こんにちは!ワケあり女子です。暑すぎて日傘買いました。
この暑さ、まじで命に関わるのでみなさま念入りに対策してくださいね。記念すべき?連載10回目なので、また予言しようと思います!
私のひきこもり第一弾は18歳の終わりまで続きます。
今やっと16歳が終わりました。
わーい!あと2年も残ってますね!何してたんだろ私。。
という謎を解き明かすのがこの連載ですね。
なのでもうしばらく続きます。飽きずに読んでいただけたら幸せです…!それでは「ワケあり女子のワケのワケ」、今週もお楽しみください!
(これから記述するひきこもり期、おもに15歳から18歳頃までの出来事については、
本人の記憶が曖昧なため、時系列など一部正確でない可能性があります。)
もう一度登校する
高1の夏からひきこもって数ヶ月が経ち、2学期も終わりに差し掛かる頃、
高校側から特別措置?の話をされた。
2学期をほぼまるまる休んでいた私は、このままだと出席日数が足りず2年生に進級できない。
でも今から毎日登校すればギリギリ間に合うから、3学期からは相談室へ毎日登校し、
そこで補習を受けたり課題を提出したりすることでなんとか単位を取りましょう-。
そんなような話だった。
相談室とはいえ、今さらまた学校に行くなんてものすごく抵抗があった。
そもそも「相談室」なんて行ったこともないし、どんな場所かも、どんな人がいるかも知らない。
かと言って高校を留年するのも、それはそれで恐ろしい選択肢に思えた。
どちらかを選べと(暗に)言われた私は、おそるおそる相談室登校を選んだ。
一度行けなくなった場所に再度通うには、一生分とも思える気合いと覚悟と勇気が必要だった。
自分を奮い立たせるために、制服のスカート丈を短くしたり、
靴とカバンをかわいいものに買い直したりした。
アクセサリーもたくさんつけた。
自分の身体にピアス穴を開けない代わりに、
(そうしようかとも思ったが、そうすると自傷行為がエスカレートする気がしたのだ)
カバンにたくさん穴を開けてピアスやピンバッジをいくつも刺していった。
オルタナティブな場所
クラスメイトに会わないように登校時間をわざとずらし、
心臓が止まるほどドキドキしながら訪れた相談室は、
思っていたより居心地がよかった。
体調が悪い時に行く「保健室」とは別で、
誰でもいつでも気軽に訪れてよい場所として校内に存在し、
常駐の教師1-2名と、数名の教師が入れ替わりで顔を出していた。
私と同じように教室に通えなくなった生徒や、
通ってはいるが少ししんどそうな生徒が時折休みに来て、
ソファーでくつろいだり先生と雑談したりしていた。
私も本やマンガやCDを持ち込んだ。
私が本棚に置いていったマンガを、
誰かが面白がって借りていったと先生から聞いたりするのが嬉しかった。
人気だったのはすえのぶけいこの『ライフ』というマンガで、
女子中高生のイジメの構造をリアルに描いた話題作だった。
先生たちともいろいろな話をした。
本やマンガの話もしたし、進路などのもう少し深い話もした。
海外の大学への進学も考えたが、家計も厳しいし、
まずは日本人としてのアイデンティティを深めたいから日本の大学に進学するつもりでいること。
ずっと学校が嫌いだったこと。
その他、私が今考えていること。
「君は面白い」とその先生は言ってくれた。
「その感性じゃ確かに他のクラスメイトと話が合わないかもしれない」というようなことも。
それからその先生も自分の話をしてくれた。
歌人の俵万智さんと高校の演劇部で一緒だったこと(藤島高校は俵万智さんの母校でもある)、
大学での学び、などなど。
私に教科を教えに来てくれた数学や化学の女性教師たちも、人生いろいろだと言っていた。
彼女たちの年代になると、結婚や離婚など生き方は多様になると盛り上がった。
初めて大人と対等に話せた気がした。
一対一で補習を受けて、理解の早さを褒められたりしたことで、
学習の遅れで失っていた自信を少しだけ取り戻したりもした。
そこのコーヒーメーカーで初めて自分で淹れたコーヒーを思い出す。
コーヒー好きな先生が道具を揃えていて、ミルで豆を挽くところから教えてもらったのだ。
それまでインスタントコーヒーしか見たことのなかった私には、
その手間ひまの一つ一つが心地よい驚きだった。
私が淹れたコーヒーを、先生たちと私と、いつもソファーに寝そべっていた男子生徒と一緒に飲んだ。
その男子生徒にいつの間にか恋をしたりもしていた。
また、通えない
しかしそんな日々も長くは続かなかった。
ある日家の台所で何かの拍子に母と鉢合わせしたのだ。
なぜそんな時間に私が台所へ行ったのか記憶が定かでないが、
おそらく部屋へ運ぶための食事を取りに行ったのだと思う。
母の言葉の詳細はもう思い出せないが、
とにかく私や私の将来を決めつけてかかる言葉を延々と繰り返していた。
それは一向に止まる気配がなく、これ以上聞き続けたら頭がおかしくなりそうだったので、
私は夕飯と一緒に用意されていた湯呑みの中の緑茶を母の身体にぱしゃりとかけた。
(緑茶がぬるくなっていることはわかっていた)
ずっと恐怖を植えつけられて抵抗できないでいた母への、生まれて初めての、震えながらの反抗だった。
何かが伝わればいいと思っていた。
しかし母はその瞬間に逆上し、顔を真っ赤にして私の首根っこをつかみ、
壁に私を押し付けて顔を平手で殴った。
恐怖で固まった頭と身体で、もうこの人には何を言ってもムダなんだと悟った。
私は部屋に閉じこもり、泣いた。
後日この件を聞きつけた相談室の先生から、母を擁護するようなメールが届いた。
これも詳細は記憶にないが、
「お母さんもついカッとなって手が出てしまったんだと思います」というような内容だった。
ショックだった。
その「ついカッとなって」に私がこれまでどれほど苦しめられたと思っているんだろう。
私の味方をしてくれる大人はやっぱりいないんだ-。
これを境に、私は次第に相談室にも通えなくなった。
出席日数は規定に届かず、見事留年することになった。
好きだった男子生徒は無事クラスに戻ってうまくやっているようで、それもまた辛かった。
「また高校1年生をやり直さねばならない」。
そんな焦りと無力感とともに私は4月を迎えた。
(つづく)
(著・ワケあり女子)