こんにちは!ワケあり女子です。
すみません、佳境すぎて書くのがとっても苦しかったです…!というか、最も記憶があやしい時期でした。18歳の私、一体何していたんだろう。
書かなさすぎてはてなブログから「そろそろ次の記事を投稿してみませんか?」とメールが来ました。編集さんより怖いです。
そんなワケで、「ワケあり女子のワケのワケ」、第一弾はつぎで最後…かな?!
(これから記述するひきこもり期、おもに15歳から18歳頃までの出来事については、
本人の記憶が曖昧なため、時系列など一部正確でない可能性があります。)
どこまでも続く闇
何をしても真っ暗だ。
目を開けても閉じても変わらない。
どこへ行っても何を思っても、その闇からは逃れられない。
それは「絶望」という名の、心の底から湧き上がる闇だった。
なぜ私は生まれてきたのか。
なぜ私は生きているのか。
なぜ私はまだ死んでいないのか。
なぜ私は、特に生きたいという意志もないのに、
腹が空いたら目の前のスナックを食べ、
「もっと身体によい物を食べなければ健康に悪い」などとつい考えてしまうのか。
「特に生きたいという意志もない」などとうそぶいておきながら、
実は何よりも生に執着しているのではないのか。
ではそこまでしてすがりついた生で、一体何をしたいのか。
何かを成すことをとことん拒絶し、ひきこもっているのは他ならぬ己自身ではないかーー。
それは絶望の禅問答、絶望のマインドフルネスだった。
答えの出ない袋小路で、傷つきながら自問自答を繰り返す日々だった。
私は18歳を迎えていた。
他者が怖い
田舎の古い民家である実家には、大小の虫が昼夜を問わず現れた。
クモやムカデ・カメムシ・ダンゴムシなどである。
その度に私は恐怖で発狂しそうになった。
自分以外の生命が同じ空間にいることが、怖くて耐えられなかったのである。
私は泣きながらそれらの虫たちを殺した。
ムカデなど大きすぎて直接手を下せないものは、プラスチックのゴミ箱を逆さにして被せ、数日かけて餓死させた。
閉じ込められた空間で苦しみながら死んでいく虫たちにひきこもりの自分の姿を重ねた。
あまりに辛いので見ないふりをした。
けれど虫たちの苦しむ音は夜通し聞こえて眠れなかった。
ひきこもりの若者が犯した殺人事件をニュースで見るたびに、他人事とは思えない自分がいた。
私だって、他者への恐怖が絶頂の時に突然宅配便の人がやってきたら、自分が何をしてしまうかわからない、と思った。
人の気配を極端に避けるのは、人を傷つけないためでもあった。
わずかな光
けれどそんな私を落ち着かせてくれたのもまた自然の力だった。
私の部屋は南側と西側の壁にそれぞれ大きな窓があり、日当たりと風通しがとてもいい。
子どもの頃はよく窓を開けて、日光をたくさん浴びながら勉強したり本を読んだりするのが好きだった。
家の外は山に囲まれているので、窓を開けなくても風の音や鳥の声がうっすら聞こえる。
窓を開けるとダイレクトに自然とつながっている感じがした。
木々のざわめきや虫たちの声は、地球の呼吸を聞いているようだった。
自分よりも大きな生命エネルギーに囲まれているという実感が、かろうじて私の正気を保った。
ずっと閉めっぱなしだった窓を少しずつ開けられるようになっていた。
(つづく・次回最終回)
(著・ワケあり女子)