いことは考えずに片っ端から手についた物を車に放りこんでいった。地下室のゴミ袋が腐臭を放って近所に臭いだし、家のなかに誰もいなくなっていると気づかれないように、ゴミ袋は出入り口からいちばん遠いところに置いてきた。
こうして僕たち家族の車は、取るものもとりあえずアタフタと出発したんだ。
街を出る道路は交通渋滞
車のなかは最悪だった。
左側に水筒、真ん中にバックパック、右側に他のバッグで、僕の足は押しつぶされていた。前の席に座らされたおばあちゃんはかわいそうに足の下にかさばる食品袋を置かれたため、自分で車を降りることすらできなくなった。
出発したらしたで、予想外の混乱が次々とやってきた。
前日には
「街を出ていく車がどんどん減っている」
「ロシア軍は検問所を8か所から4か所に減らしたらしい」
といった情報が入っていた。だから僕たちはもっと快適な車の旅ができると思っていたのだが、ところがどっこい、そうは問屋が卸さなかった。
街を出る幹線道路の渋滞は2車線にわたり15kmにおよんでいた。僕はこんなに多くの車を見たことはなかった。僕たちの小さな街の、いったいどこにこれだけたくさんの車が隠されていたのだろう!
街の出口から最初の検問所まで約4kmだったが、そこまで8時間かかった。歩いた方がよっぽど速い。ときには2-3時間も、まったく車が動かないこともあった。人々は車から降りて、おしゃべりをしたり、茂みの中で小便をしたりしていた。でも、あとから考えたら、茂みの中には地雷が埋まっている危険があったのだ。
ロシア軍の検問所
ついに僕たちがロシア軍の最初の検問所(*8)にたどりついたとき、僕たちはもう完全に疲れ果てていて、この逃避行をやめて家に帰ろうかと考えていた。
じっさい多くの人たちが車の方向を転じて街へ帰り始めていた。彼らはまだ渋滞の車列に並んでいる僕たちの前に停まって、「ロシア軍が検問所でわれわれを通さないから帰る」と言っていた。なぜ通さないかというと「戦闘行為」「挑発行動の恐れ」が理由なのだそうだ。
*8. 検問所の写真は軍事上の理由から公開されていないようである。しかし私たちが「検問所はたぶんこんな感じなんだろう」と想像できるような写真を、AFP通信が配信している。ヘルソン州ではなくクリミアで撮られたロシア軍の写真である。著作権の関係から写真をこの記事に貼りつけることはできないが、関心ある方はリンク先をたどっていただきたい。
https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/9/a/810wm/img_9a15a1da1b4b6f62394dbd6c5b7abcca196639.jpg
もし僕たちも避難をあきらめて家へ帰るとしたら、僕が必死の思いで解体したパソコン作業はいったい何だったのか、と気の遠くなる思いがした。
すると突然、どこからともなく2人の神父が道路に現われ、検問所のほうへ歩いていき、やがて戻ってくると、渋滞の列にいる車すべてに「祝福」を与えた。
父と祖母は神父たちに訊いた。
「ロシア軍は私たちを通しますかね」
すると、神父たちは、
「ああ、通す、通す.…… おお、神のご加護を...」
などとうなずいていた。
なんだかよくわかんない答えだったが、それがなんとなく人々に希望を与えていた。
一方では、検問所から引き返してきた別のドライバーが父に話しかけていた。
「ダメだ。3番目の検問所までは何とか通れるけど、4番目はぜったい通してくれない」
それを聞いて、父はこの計画をあきらめ、もう家に帰ろうと、Uターンするため渋滞の車列を離れて車の向きを換え始めた。
僕たちが列を離れたので、そこにスペースが空いた。しかし、後ろの車は、ちょうど車の中で食事か何かをしているところだったらしく、すぐにそこへ詰めてこようとしなかった。もし、このとき後ろの車がスペースを詰めていたら、僕たちはもう二度と車列に戻れなかっただろう。
父が街へ引き返そうとしているのを見て、母と妹が激しく抗議し始めた。
「ちょっとパパ、何やってんのよ! せっかく並んでいるのに、どうして出ちゃうの。列に戻りなさいよ」
「そうだよ。少なくとも最初の検問所まで行ってみて、ロシア兵に自分たちで訊いて、その先が行けるかどうか確かめるべきだよ」
面白いことに、母と妹はこれまで8、9時間に及ぶ渋滞のあいだ、いちばん痺れを切らして文句を言っていた人たちで、わずか1時間前には父に、
「もうあきらめて家に帰ろうよ」
とさかんに言っていたばかりであった。それで彼女たちは車の中に留まっていられなくて、しょっちゅう外に出て道端の店でスナックやドリンクを買ったりしていたのだ。そんな母と妹が、今では渋滞に並び続けることを唱えて父に抗議している。
最初の検問所まであと50メートルと迫っていた。時間にしてあと20分か30分といったところだろう。
父は車をバックさせ、元の車列に戻った。幸運なことに、後ろの車はまだ食事中で、相変わらずスペースが空いていたのだ。
やがて第1検問所がやってきた。
僕たちを検問した最初の兵士はいい奴だった。彼は銃も持たず、ヘルメットや防弾ベストも身につけていなかった。そして、僕たちの荷物をチェックすることもなかった。たぶん彼は兵士ですらないのだろう。
言葉の訛りから、彼は東の方にある「共和国」からやってきた人だと思われた。
「共和国」って何かって? それじゃあ、ウクライナ情勢をよく知らない読者の方のために、ここでちょっと説明しておこう。
いまさら聞けないウクライナ情勢
僕たちの国では、2014年に「尊厳の革命」という武力衝突が起こり、中央政権から親ロシア派の大統領が追放された。
そのかわり国土の東のほうに住んでいるロシア系住民がドネツィク(*9)、ルハーンシク(*10)でウクライナからの分離独立を宣言し、それぞれの共和国をつくった。これが今、僕が語っている「共和国」さ。
独立といっても、これらの「共和国」の背後にロシアがいることは見え見えだ。またこのときにロシアはウクライナの一部だったクリミア(*11)を併合した。
*9. ドネツィク(Донецька/Donetsk)ロシア語読みでは「ドネツク」。日本のメディアはロシア語読みを採用している所が多い。
*10. ルハーンシク(Луганськ/Luhansk)ロシア語読みでは「ルガンスク」。一方、日本のメディアでは「ルハンスク」「ルハーンスク」などと、ウクライナ語でもロシア語でもない謎の読み方が採用されている。
*11. クリミア(Крим/Крым/Crimea)クリミアはウクライナ国内の一つの自治共和国にすぎなかったが、2014年尊厳の革命でウクライナの中央政府から親ロシア派の大統領が追放されたことに対してクリミア領内の親ロシア派が反発、クリミアはウクライナから離脱してロシアに併合されることを宣言した。それ以降、実質的にロシア領となっている。
*12. ロシアがウクライナ侵攻を始めた直接のきっかけは、ロシアが最も嫌がっているウクライナのNATO加盟に、ウクライナ政府が大きく舵を切ったからだと考えられている。本記事の末尾の「参考資料 NATOとロシア」参照のこと。
そして2021年2月21日、ロシアはこれら2つの「共和国」を主権国家として承認した。ということは「ここはもうウクライナの領土じゃない」と公に言ったのと同じで、ようするにロシアへ実質的に併合したことになる。
その3日後、ロシアはロシア系住民の保護などを理由にいっせいにウクライナに攻めこんできて(*12)、このウクライナ戦争が始まったというわけさ。
そういう東の方の「共和国」からやってきたらしいこの若者が僕たちの車を検問しているあいだ、隣の列では完全武装の恐ろしい外見のロシア兵があちらの車を検問していた。
僕や妹にとっては、これが人生で初めて実際に見るロシア兵やロシア軍の戦車の姿だった。なぜって、戦争が始まってからこのかた、父や母が戦火のなかを食料や日用品を求めて街を走り回っているあいだも、僕たちはずっと家のなかに隠れていて、ロシア軍をこの目で見ることがなかったからだ。父や母は市内のあちこちでロシア軍と遭遇していたらしいけどね。
最初の検問所を突破する
検問した「共和国」の若者は、僕たち全員のパスポートをチェックするとこう言った。
「あのね、4番目の検問所でちょっとややこしいことになってて、そこであなたたちはたぶん追い返されちゃうと思うんですよ。でもまあ、あなたたちが試すだけ試したいと思ってるなら、行ってもいいんだけどね」
いいだろう。ここまで来たんだ、今さら引き返す気はないさ。
この検問所を過ぎたところで、道の上にひっくり返っている焼けた車の残骸があった。それはちょうど中世において人々を戒めるために犯罪者の骸骨が公の場でさらし者になっていたように、
「無理をして通過しようとするとこうなるぞ」
という見せしめとして、わざと片づけないで道の上に放置されているように見えた。
進んでいくと、このような車の骸骨はさらにいくつも道の脇にさらし者になっていた。
たしかに、市民の車がロシア軍によって砲撃され焼かれたというニュースを、僕たちも事前に聞いていた。そういう僕たちが実際にこういう車の骸骨を見てどのように思ったか、読者のみなさんは想像できるだろうか。……そう、「次は自分たちかもしれない」と思うものなのさ。
さて、僕たちは2番目の検問所にやってきた。断念して帰った車が多いので、ここまで来ると渋滞はいくぶん少なくなっていた。検問所に並んでいたのは、せいせい10台から12台くらいだった。
ソ連時代に開発されたAK47突撃銃を抱えたヒゲもじゃの兵士たちが歩き回り、子どものいる車を優先的に通過させていた。やがて彼らは僕たちの車にやってきて、父のパスポートだけをチェックし、手元の書類に何かを書きこむと、驚いたことにこう言った。
「よし。これで4番目の検問所は通れるよ。問題なし!」
へえ、そうなの? 僕たちはいささか疑念を抱いたままだったが、少し安心して第2検問所を後にした。
しばらく行くと第3検問所がやってきた。ここでは、僕たち全員のパスポートが調べられた。そして、ここの検問兵はこう言ったのだった。
「ダメだ! あんたたちが4番目の検問所を通れるなんてことはありえない。あきらめなよ。もうすぐ復活祭が近づいてくるから、それに乗じてウクライナ軍による何か挑発的な軍事行動があるかもしれないんで、一般人が通るのは危ないよ。われわれはあんたらの安全のために言ってるんだよ。だから、ここから戻りなさい」
しかし、彼はまたこうも言ったのだった。
「まあ、あんたたちが無駄にしてもかまわないだけのガソリンがたんまりあるなら、第4検問所まで行くだけ行ってみればいい。おれは別にかまわんさ。ここは通してやるよ」
これまで渋滞の道中でずっと僕たちのそばにいた別の車は、この兵士からそんな風に言われてすっかり行く気をなくし、ここから街へ戻っていった。
でも、僕たちは「なるようになるさ」と考え、そのまま進むことにしたんだ。
もう一つの危険が迫っていた。
夜8時から朝6時までは夜間外出禁止令が出ていたのだった。その時間に市民が屋外にいると、敵と見なされて砲撃、射殺されても文句がいえない。
すでにこの時点で夕方5時になっていた。もし逃避行をあきらめて引き戻すなら、外出禁止の時間帯になる前に家に帰りつかなくてはならない。すると今が限界だった。
このまま前進して、第4検問所が通れなくて引き返した場合、制限時間までに家に帰りつかないだろうから、するとこのへんを動き回っているロシア軍の戦車の砲撃の餌食になるだろう。さっき途中でいくつも見てきた、焼けた車の骸骨を思い出した。
難関が迫る
これまで3つの検問所のあいだの距離に比べて、第4検問所ははるか遠くにあった。
ここまで来ると道はハイウェイではなく、舗装などされていない、あちこち陥没している田舎道だったから、そこをアップダウンしながら砂ぼこりを巻き上げて進んでいかなくてはならない。これではスピードを上げるわけにもいかない。
第4検問所に近づくと、検問所から引き返してくる車ががぜん多くなった。みんな追い返されてきたのだった。街へ戻っていくドライバーのうち何人かから話を聴くことができた。
あるドライバーはこう語った。
「拒まれたけど、3回仕切り直してトライした。でも、しまいにはロシア兵の奴らが車のタイヤに発砲してきたから、さすがにあきらめて帰ることにしたよ」
第4検問所まであと500メートルというところには、道端に2つの標識が立てられていた。
「ここから引き返せ」
「スニフリウカ方面 地雷あり」
スニフリウカは、このあたりではロシア軍によって占領されていた最も大きな町で、僕たちが自由ウクライナへ抜けるためには避けて通れない交通の要衝だった。
…第3章へつづく
この章の英語版(原文)へ
参考資料 NATOとロシア
英語版ですが、動画で見られるのでわかりやすいです。
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訳者らくがき
第1回につづいて、あえて自動翻訳ではない人間翻訳として「超訳」させていただいている。私による人間翻訳は、自動翻訳とちがって逐語的には完璧ではないが、日本語を母語とする読者に自然に受け入れられるように工夫しているつもりである。
今回の中でいうと、逃避行の準備としてパソコンの解体の話が延々と出てくるが、このくだりは原作者がもともとインターネット上で知り合ったスペイン人のオタク友達に書いた手紙が下地になっており、私自身をふくめパソコンを自作する趣味を持たない者には理解できない専門的な話であるので、大幅に割愛させていただいた。
反対に、ウクライナ戦争の背景にあたる叙述は、一般的な意味からも重要であり、それがないと作者の逃避行のストーリーを正しく理解できないと思われたので少し加筆した。
続編第3回はいま急ピッチで翻訳を進めており、来週に配信の予定である。
ぼそっと池井多
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