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「肉付きの面の呪いの解き方」その2(全2回)

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(文・立瀬マサキ) 

肉付きの面の呪いは重い

さてここからが前回の記事にて述べた「肉付きの面に妨害されて自分のクラス以外のコミュニティを探すことができなかった」ということの説明になります。

肉付きの面の呪いには、もっと嫌な点がありました。それは、その不愛想の効果がクラス内に限らず、学校内に限らず、人目のあるところではどこでも発動する点でした。

肉付きの面は本来、高校の同級生に見せつけるためにかぶり始めた物でした。

しかしいつしか私の、人望を集めることに頓着していない演技は板につきすぎ、私は高校外の、知らない他人に対してもフランクな表情が出来なくなってしまったのです。

買い物をする時も、棚のどこに欲しいものがあるのか、店員さんに訊けなくなったし、それにスーパーの通路に人がいて自分がぎりぎり通れない時に声かけもせずにその人を胴体で押しのけるようにもなりました。

足首を傷めてカイロプラクティックにかかったときに、先生が愛想笑いを交えて問診をしているのに、私は真顔で先生と目を逸らさないまま、問診を受け切ったこともあります。

髪を切りに行くときには、理容師さんに話しかけられても気のない返事をするのが常でした。

このような状態になった理由は、顔面の神経回路のくせがついてしまったことのほかに、整体師の方や理容師さんとあまり関係を深めると、アノ質問が飛び出してくるであろうことを、想定に入れていたからだと思います。

すなわち「高校は楽しい?」「高校でどんなことやってる?」「友達とは何をして遊んでる?」「修学旅行そろそろだよね」といった質問が。

 

他人に、無意味に人当りを悪くした回数は日に日に増えて行ったけれど、それらはすべて無意識の動きであり「どうして自分はいつも目つきを尖らせているのか?」と時々心の深い奥底に湧く疑問に対して、私はいっこうに答えを与えることが出来ませんでした。

そのくせ、学校の中でも、学校の外でも、私が人間を目にするたびに 相手の表情が私のことを「扱いづらい」と思っているらしい表情に変わった記憶が、日に日に蓄積されていき、私の心の内奥では、人間生活への自信はどんどんなくなっていき、とうてい、学校のクラス内のグループを除いた新たなコミュニティを探しに行く意欲など起こり得なかったのです。

高校を何とか卒業した私は、引きこもりニート期間に入りました。

表面上はどんなに強がっていても、仮面の裏側の私は、同級生が仲良しグループで固まって弁当を食べている昼休み中の教室を毎日見させられる疎外感や、体育の授業での「はい二人組つくってー」や調べ学習の班決めや修学旅行の宿割り決めの場で誰からも誘われない居たたまれなさにズタボロに傷ついていたのです。

 

高校は出たけれど

ここで言っておきますが

もう高校へ行く必要はなくなったにも関わらず、18歳の四月を迎えた時点の私には、相変わらず「友達」とか「青春」とか「学校生活」という言葉を、心の声としても胸中穏やかで言語化できず「自分は高校ぼっちでみじめな思いをして、人間関係に自信を失ったからひきこもニートになった」などと、客観的な視点で自らを説明することは、とうていできなかったことでした。

高校を卒業したからといって、ただそれは「高校で友達との楽しい思い出を日に日に逸失している人」が「高校で友達との楽しい思い出を完全に逸失した人」へと称号が変わっただけだし、それに高校卒業と同時に「同い年の若者に標準の、楽しい大学生活を失っている人」という負の遺産が日に日に加算され始めてもいる訳で、自分の真実の姿を表す文字列をなおも自分自身で目に入れたくないのは私にとって当たり前の事であったのです。

高校卒業直後の心の表層側の私は「自分は作家になりたい。古今東西の名著を読み漁って将来的に、小説家になるために、進学も就職も蹴ったんだ」

と自らに言い聞かせていました。この人生設計は内実としては、無職でいる自分を見ないようにしたい気持ちと、学校生活を楽しめなかったことが悔しくて、作家として有名になってかつての周囲を見返したい、という気持ちが混ざり合って出来上がった物でした。

顔面まわりの神経回路のくせも取れず、肉付きの面の存在は相変わらずで

、たまにスーパーやbookoffに出かける時に、私は通路の幅を譲らなかったし、電車の、横長座席の中庸に座っていて、すぐそばに、女子の仲良し四人組グループが乗り合わせて来ても、座席の横幅を譲りませんでした。

 

大きな転機

私が肉付きの面を取り外すことが出来たのは、作家志望と言う名の引きニート期間に入ってから、一年余りが経過した頃のことでした。

その頃私は、対外関係がなさ過ぎて潔癖症にかかってしまっていました。トイレの水洗コックや電池など、生活のあらゆるものを病的に汚いと思い始め、何かに触れるたびに不安になって複数回手を洗わなければならなくなったのです。私はあわててメンタルクリニックに駆け込みました。



メンタルクリニックでは、潔癖症の治療法として曝露反応妨害法という物を教わりました。

曝露反応妨害法の曝露とは、あえて不安な状態に自分の身を曝す(さらす)ということ。

反応妨害とは、不安を感じた瞬間に、すぐに不安から逃れるための行動を取ってしまっていた(反応してしまっていた)のを、あえて自分でしないように我慢すること。

つまり、潔癖症に対して、曝露反応妨害を施すということは、汚いと思っている物に触れて、心が焦燥感で一杯になって「今すぐ手を洗いに行かなければ、焦燥感が高じて死んでしまうぞ!!」という気持ちになっても、そこをじっとこらえて、手洗いを我慢し続けるということ。

そうしていると、時間が経つうちに、その不安感はあるピークを越えて、自然にだんだんに薄れてゆくものなのだそうです。そうして、日を変えて、この訓練を続けて行くと、不潔感自体に慣れて、ついには過剰な手洗いをしなくて済むようになるものなのだそうです。

もっと具体的には、潔癖症の患者さんが、汚いと思っている物に触れた場合の、瞬時に増大する不安感焦燥感も、手洗いを我慢しつづけていれば、約40分間が経った頃にピークを迎え、その後は谷を下るようにストレスの度合いは段々にさがって行き、2時間半が経てば、ほとんど薄れてしまう。そしてこの訓練を四日続ければ、手洗いを我慢する瞬間の病的な、反射的な焦燥感が湧くこと自体がなくなってくる。さらに一か月も努力を続ければ、自分が潔癖症に罹っていたことが信じられなくなる、という物なのだそうです。

私はこの治療法に取り組み、確かに潔癖症を治すことに成功しました。

さらに、曝露反応妨害法の理論は、私の持っていたもう一つの障害をも消し去ったのです。

潔癖症の治療の最中に、メンタルクリニックの医師との会話の中で、話の方向性が「どうしてあまり外に出ない無職になったの?」という方面へ向かい、私は「高校時代に嫌なことがあった」とふと漏らしたのです。

 

そうすると先生は(私が小説を書く習慣を持っていることはすでに話していたのですが)学校での嫌な思い出を、詳しく小説に書き表すように勧められたのです。

嫌な思い出を、脳裏から薄れさせることにも、曝露反応妨害法はよく応用されるそうで、嫌だった場面のことは、最初は思い出すのもつらいものであるけれども、そこを押して、当時の状況を一連の物語として客観的に、紙に詳しく書き記していくことによって、思い出す瞬間のストレスにも慣れて、さらに脳の中の海馬が「この記憶はもう覚えて置かなくてもいいや」と思ってくれる作用も合わさって、その場面の記憶を普通の記憶にしてしまえるのだそうです。

そのことにも取り組んだところ、私の学校生活は、端的には孤独一色に塗り込められたものでしたから、ほどなく私は「高校のクラス内で一人も友達が作れなくて悩んでいた」とか「自分はクラス内のどのグループにも属せなくてツラい思いをした」というような文言に至ることになったのです。

そのような文案を思いついて、紙に書きつけ始めた最初にはもちろん、胃の裏からせり上がる溶岩に焼かれる感覚に苦しめられました。しかし、作業を続けていく内に、不潔感に慣れるのと同じに、その感覚の度合いはだんだんにおさまっていき、日を変えて取り組みを続ける内に、ついには同じ動作による灼熱感自体が起こらなくなったのです。

私の保護本能は高校三年間ずっと、加えて高校卒業後の一年間「自分がもし長時間『学校の友達がいない』とか『クラスのグループ』という言葉を心の中に思い浮かべ続けたら、自分は腹腔内の温度の急上昇によって爆死してしてしまう」と考えていたのですが、それは実は勘違いであったのです。

つまりは「孤独な生徒の強がりの心情」もまた、曝露反応妨害法の適応症であったのであり、強がりの心情に対する曝露のやり方とは、「学校生活での孤立のツラさを小説に詳しく書き表す」ということであったのです。

そして、この時同時に肉付きの面も外れていました。「友達がいない」という言葉に連動して出現する胃の裏のマグマが除去されたことによって、「他人からいきなりその言葉を言われる可能性を下げるための防具」ももう必要なくなったのです。

私はこの変化を契機に、買い物にでかけて愛想笑いの一つもできるようになったし、不登校当事者や、引きこもり当事者や、潔癖症当事者の自助グループにも出かけられるようになったです。

未来を変える技法

 

総括すると、冒頭で述べた、私が自分の引きこもり歴の内で発見したこととは「肉付きの面を取り外す方法」であるということです。

 

肉付きの面の呪いからから逃れてみると、その存在は、自分のことも社会のことも嫌いになっていくだけのマイナスしかない恐ろしい物だと感じました。

もし、ぼっち状態に陥ってから、すぐにこの「肉付きの面を外す技法」を知って、自分の弱点を素直に認められていたら、不登校の当事者向けフリースクールの催しや、フリースペースに足を運ぶことができて、15歳~18歳までの精神的ストレスが軽減されて、私は引きこもりにならなかったかも知れないのです。

ただ、私がそうだったように、客観的には引きこもり状態にある人が「自分は何かクリエイティブな大仕事をするために無職でいるんだ」と表向き主張するという様相は引きこもり界隈ではよく見られることのようです。

引きこもりを論じた文献でも、そういった傾向があると記述されているし、ひきこもりの自助グループでも「自分も作家になろうと志した時期があった」「漫画家志望だった」「プログラミングの勉強を自分でしていた」「はがき職人に・・・」と語る人をときどき見るものなのです。

過去に所属した機関の中で、人間関係に自信を失ったことをひきこもりの原因として持ちながら、プライドに阻まれてそのことを「生理的に言語化できない(三文字すら)」状態にいる人は、結構多いのかも知れません。

私と同じルートで、引きこもりになってしまう人、引きこもり状態を維持してしまう人を少なくするためにも、私はこの「肉付きの面」を取り外す技法を世に広く知らせて行きたいと考えています。(了)

 

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