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ワケあり女子のワケのワケ⑤ 学校教育への怒り〜「ゆとり教育」と、見せかけの平等

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実家の門を背にして。この狭い道が世界への唯一の接点。(撮影・ワケあり女子)

こんにちは!ワケあり女子です。ついにここまできた・・・!たぶん次ひきこもります、次。なんで嬉しくなってるんだろう。ひきこもりの報告がこんなに嬉しいのは初めてです笑

ところで私はシェアハウスに住んでるんですが、近頃はお風呂争奪戦に負けっぱなしで生活リズムが乱れまくってます。誰か必勝法を教えてください。。。泣

それでは「ワケあり女子のワケのワケ」、今週もどうぞお楽しみください!

 

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中学でも相変わらず学年1位の成績を維持していた私は、
学年中の生徒どころか保護者にまで名前が知れ渡っていた。
母が授業参観に行くと、どこからともなく他の保護者が話しかけてきて
「◯◯ちゃんのこと知らない人はいないよ」と言われたという。
私だけでなく母まで有名人になっていたのだ。
教師たちの間でも度々話題に上がっていたらしい。
学年が上がるにつれて、
私がどこそこ高校を受験するなどといった根も葉もない噂話が広まるようになっていた。

目立つことを避けたかった私にはどれも苦痛だったが、
私の意志に反して周囲が練り上げる「わたし」像は、
もはや自分ではどうにもコントロールできないレベルにまで膨れ上がっていた。
狭いコミュニティでのひそひそ話がずっと息苦しかった。
 

押しつけと決めつけ

高校受験を控える頃には授業が受験モードになり、
ひたすらプリントを配られて演習問題を解く時間が続いた。
そのプリントは私には易しすぎ、またある同級生には難しすぎた。
一度その同級生に勉強を教えたことがあるが、彼女は高校受験どころかもっとずっと手前、
分数や小数など小学生レベルの問題でつまずいていた。
私は彼女がこんなにも放置されていたことに怒りを覚えた。

習熟度がまちまちの生徒に対して、同じ問題を解かせ形式的な解説をするだけの画一的な授業。
まさかこれが「平等」だと教師たちは本気で信じているのだろうか。
中間層への実習支援を手厚くして学力テストの平均点を底上げしているだけではないのか。
(ちなみに福井県は全国学力テストで長年上位をキープしている)
本当に手厚くすべきは彼女のような下位層の生徒であるはずなのに、
なぜ誰も彼女が分数でつまずいていることに気づかないのか。

私は教師の指示に従わず、50分間ペンも持たず机の前で微動だにしない日々を過ごすようになった。
チャイムが鳴ったら、白紙のままのプリントを掴んでびりびりに破いてゴミ箱に捨てるのだ。
この暗黙の支配に対する抗議のつもりだった。

するとある日数学の教師が私の前に歩み寄り、しんとした教室でおもむろに私を諭しはじめた。
「◯◯さん、藤島高校に行きたいと思ってるんなら、
今みたいな態度ではすぐ他の人に追いつかれますよ」

この人はいったい何を言っているんだろうと思った。
藤島高校というのは福井県で最も偏差値の高い高校のことだけれど、
私はまだ自分の進路を担任はおろか親にも伝えていない。
本当はもっとレベルの高い県外の進学校に行きたかったけれど、
我が家の経済状況を鑑みて諦めようとしていたところだった。
藤島高校は私にとって最後の選択肢だった。

そもそも偏差値に関係なく、
例えば農業を志して農業高校を選ぶといった進路選択の自由があっていいはずだ。
それなのにこの人は偏差値だけで私が藤島高校に行きたがっていると決めつけていて、
そしてそれを成し遂げるためには自分の言う通りにしなければならないと
皆の前で暗に私に指図している。

猛烈に腹が立った。悔しかった。
言いようのない怒りを覚えた。
私が勉強するのは藤島高校に行くためなどではない。
もっと高い目標のためだ。世界を理解するためだ。
私を勝手に解釈するなと大声で叫びたかった。

でも私はこぶしを握りしめ唇を噛んで下を向いて黙っていた。
自分が周囲に正しく理解されることを諦めた瞬間だった。
その姿はおそらく誰の目にも反省しているように映っただろう。
教師は満足そうな顔で教壇へ戻っていった。

「ゆとり教育」と旧課程の狭間で

昭和62年生まれの私たちはいわゆる「ゆとり教育」の第一世代で、
1学年上の先輩からよく「総合の時間って何するの?」と聞かれた。
ゆとり教育の正式な開始は私たちが中学3年の時だったが、
その前の年から移行期間は始まっていた。

当時の現場の混乱をよく覚えている。
教師は一様に「君たちがかわいそうだ」と言っていた。
「国が新課程の教科書作成に間に合わなかった」らしい。
本来なら中2で新しい教科書を使うはずだった私たちは、
1年間旧課程の教科書で無理やりゆとり教育を受けざるを得なかったのだ。

授業の始めに教師から奇妙な指示を受ける。
教科書の指定された箇所を開いて、ページ全体や記述の一部にバツ印をつけていくのである。
「君たちは新課程だからこの部分は習わない」のだそうだ。
理科であれば「酸化」などの単元が丸ごと削除された。
しかしそうして虫食い的に文章を削除していくと、前後の記述や全体との整合性がつかないようで、
教師たちは本当に困った顔をしながら授業をしていた。

そしてその削除した部分の内容はテストの答案には書くなと言われた。
新課程である私たちはその単元の内容を知らないことになっているから、
例え正解であっても採点不可、つまり0点になるというのだ。
たったいまバツをつけた酸化も還元もあと10分も読めば普通に理解できそうに思えたけれど、
むしろ理解してはいけないということらしい。
それでいてマスコミは私たちの学力が低下するとかしたとか騒いだ。
勝手すぎるんじゃないかと思った。

翌年、中学3年生になってようやく新課程の教科書が配られた。
それまでとは一新した薄く手に取りやすいオールカラーの冊子で、
「勉強は難しい」というモノクロの旧課程から
「世界は可能性に満ちて楽しい」という雰囲気に変わっていた。

それが非常に魅力的なコンセプトであることは充分理解できたけれど、
世間の批判をさんざん聞かされた上で新旧の教科書を比較すると、
やはりどうしてもその薄さを頼りなく感じて、
素直にそのコンセプトを受け入れることができなかった。
旧課程の教科書を知らない1学年下の後輩をうらやましく思った。

そしてある結論に至った。
今まで私が「真実」と思っていた教科書の内容など、時の権力の意向で容易に書き換え可能なのだ。

ちょうどその頃アメリカで同時多発テロ事件が起こった。
今まで皆が信じていたものが崩れる瞬間を目撃した気がした。

(つづく)
(著・ワケあり女子)