ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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「なぜひきこもったのか」”弱さ”で孤独になり、”弱さ”でつながる

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きっかけは『2週間の休み』

外に出なくなったきっかけを挙げるのは割と簡単だ。

希望通りの企業から内定を貰い、就活を終え、教授に「就活も終わったし2週間くらい休みます」と言って家で休んでいたら、大学に行けなくなってしまった。これがきっかけだ。

 

え?と思う方もいるかもしれない。ひきこもるきっかけは何かとても辛い出来事のようなもの、そう想像する方のほうが多いのではと私は思う。いわゆる普通のこんなことがなぜきっかけになったのか?

しかし事実として、私のひきこもりの始まりは紛れもなくこの『2週間の休み』なのだ。

 

友人が居ても孤独

ではなぜ『2週間の休み』で済まず、ひきこもり状態が維持されたのか。ここに『ひきこもった理由』があるはずだ。
それを語る前に少しだけ、大学時代の経験についてお話させてほしい。

 

大学に入学してからひきこもり状態に至るまでの私の生活は、というより私の内面は、全くもって苦しいものだった。

その間の多くの期間で私は『孤独』だった、友人がいたにも関わらず。自分の考えを率直に語ることが『友人』相手でもなかなか出来なかった。自分の語ったことを否定・嘲笑される怖さが厳然とあった。だから友人関係を作るまでは時間を要したし、友人となった後も『この人ならこの話はいける』と思えなければ踏み込めなかった。

 

この性質は、大学時代から急に出来たものではない。
幼少期に孤独な時間を過ごした経験から、昔から自分の世界にこもりがちで、他人の目線を常に気にしていた。高校まではクラスや部活によってある程度強制的に距離を縮められたから、そこまで問題でなかったように感じる。勉強ができたことは、人間関係を作るうえで有利だった。

 

しかし大学になるとその状況がガラッと変わる。毎日登校する必要はなく、自分が目立って勉強できるわけでもない。知り合いがいない大学に行ったため、人間関係をイチから構築する必要もあった。そんな状況に直面した時、『自意識過剰』がまた顔を出し始めた。そして先に述べた『孤独』の状態に至ったのだ。

恐怖ゆえに主張せず、自分の弱さはほとんど表に出さない。その弱さは過剰な自意識によって増幅される。増幅した弱さは自分に「お前はダメだ」と言い続ける。そうして、どんどん自分をなくしていった。

 

こんなに疲れることは、もう、いい

話を、ひきこもったきっかけの『2週間の休み』の頃に戻そう。
就活が終わったあと、こう思ったのを覚えている。

『俺の人生、〇〇歳でこうなって、・・・、こうやって死ぬのかな。』

就職が、今後の人生を考えさせる。出てきたそれは何だか面白くなさそうで、退屈な将来が約束されたように見えた。

今考えてみれば当然だ、『自分がない』から他人の目線で物事を考える、そこから出てくる将来に面白さなんてあるわけがない。

 

そんな漠然とした空虚さと疲れから「2週間休みます」と言い、そして脳は気づかずとも心が「こんなに疲れることは、もう、いい」と言い、疲れる空間である外に出ることを拒否した。これが理由なんじゃないかと今は考えている。

もちろんひきこもった理由は1つに絞れるものではなく、これも仮説の1つに過ぎない。しかし、大学入学からの一連の流れが大きな影響を与えたのは間違いないと思っている。

 

なぜ6年も

しかし、6年というのは長い。短期間で、自分や他人の力で何とかして、外に出られなかったのか?


私には無理だった。

自分の弱さを意識することで苦痛が生まれるのは怖い。家にいれば誰とも接触せずに済むから怖くない、だから家にいた。たとえばスーパーのような、苦痛の生まれない場所には行けたが、自分を出さなければいけない場所にはほぼ行けなかった。

 

時間の経過は自分をさらに追い詰めた。ひきこもっているうちに、自分の力はどんどん衰えていく。そんな自分を同期や後輩たちに見せることは最も大きな恐怖の1つだった。だから大学には絶対に行けず、行けないことで自分を落伍者と感じ、『自分は終わった』と思い、自責の念をさらに大きくした。

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しばらく経った頃には、自責の念が膨れ上がり、その苦痛は耐えがたいものになっていた。毎日現実逃避をしていないとどうにかなりそうだった。逃避行動は主にネット、布団をかぶること。この真っ暗な画像は、当時よく見ていた布団の中の光景を再現したものだ。

そして逃避行動が終われば、自責と焦りがより強くなる。また『終わった』と思う。もう、何か『建設的なこと』をしようなんて考えられない。そうやってひきこもりはより強固になるという悪循環。

この間に大学院は中退したが、もはやそれもどうでもよく、ただ苦痛をどう凌ぐかということだけ考えていた。

 

どうやって『外』へ

そんな負のスパイラルにはまっていた私だが、ひきこもり期間の最後の1年の12月に「ひきこもりの人が集まるイベント」があるという記事をネットで読んだ。

そんなものがあると初めて知り、記事を書いた人にすぐメールを送った。そこに「藁にもすがる思い」と記したが、これは当時の心境をよく表していると思う。

 

当日、そのイベントでX君と出会った。彼とはよく話が合い、まじめな話も結構ディープなゲームの話もした。しかし、自分のひきこもり状態にちょっとした(だけど偉大な)変化をもたらしたのは、むしろその後の時間。

 

イベントの参加者たちと入ったファミレスで、今まで決して出来なかった『お互い弱いよね』という話をX君としたこと。これはとても良い時間になった。

 

何を話したか、全部はよく覚えていない。
お金ない、将来暗い、そんなことは話したと思う。
出会いなんてないね、と話したことは間違いない(笑)。
珍しく、来年どうする?という話もした。『終わった』と思っていた自分が。

 

こうやって彼とはお互いの弱さについて語り合い、色々なことについて「お互い」「弱いとこあるよね」「そうだよね」となった。

 

・・・多分、これだ。
「お互い」「弱いとこあるよね」「そうだよね」

 

この言葉が、『自分と同じ弱さを持ってる人が確かに、この世界にちゃんと存在している』というつながりの感覚を、きっと芽生えさせたのだろう。

この『弱さでつながっている感覚』が、自分に『みんな同じ弱さを持ってるし、自分だけがそこまで怖がったり責めたりしなくてもいいよね?』という見方を加えたんじゃないか。

それが私の苦しみを軽減し、『外』に出るきっかけになったのだと思う。

 

『つながりの感覚』を確かに

『外』に出た後も、なかなかキツかった。そして現在進行形でちょっとキツい。
のっけからこんなことを書いてしまったが、私がこういう体験をしたのは事実だ。

でも、そんなものだと思う。外に出たからといって、ひきこもっていた時の苦しみや、それを与えていた源が消えてなくなるわけではないから。

だから『外』に出た後も、苦しみと付き合っていくことに自然となるのだろう。

 

しかし、ツラいだけなのかというとそうではない。例えばひきこもりの人が集まる場所で話をしてみると、『弱さでつながっている感覚』を感じられることがあった。その数を増やすとつながりの感覚が確かになり、次第に社会ともつながっているようにも感じられた。それは苦しみを持ちつつも明日を生きたいと思う力になった。

 

今もつながりの感覚を求めて、色々なところに顔を出している。おかげで助けてくれる人も随分増えた。こうやって、私は『孤独』から脱していくのだと思う。

 

(著者:Longrow /30代男性)