文・昼行灯
編集・ぼそっと池井多
私と父
私と父との関係は最悪である。
大学を卒業してから20年近くひきこもっている私を、父は腹立たしくて仕方がないと見え、何かにつけて私に説教する。
私も好きでひきこもっているわけではないことなど、思いを馳せようともしない。私の人権など、まるで考えない。
それでいて父は人権活動家なのである。
父は、私たちが住む地方都市から東京の早稲田大学の一文へ進んだ、いわば地方の秀才である。
大学を卒業してから名だたる新聞社を初め出版社などを就職先として受けまくったようだが、どこも空振りに終わり、故郷へ帰ってきて社会科の教師になった。そしてその傍ら、被差別部落の人たちの人権を守る活動に従事した。私たちの地方では、今も部落出身者への根強い差別があるのだ。
父は、部落出身でないにも関わらず、両親の反対を押し切って、自ら「部落」に家を建て、長年「部落の人」と関わり続けてきた。同和問題に対する父の姿勢は、一貫してブレない。教師を定年で退職してからも、ずっと部落問題には関わりつづけている。その点に関しては、父は言行一致で誠実な人間なのである。そこはさすがの私も尊敬せざるをえない。
しかし、父は「部落の人」には適用して考える「人権」という概念を、ひきこもりで苦しんでいる自分の息子には適用しようとしない。
そこに私たち父子関係の大きな溝がある。
おそらく父にしてみれば「部落の人」は生まれながらにして不平等を背負わされているが、私のような「ひきこもり」は生まれながらの不平等ではなく、今からでも働こうと思えば働けるのに働かないのだから単なる怠け者であって、だから同じように人権を認めてやる対象ではない、ということなのだろう。
けれども、ひきこもりを単なる怠け者と割り切れない点と、
「働こうと思えば働けるのに働かない」
という部分に関して、ひきこもり当事者がどれだけ苦悩しているのかが、父という部外者には伝わらないのだ。
だからこそ私は、この苦悩の部分をできるだけ一般の人にわかるように言葉にしていかなくてはならないと思っている。
男性ひきこもりならではの生きづらさ
私が住んでいる地方都市は非常に旧弊的である。
私のように、いわゆる社会から見て「働いていない」中年男が昼間から外を歩いていると、
「いい年をした、大の男がぶらぶらしている」
と軽蔑を含んだ冷ややかな目で見られる。
それは屈辱的だが、冷ややかな目で見られているうちはまだいい。
「いつ犯罪を犯すかわからない危ない者」という目で見られることもある。
もし私が女性のひきこもりだったなら、このような田舎では人々の視線はもう少し柔らかであることだろう。少なくとも女性ならば、人々の連想は「ひきこもりであることは犯罪者予備軍である」と直結しないと思われる。
最近、女性のひきこもりの生きづらさばかりが社会で語られるようになり、男性のひきこもりは生きづらさが訴えづらくなった。また男性ひきこもりへの理解を訴えると、
「性別で差別するのか」
などと見当違いな批判を叫ぶ者も出てくる。
しかし、ひきこもり当事者が男女差別的な視点を持っていなくても、一般の人々のなかに「男はこうあるべき」といった観念があると、結果として私のような男性ひきこもりは男性であることで生きづらいひきこもり生活にならざるをえないのである。
そのことで男性ひきこもりが「女性に理解がない」などと責められなければならないのだろうか。
女性ひきこもりばかりがメディアで取り上げられるようになってきた背景には、最近の調査で女性の方がひきこもりが多いという結果が出てきたことがあるのだろう。しかし、「多い」といっても数パーセントの違いでしかなく、依然として男性ひきこもりは総数の約半分を占めているはずである。けっしてなおざりにしてよい割合ではない。
けれども、男性の生きづらさを表現することさえ、昨今の風潮ではしづらくなってきた。その意味で、男性のひきこもりは二重の生きづらさを抱えるようになってきたのである。
ひきこもったこと自体を、私は後悔していない。
ひきこもった当時の状況を思い返すと、あれは男性であるがゆえに背負った負担の重さに押しつぶされていくプロセスだった。
それでも私は、私なりに全力で社会に参加しようとした。そう思い返すと、結局こうなることが私なりに当然の帰結だったと思えてくるのである。
それでも、最近一つだけ後悔していることがある。
それは、司法試験を受験しなかったことだ。
大学は法学部だったが、学生時代は全く法律に興味がわかず、余った時間はアルバイトをしたりしていた。
しかし最近、がぜん法律に関心を持つようになった。
そのきっかけとなった事件を語らせていただく。
平穏な喫茶店に突入してきた警官たち
関係が悪いなどと言いながらも、私もどうやら父の性格を受け継いでいる。すぐ感情的になって、キレやすいところ。社会問題に関心を持つところ。いずれも父にそっくりだ。
いくらひきこもりであっても、私は社会問題に関心を持ち社会とのつながりは保ち続けたい。だから毎朝、喫茶店に通いコーヒーを飲みながら、つぶさに新聞に目を通す。
そんなある日、私がいつものように喫茶店で新聞に目を通していたところ、12人もの警官たちがドヤドヤと店に入ってきた。いったい何事かと思ったら、この警官たちはそのまま私を取り囲んだのである。
私は呆気にとられたが、どうやらこういう事情のようであった。
その前日、私は街を歩いていて、ある男が交通ルールを無視して突っ走っていくところに遭遇した。
危ないし、交通ルールを守っていなかったので、
「危ないだろ! 気をつけろ!」
と怒鳴りつけてやった。
すると、その男は車両を降り私に近寄ってきて、
「お前、オレを誰だと思ってるんだ。オレがひと言声をかければ、お前なんかたちまち警察に逮捕させることだってできるんだぞ」
とすごんできた。
私は、たしょう感情的に相手を怒鳴りつけたということはあったが、自分が言っていることに何も間違いはないので、
「ああ、いいだろう。逮捕できるものなら逮捕してみろ。毎朝、駅前の喫茶店でコーヒーを飲んでいるから、そこへ来るがいい」
と言ってやった。
思うに、その男はきっと私の街の警察の有力者の家族か親戚だったのだろう。そして、その家族や親戚である警察の有力者に、私との一件に関してあることないことを語ったにちがいない。
そのため、揃いもそろって12名もの警察官が、私がコーヒーを飲んでいる翌朝の喫茶店に突入してきたというわけだった。
12人という警察官が動員されるのは、刃物や拳銃を持った凶悪犯が立てこもった時ぐらいではないだろうか。たとえひきこもりであっても、私のような無実で非暴力的な一般市民が静かに朝のコーヒーを飲んでいるところへ送りこむのに、果たして必要な人数なのだろうか。
だから警察は暇人だと言われてしまうのだ。
警察官たちは私に、
「逮捕するぞ、お前」
と詰め寄った。
逮捕というのは、いくら警察官であっても、逮捕するだけの事由がなければできないことのはずだ。自分が逮捕されるに値する罪は何も犯していない以上、私が恐れることは何もなかった。
そこで私は、
「逮捕するなら、どうぞ逮捕してください」
と開き直った。
そこでおそらく困ったのは彼らだった。
逮捕する理由はない。脅迫は効かない。しかし通行人も見ている。今さら引くに引けない。
そこで、とりあえず彼らは私を連行することにしたようだ。
私は喫茶店からパトカーに乗せられ、この街の警察署に連行されていった。
私は署内で指紋をとられ、顔写真も撮られた。
一人の無実な市民としての尊厳などまったくなかった。
しかし逮捕はされず、前歴もつかなかった。
当たり前である。
いかに縁故で人を脅迫するまではやっても、逮捕は司法的な手続きであり、警察がそこまでやったらえらいことになるからだ。
やがて父が呼ばれ、署に私を迎えに来て、このトラブルは終結した。
私が住むような小さな地方都市では、街を歩けば、親戚かもしくは遠い親戚がすぐ見つかるものである。そういう親戚は警察や市役所に勤めていたりもする。こういう地方の小都市の事情があのような事件が起こる根底にあった。
自らの被害から冤罪事件に関心を寄せる
この事件をきっかけに、私は「警察組織とはどんな所なのだろう」と関心を抱き、図書館に通って古い文献を読みあさるようになった。
ひきこもりには社会問題への関心をインターネットの知識から得る人が多いようだが、私の場合はこのように自分の身に起こった実体験から出ているのである。
調べてみると、警察組織の裏にはさまざまな闇の事実があると知ると同時に、そこから数多くの冤罪事件が発生し、無実を訴えている被告人たちは何十年にもわたって無実を訴えているということを知った。
冤罪を着せられた被疑者が取調べの最中に警察官から、たとえ物理的な暴力をふるわれなくても、虚偽の「自白」をしてしまう心理が私にはありありと理解できた。
いきなり朝の喫茶店から正当な理由もなく警察署に連行された私は、かろうじて自らの潔白を主張し続けたが、無防備な心の状態であのような取調室に連れこまれ、刑事たちに人権侵害の一歩手前のような過酷な取調べを受ければ、状況につられてそのような虚偽の「自白」をしてしまっても、まったく不思議ではなかったのである。
それは、体験しないとなかなかわからないことかもしれない。
冤罪の記録を読むにつけ、長期にわたって身柄を拘留されている被告人の孤独と絶望感が、私自身のひきこもり人生と重なってきた。
ふつうの日常を送っている方々は、冤罪事件などはおよそ自分には縁のないものと思っていることだろう。
しかし、男性であれば満員電車でふと痴漢に間違われてしまう。あるいは、交通事故が起こり、自分には落ち度がないのに、実証見分をしてもらえず、責任を転嫁されてしまい、いつのまにかこちらが起こした事故ということになってしまう。……そんなふうに、冤罪事件というものは私たちの日常と隣り合わせにあるものなのである。
私は、そのような本や記事を読むだけでは物足らなくてなり、自ら記事を書いてメディアに投稿することにした。
手始めに大手新聞社に投稿した。しかし大手新聞社は、全く私の投稿を相手にしなかった。そこでマイナーな左翼系の雑誌に書き送ったところ、編集者の方が直接電話をかけてきてくれて、こちらは採用された。
私は、次第に投稿だけでは物足りなくなってきた。「冤罪で苦しんでいる被告人を助けたい」という想いが湧き起ってきたのである。
それには、刑事弁護に携わる弁護士になるのがよい。しかし、それは長期間にわたってひきこもっている私には、夢物語でしかない。大学で法律学を学んでから、かなり月日も経っている。20年近くひきこもっているあいだに、頭の吸収力もそれなりに落ちている気がする。
若いころ思い抱いていた夢や希望にやぶれ、今はひきこもっている自分。
私が思ったのは、そのときである。
「自分はひきこもったことは後悔していないが、若い頃に司法試験を受けておかなかったことは悔やまれる」
と。
男性ひきこもりへの偏見
先日、袴田事件の再審開始決定がなされた。
袴田事件は、他の冤罪事件と違って、被告人とされている袴田巌さんは完全なる無実である。袴田巌さんは元プロボクサーであり、減量に耐えるほどの頑丈な体と精神的なタフさを備えていた。
その袴田巌さんでさえ、1日12時間以上の取調べがおこなわれると、自白に追い込まれてしまった。きっと最後は意識朦朧とした状態で、自白調書に署名捺印してしまったのだろう。
いかにそのときの警察の取調べが、非人道的なことであったかが想像できる。
袴田巌さんは、死刑の恐怖から来る拘禁反応で、精神的に不安定になり、日常会話が成り立たない人になってしまった。弟の巌さんを50年以上支え続けてきた姉の袴田秀子さんは、もう90歳というご高齢である。
私は、袴田事件の再審開始決定に関する投稿を様々なメディア媒体に投稿した。
二重投稿は禁止されているので、文面を変えて投稿したのだが、大手新聞社は相変わらず一顧だにしてくれない。ふだん私が投稿している左翼系雑誌でさえ、袴田事件ほどの大きな冤罪事件になると、私のような一介の無名の素人が論じるべきではないという方針でもあるのか、いっこうに取り上げてくれなかった。結局は、もっと超マイナーな左翼系雑誌にだけ採用された。
日頃、ひきこもっていて何事にも無気力だった私が、このように懸命に物事に取り組んだのは、中学受験以来30年ぶりではなかっただろうか。このときに身に染みて、法曹の資格がないという無力を感じさせられた。
警察が私に対してあのような扱いをした背景には、
「どうせひきこもりは街で喧嘩沙汰を起こす犯罪者予備軍である」
という偏見があるのだと思う。
たしかに、私は20年近くひきこもっている、中高年の男性ひきこもりである。
だが、ただそれだけだ。
交通ルールを守らなかった者を注意した。
だが、ただそれだけだ。
しかし私の街の警察は、そんな私に罪を「自白」させ、逮捕し、犯罪者として立件しようとした。
無職の中高年の男性ひきこもりは、社会が勝手に作り上げたイメージによってそうした冤罪の犠牲者になり得ることを、読者のみなさんにはわかっていただきたいものである。
(了)