(文・湊 うさみん)
Aさんはミュージシャンを目指し、バンドをやっていました。インディーズでそこそこ売れたものの、そこそこ止まり。プロとして生計を立てるまでには至りませんでした。
その後、音楽をやめてフォトグラファーになりました。あらかじめ音楽が失敗に終わったときにセーフティネットを用意していたそうです。
努力は人一倍していた自信がある
昔、私は小説家を目指して投稿を続けていました。小説家になりたかったというよりは、なりたい職業が何もなくて、消去法で小説家を選んだ感じです。
ショートショートや短編も書いていたから、書いた作品数は100を余裕で超えます。
人生を頑張らない人間がひきこもりになると思われがちですが、この時の私はものすごく頑張っていました。8時間バイトをして、帰ってきたら小説を書くというサイクル。これだけ頑張っているのだからプロになれるだろうと確信していました。
20代の後半に差し掛かったとき、そろそろ就職しないとまずいという危機感が募ってきました。バイトをやめ、就職活動をしながらも小説を書く日々。どこかに内定をもらっても小説は書き続けるつもりでした。
しかし、就職活動は100社近く落とされて精神的におかしくなり、小説も「これが落選したら自殺しよう」という作品は三次選考で落ちました。
夢をあきらめるというより、書けなくなった
そして自殺未遂。
私は冒頭のAさんのようにセーフティーネットを用意してなかったので、無職ひきこもりになるしかありませんでした。
世の中では「夢を追うことはすばらしい」「夢追い人はカッコイイ」といったイメージになっています。
J-POPでも「夢は必ずかなう」「夢をあきらめないで」などと歌われています。
しかし、夢をつかめなかった人間はすばらしくもカッコよくもないひきこもりになりました。
私のように、夢が叶わずにひきこもった人は一定数いるんじゃないかと思います。
「あきらめなければ夢は終わらない」「ひきこもりながら小説書けばいいんじゃない?」と思う方もいるでしょう。
しかし、もう書けないのです。
多くのひきこもりたちをむしばむ学習性無力感
失敗を繰り返した結果、「何をやっても無駄」な状態に陥ることを「学習性無力感」と言うそうです。
私にも学習能力はありますから。その学習性無力感になってしまったようです。
小説を書いていてもどうせまたダメなんだろうなぁという思考が頭から離れません。それでも無理やり指を動かして小説を書き進めても、「これって本当に面白いの?」と疑問がわいてきます。
そんな状態で書き進めたのが「ひきこもり文学大賞」の作品です。結果から言うと、落選でした。
出版社が主催する新人賞に比べて競争率は格段に低いのに、落選。すごく落ち込んで寝込みました。受賞者におめでとうとメッセージを送ったのは少し遅れてなのですが、嫉妬心で吐きそうでした。
小説を書いていた私の18年間は、すべて意味のないことだったんでしょうか。
夢を追うことは、同時に夢が叶わないというリスクを負うことでもある
才能のない人間が夢を追うことになった場合、ひどい苦しみが待ち受けている可能性が高いのではないでしょうか。
才能がないのなら努力で埋めればいい。そう考えていた時期もありますが、才能があって努力もする人間には絶対に追いつけません。そして、そういう人間は結構いるものです。
夢を追って成就させることはすばらしいことだとは私も思います。しかし、光があれば影ができます。夢が叶わなかった人間にもちょっと目を向けてほしいかなと思います。
私はAさんに尋ねました。
「音楽やめることになっちゃったけど、今、幸せ?」
「幸せでも不幸せでも、結局生きていくしかないんだよね」
Aさんは私の目を見ず、遠くに視線を向けていました。
執筆者 湊うさみん
20代でドロップアウトして自殺未遂。ニート歴10年以上のエリートニートになっちゃいました。